自分自身に対する褒美の工夫でやる気UP

組織のプロジェクトに関して、携帯電話の新製品開発を例にあげてみます。開発が計画どおり進み製品を出荷し販売も好調になれば、プロジェクトに携わってきたメンバーは、お客さんや会社の経営層から褒めていただき、表彰され、給与のアップといったことが期待できます。それに対して個人のプロジェクトの場合は、外からの報酬は期待できないのですが、資格取得や個人旅行、ダイエット等の目標を達成したこと自体が自信となり、そのことが自分に対する褒美ではないかと思われます。

シャーロックホームズの冒険ドラマ「まだらの紐」の冒頭場面で、女性がシャーロックホームズに、困った表情で調査の依頼に来た時に、今はお金がないが、結婚したら独立してお金が入り、そのときお礼するというシーンがあります。その時シャーロックホームズは、報酬は自分の仕事そのものと言い切っています。このようなお金以外の褒美こそ、個人のプロジェクトを遂行する原動力となり、その点に着目することが重要です。

お金以外で、やる気アップに結び付くものはどんなものがあるでしょうか? 自身の例ですが、仕事や趣味、資格取得などの目標を達成することで、達成感を味わうことです。仕事など何かすることが、自身のキャリア開発に役立つといったこともやる気アップに繋がります。他に考えられることは自分の成長につながると意識できることもそうです。また仕事を通じて、まわりの人やお客さんから喜んで頂き、評価された時も、他人に役立ったという充実感が味わえます。

組織の中で仕事を任される場合、組織の目標があり、その中に個人の目標があります。個人にとっても、仕事の関する目標と仕事以外の目標があります。ふたつの目標が、それぞれ異なれば、仕事と仕事以外で、ふたつの目標を追いかけなければなりません。もし、ふたつの目標を工夫してひとつにできれば、やる気もがぜん変わってきます。組織における個人の目標と個人のキャリア開発の目的や目標の重なりを多くし、的を絞った目標設定を行うことで、常に頭の中で目標を意識することができるからです。このような心の面の褒美に着目することが大切ではないでしょうか。

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窮すれば通ず。あきらめずに頭を使え

今から、25年くらい前の話です。その日は、朝から胸騒ぎがして、胸に何かつっかえたような気分でした。でもその理由がわからないうちに、会社に行く時間になり、とりあえず家をでました。会社に着いて、いつも通りまずコーヒーを一杯注いで、それをもってたばこ部屋に行きました。一服しながらいつもの朝の常連と雑談をし、その日の仕事の段取りを頭の中で組立てました。
席にもどりメールの確認を始めた矢先、電話が鳴りました。上司のA部長からでした。「あの件はどうなったのか」第一声です。A部長には大小取り混ぜて色々な宿題をもらっていましたので一瞬どの案件か戸惑いましたが、たぶん、ABC社との共同開発に関する覚書の締結の件であると気づき、「その件はN担当部長に任せています。確か一昨日、先方と最終確認を完了した旨報告を受けています。こちらの希望条件で進んでいます。詳細はあとで、メールで報告しますが・・・」と私。
「実は、それはそれで進めてもらってもいいのだが、実は、先方の・・・・・・ということなので、至急に、教えてほしいのだが、今 N担当部長はいるかね。私のところに今すぐよこしてほしいが・・」とA部長。あたりを見回すとN部長は見当たりません。彼の部下に聞いたところ「N部長は年休で休んでいいます」との返事。それならばと、彼の自宅に電話しました。しかし奥様から聞いた次の言葉で、私は、万事窮すとなってしまいました。「主人は、本日、大学時代の後輩の結婚式で朝一番に、広島に出かけました。・・・・特に指定券はとっていなかったようですので・・式場はXXXXですが、確か開始時間は、午後の3時からといっておりました。式場の電話番号は・・・」
今ならば、携帯電話で連絡がすぐに取れるので、何も問題がありません。直接電話すれば済む話です。しかし四半世紀も昔の当時はそれは夢物語。どうやって彼を捕まえて、聞き出すのか、式場に連絡して連絡を待つしかないのか、でも、それでは間に合わない。どうしようか・・何か手段はないのか・・・お手上げなのか・・・朝の胸騒ぎの理由はこれだったのかと、一人で納得してしまいました。
しかし、これで終わりではないと、もう一度、N部長の自宅に電話しました。何とか連絡を取りたいという思いでした。奥様から自宅を出た時間と、解る範囲での行動予定を教えてもらいました。結局わかったことは、朝の8時半ごろに自宅を出たということだけでした。電話を切ってから私は総務からJRの時刻表を借りてきました。そして新幹線のページをめくり新横浜と東京発の新幹線の時間を調べました。私の作戦は、新幹線の車内呼び出しを利用することでした。まず彼の自宅からの最寄駅である新横浜と、東京駅までのどのくらいかかるのかを推定しました。広島まで行くには横浜に止まらない東京駅から乗車した可能性もあるからです。そしてそれぞれの駅から彼が乗車した可能性のある列車の候補を選びだしました。そこまで準備してからJR東京駅に電話をし予めメモッタ列車番号に対して呼び出お願いしました。最初は1本しか受けてくれない雰囲気でしたが、しぶしぶた複数の列車で車内放送してもらえることになりました。なお、会社名は車内放送できないということで「ZZ市XX町のNさん、至急会社にお電話ください」となりました。。それから10分も立たないうちに、自席の電話のベルが鳴った、東京駅発の新幹線からNさんがかけてきた電話でした。彼の開口一番の言葉は次の言葉でした「なぜ、私がこの電車に乗っていることが分かったのですか。妻にも告げていないし・・・」。 途切れがちの電話でしたが、要件を手短に伝え、必要な情報を教えてもらうことが出来ました。

この出来事自体は些細な事件かもしれません。連絡が取れないと思った瞬間に諦めてしまうこともできましたしそれで許されたと思います。たまたま、車内呼び出しを思いついたからでLLでもなんでもないと思う人もいると思います。しかし私がこの事件で学んだことはその後、私を何度も窮地から救ってくれました。「窮すれば通ず。あきらめずに頭を使えばなんとかうまくいく」と。

「ジョホールバルの歓喜」から

シンガポールへの出張が決まったとき、歴史的なサッカーゲームを観戦できるのではという希望が湧きました。1997年11月のことです。マレーシアとの国境を越えた隣町・ジョホールバルで、日本代表がイラン代表と対戦します。そこで勝てば、フランスで行われるワールドカップの本選に、日本代表の初出場が決まる大一番です。
本業の出張準備を棚上げし、入場券を求めて東京都内を奔走しました。が、結果は芳しくありません。日本で売られる切符の数が少ないうえ、手配時期が遅すぎたのです。やむなく、シンガポールの現地で探すこととし、現地に赴きました。
試合の前日にシンガポールに着くと、さっそくホテルのコンシルジェに相談しました。彼は何軒かのチケットハウスに連絡を取ったあとで、脈ありという店を見つけてくれたのです。
雑居ビルの一室にあるチケットハウスを探し当てると、切符があるといいます。しかも、日本で売られているよりはるかに安いのです。狂喜して購入すると、販売員に釘を刺されました。「マレーシアへの入国には、パスポートの有効期限が6か月以上あることがルールです。その点、お忘れなく」
ホテルに戻ってパスポートを調べると、有効期限は3か月しか残っていません。
困りました。今からパスポートの有効期限の延長はできません。日本のパスポートは申請から発行まで10日かかります。しかし、観戦をあきらめるのは悔しいです。なにしろ日本代表のワールドカップ本戦初出場が決まる瞬間をスタンドから見届けられるかもしれません。
丸一日思案しました。考えてみれば、これまで20数カ国に行っていますが、入国時に「パスポート有効期限」を聞かれたという記憶は1度もありません。マレーシアにはすでに5-6回は入国しています。それに、「天の配剤」という言葉もある……と思い定めて、ともかく観戦に向かうことにしました。
ジョホールバルはシンガポールからマレー鉄道で1駅ですが、汽車は国境で一時停止します。乗客はそこで出入国の手続きをしなければなりません。指示されるままに下車し、ホームの一角にある窓口に向かいました。手続きを待つあいだ、パスポートの有効期限が頭から離れません。やがて渡された入国書類を見ると、はたして「パスポート有効期限」の記入欄があります。こんな欄はこれまで記憶にありません。コンチクショー。さてどう記入するか? すこし逡巡しましたが、意を決し、すこし先の期日をボールペンで勝手に書き込みました。それからが落ち着きません。もし係員に引き留められたらどうするか?「頼むから見逃してくれ」と言うか、「この1戦を観るためにわざわざ日本から来た」と訴えるか、それとも、10ドル札を提示して…。
やがて順番がきて係官の前に立つと、インド系の中年女性がのんびり書類の処理をしています。私のパスポートと入国書類を眺めて、パソコンに何か入力しています。手書き処理ならともかく、コンピューターでは、パスポートと入国書類の違いが立ち所に判明します。ここでばれたら、おれは国際犯罪人に名を連ねることになるのか? 処理を待つあいだ、心臓はドッキンドッキンと鳴り通しです。こんな心臓の鼓動を経験するのは、小学生のとき海岸の埠頭で小さな魚を初めて釣り上げたとき以来かもしれません。
やがて彼女は一連の処理を終え、パスポートにハンコを押して返してくれました。
こころ優しい係官(?)のおかげで、スタジアムまでいくことができました。そして、岡野選手の決勝ゴールをスタンドから見届け、深夜、歓喜の中をシンガポールのホテルに帰り着きました。するとくだんのコンシェルジェは「おめでとう。次はフランスに行くんだね」と言ってくれました。
そこで、教訓。「入国書類は、ときどきごまかしましょう」

小林誠の講演を聴いて

筑波大学の大講堂で講演がありました。講演者は高エネルギー物理学研究所の小林誠先生です。先生は2008年に小林・益川理論でノーベル物理学賞を受賞しています。なんでも、クオークが6つあるということを理論的に予言し、その後の実験で証明したそうです。「対称性の破れの理論」ともいうそうです。
自宅から車を運転し、15分ほどで会場に着きました。大講堂は満員で、門外漢の私には少し敷居が高く感じられましたが、張り切って最前列の席に座りました。
紹介のあと演壇に立った先生は、序論で「今日は2つの軸を中心にお話します。素粒子論と特殊相対性理論です」とおっしゃいます。どちらも、何のことやら皆目、見当もつきません。
我慢して聞いていると、説明は進められ、やがて本論に入りました。そして先生は、正面のスライドに複雑な数式をいくつも続けざまに映し出します。その後で、行列式らしきものを大写しされました。全く理解できません。
すると先生は結論としておっしゃっいました。「これは簡単な数学です。これを解くと、クオークは6つなければならないことになります」。最前列の私には全く意味不明です。
講演が一段落し質疑応答の時間になると、驚いたことに、聴衆である学生たちからいくつもの質問が出されます。先生は1つひとつ丁寧に答えていらっしゃる。質問・回答のどちらも、私にはチンプンカンプンです。私は心の中で密かにつぶやいていました。「聞く方も聞く方だが、答える方も答える方だ」と。
講演の最後に先生は言われました。「宇宙の中の物理現象には、解明されていないものがまだたくさんあります。諸君の中で志ある人が、そこに挑戦され、解明されることを期待しています」
会場は拍手に包まれ、講演は素晴らしい雰囲気の中で終了しました。
私はその余韻に浸りながら、車を運転して帰宅しました。超一流の叡智による、全く素晴らしい講演でした。そういう講演を聞けたのは本当にラッキーなことです。もし心残りがあるとすれば、たしかに素晴らしい講演でしたが、その序論・本論・結論のどこをとっても、私には全く理解できなかった、ということだけです。
教訓(2択)
① 何もわからない講演を聞くは時間の無駄なので、やめましょう。
② 自分には何もわからない世界があり、そこですばらしい業績を上げている人がいます。こういう事実と知ることは、自分を謙虚にしてくれるとともに、世の中の広さを教えてくれます。

行ってまいります

あなたのご家族は、外出する人と送る人がどんな挨拶を交わしていますか。
「東京物語」を筆頭に、小津安二郎の映画を何本か連続して観て、日本語の会話の美しさに感じ入ったことがあります。大女優・原節子が出演しており、そこでは、外出する人は「行ってまいります」と言い、送る人は「いってらっしゃい」と言っています。さらに、佐田啓二・岸恵子の「君の名は」と、音羽信子の「原爆の子」も観ました。どちらでも出かける人は「行ってまいります」か「行ってきます」と言っています。ここに挙げた映画は、どれも白黒映画です。
思い返すと、私たちは小学校に入学したとき、登校時には「行ってまいります」と挨拶するように教わり、そのとおりにしていました。
10年ほど前、次男が中学生のとき、ある朝、登校前に玄関先で家内と何か話しています。放課後の予定の相談をしていたようです。会話が一段落すると、彼は母親に「じゃあね」と挨拶し、自転車に飛び乗って学校に向かいました。
これは見捨ててはおけません。私は自宅の窓から大声で次男を呼び戻しました。彼は30メートルばかり進んでいましたが、素直にとって返してきました。ここで断固たる姿勢を示さないと父親の沽券にかかわります。私ははっきり言い渡しました。
「子どもが学校に出かけるとき親にする挨拶が『じゃあね』とはけしからん。ちゃんと、『行ってまいります』か『行ってきます』と言え」
次男は神妙に聞いていました。しかし、しまった。彼の目が笑っていいます。私の説教が終わるやいなや、次男は「わかった、じゃあね」と言い残し、自転車に飛び乗って学校に向かったのでした。
教訓(3択)
① 白黒映画を観るのはやめましょう。
② 自転車に乗った人を呼び止めてはいけません。
③ 人にアドバイスをするときは、くれぐれも慎重にしましょう。

不心得な了見

日本語で出版されている本のなかには、英語からの翻訳が相当数あり、日本の読者に大きなインパクトをもたらしています。私も、『老人と海』(ヘミングウェイ)、『エリアス随筆』(ラム)といった文学書から、『ビジョナリー・カンパニー』(コリンズ)、『最後の授業』(ランディ・パウシュ)などの経営書まで、翻訳書の恩恵に浴しています。翻訳者諸氏には、衷心より感謝を申し上げます。
最近でも、『老人と海』の福田恒存氏や『最後の授業』の矢羽野薫訳の名訳に舌を巻いています。具体的には、次のようなくだりです。

“Everything about him was old except his eyes and they were the same color as the sea and were cheerful and undefeated.”
「この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。」(『老人と海』福田恒存訳)

“The brick walls are there for a reason. They’re not there to keep us out. The brick walls are there to give us a chance to show how badly we want something.”
「レンガの壁がそこあるのには理由がある。僕たちの行く手を阻むためにあるのではない。その壁の向こうにある「何か」を自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているのだ。」(『最後の授業』矢羽野薫訳)

『老人と海』の福田訳に注目しましょう。原文の ”except his eyes” という説明句を、「ただ眼だけがちがう」と、独立した1文にしています。これはすごいと思います。もしここを、われわれが学校で教わったとおり「眼をのぞいて…」とやったのでは、福田訳のような強烈なアピールは望めなかったのではないでしょうか。
『最後の授業』の矢羽野訳でも、原文の ” something” に言葉を補足して、“その壁の向こうにある「何か」”としています。さらに、”a chance to show” を「見せるチャンス」という平板な表現にせず、「証明するチャンス」としています。2つの工夫で、原文の真意が見事に浮き彫りにされています。
私事であすが、英語から訳された本を読む際、重要なところには傍線や下線を引いたり、マーカーでハイライトしたりします。が、それとは別に、気になった訳語に波線を付し、欄外に「Eng」とか「レ」など書きつけます。機会があれば原書の英文をチェックしてみたいという印です。翻訳者の努力の跡を偲んでみようという意図もあります。
翻訳の世界では、「10人の翻訳者がいれば、10種類の訳文がある」といいます。(経済学の世界では、「10人の経済学者がいれば、経済政策は11ある」というそうです。)そこで、ある著名な日本人翻訳者がエッセーで説いていることを思い出しました。「翻訳本の日本語にいぶかしく思うところがあっても、原書の原文にあたってみようなどという『不心得な了見』は起こさないように」
しかし今やアマゾンなら、原著を2-3日で入手できるようになりました。そして、波線を付した日本語訳の該当部分を原著で探し当て、翻訳者の苦労を追体験するのは、思いがけず、楽しい作業であることに気づきました。かくして、この「不心得な了見」は、今後も私の読書のある位置を占め続けるでしょう。
教訓:「不心得な了見」は楽しいです。

適度な図々しさ

九州出張を機に大分県中津を訪れました。プロジェクトマネジメントの関係者に中津出身の方が2人おられますが、同地には福沢諭吉の「独立自尊」という言葉を大書した碑が立っています。お2人とも幼少期に、毎日その碑を見て育ち、少なからぬ影響を受けている、と聞いていたからです。
JR中津駅に降り立つと、真正面に福沢の銅像が佇立しています。さっそく、福沢の旧居に行ってみました。旧居のすぐ脇に稲荷があります。少年の福沢が、いたずら心から、神体を開けて中の石を別の石ころと入れ替えておいたときのことです。初午なって、周りの人がのぼりを立て、太鼓をたたき、お神酒をあげて拝んでいます。それを見た福沢が「ばかめ」と1人嬉しがっていた、という場所です(『福翁自伝』)。
反対側に記念館が併設されていて、福沢ゆかりの展示物が多く見られます。その中の1つ「願書」に目を奪われました。当時、大坂の適塾に留学していた福沢は、チフスに罹って中津に一時帰郷しています。再度大坂に出かける際、中津藩庁に留学の願書を提出しました。その中で、目的を「砲術」の修行に出かけると書いています。適塾の緒方洪庵は医者であるにもかかわらず、です。展示の説明では、「蘭学」のための留学は当時の中津で前例がなく、認められなかったからだとのことです。ここで、もし福沢が「蘭学」の勉学のためと生真面目に書き、その結果、留学を拒否されていとしたら、『学問のすすめ』をはじめとする、福沢の啓蒙活動は、かくも広汎・多大な影響力を持ったなかったことでしょう。
積極性とは「適度な図々しさ」のことかもしれません。福沢が「砲術」の修行と申請したのも、福沢の「適度な図々しさ」の発露であったのではないでしょうか。
教訓:積極性とは「適度な図々しさ」のことかもしれません。

「スケジュール 可視化で気づく 期限まで」

To-doリストで懸案事項、課題などを管理しているのに、ふと気づいたら補助金の申請期限を過ぎていて、これが受注条件になっていたので失注してしまったといったような経験はありませんか? あるいは、期限前に書類作成に着手はしたのだが、着手時点で作業量が多いことに気づいて、結局2日連続で徹夜して仕上げることになり、チームメンバから大ひんしゅくをかったといったような経験はありませんか?

研修でTo-doリストを作ってやることで漏れなく課題管理が出来ると教えられたのに、これでは意味がなく、従来と変わらないではないかと思ってしまったかもしれません。

To-doリストはよくできたツールですが、よくある書式では、日限まであと何日残っているのかとか、どれくらいの作業量(何日程度の作業量)があるかを一目でわかるのは難しいところがあります。一覧に日限や見込み作業時間数が書かれていても、作業項目が増えてくるにしたがって、各作業項目をどういった順番で実施していけば、個々の日限までに終えられるかといった全体を把握するのがTo-doリストだけでは難しいところがあります。

そこで作業項目が増えてきたら(たとえば、10件を超えてきたら)、ガントチャートに代表されるスケジュール表を作成することをお勧めします。これにより、自分の抱えている作業全体が見えるようになり、個々の作業項目の日限が時間軸で分かるようになります。また、作業量もバーの長さから類推でき、着手遅れを防ぐことが可能となります。To-doリストはやっているが、スケジュール表までは作成はしていないという方で、冒頭のような失敗事例をお持ちの方は検討して頂ければと思います。

ただ、個人差もありますが、あまりに見えるようになったために、各作業が軒並み遅れているのが見えてしまい、逆に心の負担となり気分が落ち込んでしまった方も過去におられるので、利用の際は自分の性格も踏まえて実施されることをお勧めします。心労となっては元も子もありませんので。

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禁煙プロジェクト -気持ちいいから続けられる-

タバコを吸わない方にはなかなかお分かりにならないと思いますが、多くの喫煙者は今、以下のような葛藤の中で暮らしていると思います(私もそうでした)。

(喫煙しながら)「値上がりしたし、今後も値段は上がる一方だし、小遣いきついなぁ・・・」

「最近は吸わない人の方が多いから、外で吸える場所を探すのも大変だし、飲みに行っても肩身が狭いんだよなぁ・・・」

「健康にも悪いと言われてるし、ベランダで吸ってても妻や子どもから『ベランダがタバコ臭い』と怒られるし、いっそ禁煙しようかなぁ・・・」

「いや・・・待てよ・・・タバコなくして、俺は毎日のストレス、あんなことやこんなことに果たして耐えられるのか?」

「まぁ、タバコは、一人でいたくなった時に『一本吸ってくる』と言うための小道具でもあるし、喫煙所でのコミュニケーションも意味あるし、悪いことばかりじゃないよな・・・」

「喫煙して病気になるかどうかは時の運だしな。俺は病気にならないかもしれないし・・・そうだ!だいたい、妻も子どもも“臭い”とかじゃなくて、俺の健康を心配すべきなんだ!」

「色々と考えてたら疲れたわ・・・もう一本吸おう」(→最初に戻る)

そして、この葛藤で“禁煙しよう”という気持ちが勝利することが稀にあり、その時、人は禁煙に挑戦するのでしょう。自分も例外ではないのですが、私の場合、その挑戦にことごとく失敗してきました。

1.最初の失敗:ニコチンガムとニコチンパッチ(だけ)

俗に言う“ニコチン置換療法”です。何もないよりましなのですが、どうしても喫煙と同じレベルでの満足感が味わえない・・・調べてみると「喫煙は静脈注射並みのスピード、約7秒でニコチンを脳に届ける」とのこと。消化器経由や皮膚経由では効きが遅すぎ、かつピーク値も低いからであろうと納得するも、後はひたすら我慢の日々。その内、仕事の能率にも支障が出始め、“禁煙うつ”的な状態に陥り、「一本だけなら・・・」とタバコを手に取ったら、あっという間に元通りの喫煙者になりました・・・

2.二回目の失敗:禁煙補助薬(だけ)

禁煙補助薬としてチャンピックスが保険適用になったと聞いて、「これで私もタバコを止めれるかも」と“お医者さんと禁煙”し始めました。確かにこの薬はすごいのです・・・薬さえ飲んでいたら、タバコを吸わなくても、ほとんどニコチンへの渇望を感じません。

無事に3ヶ月間の服用期間を終え、お医者さんから「禁煙成功しましたね!」と言われてからが本当のヤマでした・・・タバコを吸う代わりに間食してしまうのです。体重は見る見る内に増えて肥満になり、健康診断の数値も禁煙前より悪化し、タバコの代わりにお菓子を買ってしまうので小遣いにも余裕ができず、「何のために禁煙したんだろ、俺・・・」という気持ちが強くなっていきました。そして非常にストレスフルな出来事があったある日、「一本だけなら・・・」とタバコを手に取ると、再度、喫煙者に逆戻りでした・・・

3.三度目の正直:禁煙補助薬+習慣の入れ替え

「禁煙成功したのね!」と喜んでいた妻や子どもから“意志が弱い人”という冷たい視線を浴び、「また失敗したら恥ずかしすぎる」と、三度目の挑戦に対してはかなりの及び腰でした。二度目の失敗から3年間に渡って吸い続けた後、葛藤の中で再度“禁煙”が勝利することがあり、三度目の挑戦をすることにしました。但し今回は、ニコチンガムやニコチンパッチ、禁煙補助薬に頼り切るようなことはせず、“タバコがなぜ止めにくいのか”敵のことを研究した上で、パーソナルプロジェクトらしく実践することにしました。

調べてみると喫煙習慣は、βエンドルフィンやドーパミン、セロトニンといった、多幸感や達成感、安心感を司る脳内ホルモンが“ニコチンによって過剰に分泌される”中毒症状であることが分かりました。そして、そういった脳内ホルモンは禁煙補助薬でも食事でも分泌されるので、二回目の失敗において、私自身は意識できていませんでしたが、

「イライラする→タバコを吸う→脳内ホルモンが分泌される→スッキリする」

→「禁煙補助薬を飲む→脳内ホルモンが分泌される→そもそもイライラしない」

→「イライラする→間食する→脳内ホルモンが分泌される→スッキリする」

という当然の経過を辿っていたことに気付きました。

他方、一回目の失敗では、ニコチンガムやニコチンパッチで緩和されてはいたものの、

「イライラする→タバコを吸う→脳内ホルモンが分泌される→スッキリする」

→「イライラする→タバコを吸えない→脳内ホルモンが分泌されない→スッキリしない」

という、これまた当然の我慢をしていたのです。

この解決策として、友人が紹介してくれた「習慣の力」という本がとても役に立ちました。この本には、「無意識下で回っている『きっかけ→習慣→報酬』のサイクルにおいて、あるきっかけをトリガーに報酬を求めること自体は変えられないが、習慣だけを入れ替えることによって、このサイクルが人生にもたらす影響を変えることができる」といった主旨のことが書かれていました。また、別の文献を調べると、運動することによっても同種の脳内ホルモンが分泌されることが分かりました。

そこで今回は、フェーズ1として、禁煙補助薬を服用してまずは喫煙習慣だけ止めた後、

「イライラする→間食する→脳内ホルモンが分泌される→スッキリする」

⇒肥満&不健康&浪費

ではなく、フェーズ2として、

「運動する→脳内ホルモンが分泌される→そもそもイライラしない」

⇒筋肉質&健康&貯金

を目指して、ランニングと筋トレの日課を設定、その実績をモニタリングすることにしました。

4.気持ちいいから続けられる

開始から一年近くが経ちましたが、今も全くストレスなく禁煙を続けることができています。それだけではなく、喫煙者であった時にタバコを渇望していたように、今では運動を渇望するようになりました。最近は、ランニングと筋トレだけでは飽き足らず、自転車通勤も始めています。タバコを止めたいから、健康にいいから、無理に自分を鼓舞して運動しているわけでも何でもなく、ただ気持ちいいから運動して、結果、タバコを吸いたいという気にさえならない、という変化が起きています。“脳内ホルモン分泌による快感への欲求”を充足させるための手段の違いだけであるにも関わらず、その手段の違いが自分の生活に与える影響の違いには非常に大きいものがあります。

この経験を通じて、「物事を成し遂げるために、我慢して、自分を律して、何かをする」ことよりも、「意図して自分の習慣をデザインし、プロセス自体気持ちいいから継続できて、結果として物事が達成される」ことの方が、成功する確率が高いのではないかと考えるようになりました。

たまたま禁煙をテーマに書いてきましたが、「プロセス自体を楽しめるかが重要」という点では、他の私事であっても、そして仕事であっても、変わりはないようにも思えます。喫煙者で「禁煙したい」と思っている方だけではなく、非喫煙者の方にも役立てていただけるとしたら、この拙文を書いた者として幸せに思います。

© 2015 Masao Kawasaki, All rights reserved.

個人研究プロジェクト用のワークシート

大きな実験室で複数の人が行うような研究とは別に、社会科学の研究は、どちらかというと個人単位で行うことが多い。アイデアの創出から、研究の実施、論文の作成まで、個人の頭の中で練られていく。
その時に、課題となるのは、研究が構造化されにくいことである。うまく構造化されて研究がなされていないと、最終的な論文を執筆したときに、論文の修正に多くの労力が必要となる。また、最悪の場合は、研究そのもののやり直しが必要となる。
そこで、研究に取り組む早い段階から、全体を構造化しておくことが重要になる。そこで、筆者は、図1のような、フレームワークを用意し、その中に、研究の内容を記入し、チェックするようにしている。

図1

図1の上の部分は、タイトル、問題意識、目的であり、論文にした時の1章はじめにに記入される項目である。中段は、左から、Input – Process – Output に相当し、研究の入力データは何であるか、どのように処理するのか、そして、結論は何であるのかを意識して記入する。そして、IPOそれぞれの下段には、制約事項を記入できるようにしてある。物事には、必ず、制約事項が存在し、そのことを意識しておくことが重要なためである。