カテゴリー別アーカイブ: Z 苦境からの立ち直り

逆境こそ 普段の努力と 信頼感

失敗はつきもの
プロ野球選手の終身打率のトップは3割2分、そして3割打者は20人。
3割を打てば一流打者と言われている所以であるのかもしれません。
私の2000年以降の会社人生は、○○改革といった全社プロジェクトの責任者として過ごした時間がほとんどでした。課題を挙げればきりがありませんが、逆境を乗り越えてきた力は家族は勿論のこと、友人、知人、同僚の力は何といっても大きかったと思います。特に、普段から築き上げてきた人間関係は大きな助けとなりました。
プロジェクトオーナーは会社のトップであり、いやというほど役員会議に上申、何度も何度も蹴飛ばされながら這い上がった思い出は今の自分の糧になっていると思います。
「うまくいったな~」という実感は当時はありませんでしたが、逃げずに、やり遂げることができたのではないでしょうか?いつしか定年を迎え、自分の成長というものを与えてくれた会社人生に感謝したいと思います。

令和4年11月11日 黒田 尚

共有し 苦境にはまる リスク下げ

苦境からの脱出とは言えないが、日頃から現状を隠さずにオープンにしておくと、苦境に陥る前に何か動きが起こり深刻な苦境になることなく、ちょっとした苦しさで済むことが多い。言いたくないこと、見せたくないことを隠していると最後に痛い目にあうことをたくさん見てきたことから得た、予防的なお話し。

今ここに 集中すれば 道拓く

先を考えて不安で悶々とするよりは、ただひたすら今目の前にある仕事を一つ一つに集中して片付けていくことに注力していくと、そのうち道が拓けてくることもあるというお話し

落ち込んだ 自然に触れて 漲る気

休みなく仕事をやってもやっても、どうしようもなく、どうすればいいか悩んでしまうときがある。そういった時に森の中に入ってじっとその中で自然を感じたり、日本海をじっとながめて(いずれも何も考えず)一日いると不思議と気力が回復してくる といったお話し(わたしだけかも)

この事態 我に与えた 試練かな

綺麗な仕事を担当させてもらうことは少なく、いつも酷いものばかり。でも、考えようによっては天が与えた試練なのかもね、何か学ぶことがあるかもと、開きなおることも大事 というお話し

これ以上 悪くはならぬ 覚悟決め

最悪のプロジェクト、部門の立て直しを何度か担当したが、考えてみれば何をしてもこれ以上悪くはならないと思えば、気が楽になり思い切って動いた というお話

誠実さ 四面楚歌から 救いの手

日々の仕事に誠実に取り組んでいれば、困ったときにはなぜか救いの手を差しのべてくれる人があらわれる体験のお話し

「淡々と」 言われ続けて 今わかる

数十年前、新卒で某大手コンピュータメーカーに入社した僕は、研修後、お客様担当のSEとして社会人生活を始めた。当時、指導を受けていた直属の先輩SEは優秀、かつ仕事に妥協を許さないタイプで、本当に厳しく、何度も叱られ、スパルタ教育を受けた。研修での成績が良かったので、期待もしていたのだと思う。ただ、僕は、学生から社会人へとマインドセットを変えることがなかなかできず、何年もの間、満足できる業務上の成果を上げることができないでいた。それでも、次から次へとやるべきことは降ってくる。To Doの山に埋もれながら、その先輩SEと自分を比べて、「自分は本当はできない人間なんじゃないか」という懐疑心にさいなまれ、不安と苛立ちの中、日々の仕事を何とかこなしていた。

深夜まで仕事をすることも多かったが、そういった時、隣の先輩SEがよく、「川﨑、淡々とやるんだ。泣こうが、わめこうが、やることは変わらないだろ。だから、感情を動かさないで淡々とやるんだ」と話しかけてきた。しかし、当時の僕はその言葉を聞いて、「淡々と仕事できないのは、あなたのせいでもあるだろ」くらいの気持ちしか湧いてはこなかった。

そうこうしている内にやっと仕事にも慣れ、自分なりの成果の上げ方も分かってきたが、留学を契機に会社を辞めた僕は今、中小企業の経営者として働いている。その中で、デスマーチプロジェクトで苦しんだ時、資金繰りに窮して天を仰いだ時、大事な打合せを前にした時、「淡々とやるんだ」という先輩SEの言葉をふと思い出していた。言われたその時は分からないけれども、後になって思い出し、自分を支える言葉があることを知った。感情を乱してもやるべきことは変わらない。だとしたら今できることに集中する。そして自分ではコントロールできないことは天にゆだねる。そういった思いを胸に、仕事も私事も当たっていこう。そう決意する礎になった大切な言葉となった。

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救われた その一言が きっかけで

予想外に課長に昇格してしまった時にそれは始まった。
正確には課長扱いであった。(社内の)資格がまだ到達していなかったためである。
自分より前の世代の方がかなり退職されていたこともあり、若くしてお鉢が回ってきたというところであろうか。
その課は何年か前までは飛ぶ鳥も落とす勢いであったが、ここ数年は過去に出荷した製品のトラブルが多発して毎期赤字を出し続けている部門であった。社員の多くが各所のトラブル対応に出払っているという状態であった。
わたしは当時別の部門に所属していた。現地で苦戦していた大型案件に途中から入ってほぼ1年近くかけて落ち着かせ、次の開発を進めていた。その赤字部門に対しては批判的でその事業は止めたらと言ったこともあった。
だから、まさか自分がそこの部門の長に異動になるとは思いもよらなかった。口は禍の元である。
当然居心地は良くない。
それ以上に頭が痛かったのが、課長級以上の技術専門職だけでなく、主任クラスもみんな自分よりも年上のベテラン揃いであること。
その部門は自分の専門ではないので、どうしても彼らの話を聞きながら進めざるを得ない状況であった。
しかし、それをやっていてはスピーディに品質改善や赤字脱却への活動が進まないという悩みがあった。これまでの自分のやり方でやっても付いてきてくれないのでは、一緒にやってくれないのではないかと年上の方々への遠慮もあって苦悩の毎日であった。
そんな状態で2か月が過ぎようとしていたときに、前任の50代の課長(この方も全く別の部門から来られて1年でわたしに交代)から声をかけられて次の助言を頂いた。
「周りに遠慮せずに、自分の思うように、考えるようにやりなさい。
自分の考えでやってみて、ダメなら自分の考えがダメだったと納得もするし、反省して次に生かせるけど、周りに言われてやっても得るものないよ。」
これはわたしにはとてもありがたい言葉であり、これまでの悩みは吹っ切れて、精神的には楽になった。
それ以降、最後は自分の考え、やり方でやるようにして、徐々に赤字を減らして2年目の下期には赤字脱出を果たすことができた。
この一言を頂いた(ひと回り上の)大先輩には本当に感謝しており、今は自分より若い人たちに同じような場面があれば、この言葉をかけている。