カテゴリー別アーカイブ: 1-3 プロジェクトマネジメント

超高齢社会の下準備(ある日妻の介護が必要になりました)

表題
『超高齢社会の下準備(ある日妻の介護が必要になりました)』
副題
『介護とは いずれ我が身 もうすぐ我が身』
皆様へ,
私たちは,令和5年11月4日に,健康管理士会交流サロン主催のパネルディスカッションにおいて介護の問題に焦点を当てました.杉並区で介護経験が豊富な参加者が集まり,お互いに介護に関する情報交換や,介護予防の啓発活動を推進している杉並介護者応援団の北原理事長による基調講演をお願いしました.さらに,パネラーの中川さんからは介護体験について具体的な事例をお話ししてもらって参加者全員で情報共有しました.
ファシリテータの岩石さんからの発言をご紹介します.
私たちはいま,超高齢社会を迎えており,誰もが介護者または介護を受ける立場になる可能性があります.介護保険を賢く利用することで,助けを求めることができる時代となりました.どれだけ努力しても不満が残ることもありますが,できることを無理せず行うことが,介護の基本です.まず,自分がどう生きるかを考え,介護をどう受けるか,どう提供するかを考えることが大切です.
この機会に,超高齢社会に向けた備えを共に考え,助け合いの精神で支え合いましょう.
なお,詳細については下記URLを参照ください.
レポート参照先「第2回健康管理士会交流サロン活動報告会レポート」

LL振り返り20190624

パーソナルPM研究会_LL振り返り_20190624_公開用

『心は行動となり、行動は習癖を生む。習癖は品性を作り、
品性は運命を決する』
ひいては「その変わった心で毎日の仕事や生活に取り組むこ
とで、運命を変えられるのではないか」という思いも昂じて
きました。
私は、その昔自分のTo-doリスト項目が完了した時に、気づ
いたことを項目の右にちょこっとメモするのが習慣になりま
した。自分用なので一言だけなのですが。数年やっている
と、同じ気づきが何度も出るのがわかりました。
自分用に10年続けた結果がこうなった
優越を求める価値観  >  人生の成功に焦点
理性を求める価値観  >  真理の追求に焦点
安心を求める価値観  >  平等な社会に焦点

パーソナルPMコミュニティで3回にわたり、LLを見直しながら自分の人生の目標・目的について考えてきました。

深く考察を進めていく中で、自分がどの価値観に重きを置いているのか、これを考える指標になるものを編み出す必要を感じ、これまでにやってきたことを分類整理してきました。

今回もLLを振り返りながら、この会を通して自分自身が達成パーソナルPMについて考えていることを発表します。(6/24発表予定、この記事は6/22に書いています)

マルチステージの時代に

寿命の伸びは世界各国で顕著です。この60年ほどを見れば次のグラフのようになっています。日本では1947年から詳しい統計がとられていますし、欧州各国では19世紀半ば、または1920年代から作成されてきたのに驚きます。公開されている“Human mortality database”に蓄積された38か国のデータの中で、上昇傾向以外の複雑な動きはロシアだけで他に例外はみあたりません。(図が見づらい時はクリックしてご覧ください。)

例えば2007年に生まれた人の平均寿命は軽く100歳を超えるとの予測がされています(注1)。ところが先進国の人口ピラミッドは次のような形で、高齢者をささえる若年層が不足しています。改善の努力が先進国で行なわれてきましたが、ご承知のとおり日本は先細りが直っていません。ここに示しませんが、例えばインドやマレーシアでは各国の寺院の屋根のような形、アフリカ諸国では下辺の広いピラミッドです。(図が見づらい時はクリックしてご覧ください。)

若年層が少ないと平均寿命に影響するのかちょっと気になりますし、イスラエルの人口構成がきちんとしているのにも驚きます。少し脱線しますが、疑問を解くため年齢別の死亡率を調べたところ、高齢層と若年層では桁違いの差があり平均寿命に殆ど影響しないことが分りましたので更新しておきます。下の図は日本とイスラエルの比較です。

要するに平均寿命は純粋に伸びています(米英等で最近になって横ばい気味なのが気にはなりますがきっと原因があるでしょう)。仕事時代より退職後が長くなっているでしょうし、それを支える長い「年金生活」という発想は成り立ちにくくなるでしょう。

人生が1)学び、2)勤め、3)隠居の3ステージから成るという過去の観念は捨てる必要があるでしょう。ステージが混じり繰返すような「マルチステージ」(注1)の人生が増えるというわけです。日本では15歳未満と65歳以上が被扶養層と定義されていますが、70歳、さらに80歳まで仕事をするのが常識となるかもしれませんし、年齢だけでの差別はなくしていくべきと思えます。

最近のパーソナルPMコミュニティの会合で、メンバーの徳永光彦さんがマルチステージを取り上げられたのに触発され、筆者を含め多くのメンバーが現代の人生におけるその重要性に改めてフォーカスしています。一人では気づきにくいことも皆と検討すると気づくことの典型でしょう。

若手メンバーの柳沢大高さんは、スキル修得に関する執拗な研究成果の一端を、一般向け書籍として書かれています。8月23日に発行されることになりました。マルチステージへ向けた「学び」へ正面から向き合うための格好の書となることを期待しています。

改めて身近な人たちを見回せば、マルチステージを実践している人は既にたくさん居るのに気づきます。皆様の周囲にもおられるでしょうし、考えてみれば筆者もその仲間です。それが続けられるためには健康が第一ですし、自分で考えるミッション(目的の構造化)、柔軟な思考や新しいことを受容れる姿勢などがますます大事になると思います。

パーソナルPMコミュニティでは2018年10月14日(日)の午後、「パーソナルPMシンポジウム2018」(参加無料)を都内で主催することとなりました(満席となりお申し込みを締め切らせて頂きました)。

PPM18A6

その中で徳永さんのマルチステージ実践に基づく発表も予定されています。投稿が長くなり過ぎるため、「パーソナルPMシンポジウム2018」については後ほど別投稿としてご案内したいと思います。パーソナルPMに少しでもご興味をお持ちになられたら、どなたでも気楽にご参加いただけるようお待ちしています(すでに満席となりお申し込みを締め切らせて頂きました)。

(注1)Lynda Gratton & Andrew Scott, The 100 year Life,2016. 池村千秋訳、ライフシフト、東洋経済新報社、2016.

©2018 Akira Tominaga. All rights reserved.

 

料理ができる男

ある時私はミシュラン三ツ星シェフの記事を読みました。理路整然とした 素晴らしい仕事ぶり、料理をする姿がカッコいい!以前から料理する男の姿に憧れはありましたが、”いや~無理です。できるわけないです。あなたITの人間でしょ?”などと自己批判し諦めていました。しかし、レシピがあれば一般の方でも料理はできますと言うコメントに乗せられてついに料理をすることを決意します。

俺料理できるんだぜ?なんて言えたらカッコいいな、と想像しつつまずは道具を揃えましょう。三ツ星シェフは道具にこだわります。その気になっている私は数万円の鍋や包丁を揃え、シェフのレシピ本も手に入れて、いざ料理するぞ!と意気込み、材料を調達しようとしたところ…トリュフに金目鯛に…あれ?…トリュフ?いくらするの?どこで売ってるの?金目鯛?魚さばけないけど………あぁ面倒くさい。そうして三ツ星シェフに憧れた私は包丁を握る前に挫折したのでした。

★★教訓1★★
その道のトップの話を見る聞くと一時的にできそうな感覚に陥る。そしてそれはただの妄想である。

数年後…イケメンアイドルがカッコよく料理するを姿をテレビで見ます。料理ができる男性はカッコいい!またもや料理ができる男に憧れた私は料理することを決意します。しかし、前回の教訓はいかさないと。トップレベルの料理は作れそうにないことはわかっているので今回は”男のための簡単料理本”を購入です。うん!これなら自分のレベルに合っていてできそうだぞ。その中からスペイン風オムレツを選択。なんか名前がカッコいいし、今まで食べたことないし、材料も玉子に野菜にお肉と近くのスーパーで手に入るぞ。

いざ調理を開始。調理器具は無駄に高価なモノがそろっています。下ごしらえも順調。そしてフライパンに材料を投入!野菜が結構余りそうだから多目に入れようかな。野菜好きだし、いい料理人は材料を使い切るって聞いたことがあるぞ。そしてオムレツのための玉子を投入!すると……あれ?!?!?玉子で閉じれない!!え?もしかして…野菜が多すぎて玉子で閉じることができないっ!!!その間にもどんどん玉子は固まっていきます。そして最終的にできたモノは…肉野菜炒めスクランブルエッグ。

★★教訓2★★
レシピは守れ。最初からアレンジするな。

数ヶ月後…料理の鉄人が麻婆豆腐を作っているのを目撃します。麻婆豆腐は何度か食べたことがあるし、そもそも簡単に調理できるレトルトっぽいのを見たことがあるぞ。前回の教訓をいかせ!最初はこれでいいじゃないか!豆腐にネギに簡単調理のソースを購入。レシピ通りにできた!見た目も抜群!いざ食してみると…あれ?そう言えば私は豆腐があまり好きじゃなかった…

★★教訓3★★
目標にとらわれて目的を見失うな。自分の価値感も大事にね。

数日後…誰にでもできると言われている究極の素人料理カレーライス。もうこうなったらこれしかありません。カレーは子供の頃から大好きです。器具がある、レシピがある、材料はぶつ切りするだけ、調理は材料と市販のカレールーを鍋に投入して待つだけ。。。できた。。。。そして口に入れると~美味い! でも…あれ?そういえばカレーって学生の頃散々作ってたっけ…

★★教訓4★★
自分の能力を覚えておけ!

その後…
 
今でも対外的に料理ができますとは言えません。イケメンアイドルが作るようなオシャレな料理もできません。しかし、レシピと材料があれば大抵の料理はできます。というよりもレシピと材料を見れば”自分が作れるかどうか”の判断がつきますし、どうしても作れるようになりたい場合は何回か練習すればできるだろうなとの予測が立てられます。そして何よりも料理する事自体が好きになりました。

★★最終的な教訓★★

何度失敗しても立ち上がって行動・改善すればある程度できるようになるし、新たな価値が生まれる。重要なのは動き出すこと。

振り返ると無駄な事してるなぁとも思えますが、現在の能力を考えると上記4つの失敗は本質的な失敗ではなかったと思います。できるようになるために必要な過程でした。行動したことが重要であって始める前から批判したり諦めたりするのが最も愚かなことだと。妄想だっていいじゃない!行動するきっかけになれば。最初に妄想したような”人に振る舞える料理が作れる”ようになったわけでもないですし、人に自慢することもありません。しかし、何もしない頃と比べれば能力向上は明らかですし個人的には満足しています。
 

★★簡単な分析と自分へのアドバイス★★

1回の行動につき複数の過ちを犯していますが、主な種類は大きく以下の4つです
◯自分の現状(レベルや能力種)を把握していない
◯先人の知恵に従っていない
◯目的と目標が明確になっていない
◯権威に惑わされて自分の価値感を忘れている
 
これらを踏まえて過去と未来の自分にアドバイスするとしたらどうでしょうか?
まず、格好つけたいのか、料理ができるようになりたいのかを明確にする。前者ならば、それは本当に料理で表現する必要があるのか?もしかしたらファッションでもよいのではないか?後者であれば、次に自分のレベルにあった料理を選択する。そして、本来の自分の価値観を確認し料理を選択する。これで少しは近道できそうです。

現状はabiltにより抽象化された能力習得法があるので始める前から諦めることはありません。自分の能力を形式化し、その能力を習得するまでの行動も構造化され記録されています。したがって忘れても、今後似たような能力が必要になったらそれを参照し思い出し、新しい能力習得に活かすことができます。またPPMの手法により習得までの期間を短縮したりスケジュールも管理できるでしょう。最初の行動まではいくつかの心理的要因によりますが、いざ行動を開始したらPPMやabiltのような手法を用いることで効率化できますし、心理的にもモチベーションがあがったり、楽しんだりできます。先人の知恵やテクノロジーをお借りできる毎日に感謝です。

教訓メモ解読・「全体を見直す」

「何かに失敗した際、教訓をメモに残してきたが書くと安心するのか忘れてしまう。パーソナルPMコミュニティの活動として各自の教訓(Lessons Learned)を公開することになったが思い出せない。昔書いたメモを探し出し、その教訓を書いた経緯と理由を思い出すことにした」

「教訓メモ解読」と題した短文の主旨は以上の通りである。今回は2005年11月26日に書いたメモを再掲する。

 

全体を見直し、

優先順位を付ける

バランスをとる

やれないものは断る

 

古いノートの1頁に以上の4行が大きい字で書かれていた。自分で書いたことを忘れていたので「書かれていた」と受け身の文にしておく。

抱えている案件の全体を見て大事な案件がどれか優先順位をはっきりさせる。案件には仕事もあれば仕事以外もある。仕事以外とは家庭の諸事を指す。仕事と家庭のバランスをとるには実行が難しい案件が来たとき「やれません」と断らなければならない。

4行について解説は不要だと思う。できるかどうかはさておき当たり前のことである。ノートの隣の頁には「2006年について」と題が書かれ2006年に取り組むべき案件が列挙されていた。2006年の活動計画をあれこれ考えているうちに「全体を見直し、優先順位を付けなければ」と思い立って4行を大書したのかと言えばそうではない。

4行は反省文である。これを書いた2005年11月は2003年から取り組んできたプロジェクトの打ち切りが決まった時だった。失敗した原因は色々あったがプロジェクト内の諸活動そして自分自身の諸活動について優先順位をうまく付けられなかったことが影響した。

「やれないものは断る」という1行の文字は他の3行のそれに比べやや小さい。やれない案件までやろうとしたことを反省した様子がうかがえる。

そのプロジェクトとは新雑誌の創刊であったが誰のためにどのような雑誌にするかという編集方針をまとめるだけで1年以上を費やした。しかも創刊前の試験版を数冊発行するたびに編集方針が揺れ動いた。

10年以上前のことを思い出しながら書いているが数行の編集方針をつくるのはなかなか辛い仕事であった。「こうしたい」という思いはあっても簡潔に表現するのは難しい。なんとか書き上げた方針をプロジェクト内外の関係者に見せて同意を求める段階になると色々な指摘が出てくる。指摘を方針に反映するにせよ無視するにせよ交渉や説明がついてまわる。とにかく面倒だった。

それよりは取材をして記事を書く方がはるかに楽しい。乱暴に言うと勝手に進められるからである。試験版を出すために取材と執筆活動を始めると楽しい仕事に集中してしまいプロジェクトの全体が見えなくなった。

全体が見えない様子をもう少し説明してみる。取材をして記事を書く仕事は小さいながら一つのプロジェクトである。雑誌を一冊作るとなると複数の記事が必要になる。雑誌発行プロジェクトの中に記事の執筆や編集という小プロジェクトが複数入る。それぞれの小プロジェクトにおいて取材をどこまで重ねるか、いつから書き出すか、優先順位があるわけだが記事の本数が増えると頭の中で整理できなくなってくる。

面倒なので一番面白そうな案件から取材を始める。予想通り興味深く取材をもっとしたくなって他の小プロジェクト取材の合間に予定を入れたりする。他の小プロジェクトの進行や仕事以外の案件に悪影響が出る。もぐら叩きのような状況に陥り、雑誌創刊プロジェクトへの目配りができなくなる。

プロジェクトを止めた直接の理由は採算であった。「とにかく作ってみよう」と思っていたが本来なら編集方針を早めに固め、事業を成立させる方策を検討しなければならなかった。2015年の今振り返ってみると工夫の余地は色々あったと思うが後の祭りである。

数人で構成される小さなプロジェクトへパーソナルPMは役立つ?

結論、役立ちます。なぜなら、モダンPMにおいては、組織を対象に考えられているものが多く、家族レベルの数人程度のプロジェクトにおいては、適用に当たりそのままでは使いづらいため調節する必要があります。一方、パーソナルPMの考えにプラスアルファして、対応するという方法があります。そもそも、小さなプロジェクトとはどういうものでしょうか?家族で目標を立ててその目標を達成するといったものです。例えば家族旅行、結婚式、家族ぐるみの受験などです。他に、ビジネス面で、自身が経験したものですが、「事業部門の開発投資見通しデータ作成」という業務があり、目的は、四半期毎に、確認し限られた開発費において、効果的に活用をはかることであり、開発費見通しの精度向上およびリスクマネジメントを行うものです。

プロジェクト概要は、携帯電話の各プロジェクトの開発リーダーにお願いし、集計システムツールを使って、プロジェクト毎に開発費見通しデータを入力してもらい、その値を個々にレビューして、四半期ごとに見通し値を作成し、併せて、課題やリスクを含め、経営陣が意思決定しやすいように報告書を作成するものです。メンバー3名で、主なステークホルダーは、事業部門のトップや、各部門の責任者十数名です。期間は3週間を要します。コストはほとんど3人の工数だけです。メンバー3名ですのでメンバー間の意思疎通の資料は必要ありません。

本プロジェクトで、パーソナルPMの取り組みは、まず目標設定 いつまでに何をやるかということはもちろん必須です。そのためにスコープ全体を掴む為、WBSをつくることです。WBSを作成後、スケジュールを明確にすることが必要になってきます。見通しデータ作成に当たって、課題が浮き彫りになります。 カテゴリー毎やプロジェクトごとの研究費や部門経費の内容を吟味すると、見通しと実績の違いが大きいものや、大きくぶれが発生する場合など実績を参照にしながら、今後予想されるリスクも想定し、見通しの値を確定する必要があります。ただし、組織における大きなプロジェクトのように、課題管理やリスクに対する文書や週ごとの報告書作成といったことはありません。経営者による会議にオブザーバーとして参加させていただき会議の議論内容を確認したあとで、3名のプロジェクトメンバーで、次回に向けて気づいた点(よかった点や改善点)を議論しました。

このような小さなプロジェクトでパーソナルPMという視点で考察しますと、パーソナルPMのフレームワークがよく当てはまります。注意する点は、個人で行うパーソナルPMより、気をつけなければならないのが、ステークホルダーが増えることによって、ステークホルダーの要求をしっかり掴むことが、必要になってくることです。

© 2015Mitsuhiko Tokunaga, All rights reserved.

教訓メモ解読・「大きい紙に書く」

仕事で何か失敗した際、今後気を付けるべき事をメモに残す習慣はある。ところが書くと安心するのかすぐ忘れ、同じような失敗をしてしまう。書きためた教訓を持ち歩き、暇を見つけては読み返せば良いと考え、小型のシステム手帳に教訓のメモをはさんでみた。うまくいったが、その手帳を使わなくなった途端、教訓を読まなくなった。結局忘れてしまう。

パーソナルPMコミュニティの活動として各自の「LL(Lessons Learned)」を集め、公開することになったが、なかなか書けなかった。思い出せないからである。やむを得ず放っておいたところ、コミュニティの参加者は次々にLLを書き、公開用のWebに投稿していく。集まりに出ると必ずLLの話題になり、居心地がかなり悪い。

何とかしなければと思っていたところ、週末に部屋の掃除をしている時に小型システム手帳に入れていたメモの束を発見した。それをめくるとLLがいくつか出てきた。これで書けると思ったものの転記しようとして困った。20年くらい前の古いメモなので書いた本人でも意味が分からない点がある。おそらくこういう失敗をして、このようなつもりで教訓にしたのであろう、と推測し、それを書くことにする。

1998年12月に書いたメモをまず転記する。

「手で書く ・メモ・原稿 ワープロ使わず」

「構成は頭と手で → 大きい紙に書く パソコンで無理 ×××のインタビュー」

同じ1998年12月に書いた別のメモにも似た記述がある。

「書きたいことを全部書く 打算は不要 図表にとらわれるな 大きな紙の上で一人ブレストする」

「×××のインタビュー」の「×××」には企業名が書いてあった。その企業のインタビュー記事を執筆しようとして、うまく書けなかったのであろう。「パソコンで無理」とあるから、記事の構成メモをパソコン(ワープロ)で作ろうとして果たせず、結局、「大きい紙」に手書きをして、ああでもないこうでもないと「一人プレスト」をしてまとめたらしい。

大きい紙、大きな紙とはA2版の方眼紙である。A4版の4倍だから結構広い。この上に単語を並べてみたり構成案を書き殴ったり頭を整理するための図を描いてみたりする。落書きを続けていると段々頭の中が整理され記事の構成が見えてくる。

誌面は有限だから取材した内容を絞り込まないといけないが最初は「書きたいことを全部書く」つもりで方眼紙に書き出してみる。一通りの材料を見渡さないと絞ろうにも絞れない。記事は面白くないといけないが面白く書こうと意識し過ぎるとかえって面白くなくなる。「打算は不要」とはそういう意味である。本文の構成をまず考え、図表の検討は後回しにする。これが「図表にとらわれるな」である。図や表を先に作り、それらを引用する本文を後から考えるとうまくいかない。

パソコンを使ってもほぼ同じことができるはずだが、いくら書いても頭が回らない。構成をまとめられないので次第にいらいらしてくる。うまくいかない理由の一つはパソコンの画面が小さいからだろうが、たとえA2版と同じくらいの大型ディスプレイを使ったとしても、やはりうまくいかないと思う。手を動かさないからである。

太文字が書ける万年筆でA2版の方眼紙にあれこれ手書きしたり、書いた言葉と言葉の間に線を引いたりしていると頭が動き出す。頭が回っている気がするだけかもしれないが構成をまとめられるとすっきりして気持ちが良い。パソコンのキーボードになると、いくら叩いても頭が回らないし、打ち間違いや誤変換をしてしまい気が散るばかりになる。

A2版方眼紙を使うようになったのはたまたまである。20年以上前、所属していた編集部に大量に置いてあり気が付いたら使っていた。当時は雑誌に掲載する一覧表をその方眼紙に手書きし、それを制作会社に送って図や表を作ってもらった。その後パソコン上で表を作るようになり編集部の面々は方眼紙を使わなくなった。放置されている方眼紙を使い続け、事務所の引っ越しがあると自分の荷物として方眼紙を運んでもらった

何年も使っていると方眼紙の残りが少なくなっていく。この紙が無くなったら記事を書けなくなる、と冗談を言っていたがついに無くなる日が来た。だが、幸いにも別の方眼紙が手に入った。経営コンサルタントの大前研一氏が自らデザインした方眼紙である。雑誌の仕事で大前氏に取材をした際、発想法の話になった。仕事をしている部屋を見せてほしいと頼むと大前氏は自分の机がある別室に案内してくれた。机の上にはA2版の方眼紙が置かれていた。

電機メーカーの研究員から米国のコンサルティング会社へ転職し、コンサルタントになってからその方眼紙を考案したという。升目がかなり大きく、紙の端に英単語がいくつか印刷してある。その単語を眺めると頭が回る、大前氏にとっての「おまじない」だそうだ。欲しいという声が寄せられたため大前氏はその方眼紙を販売していた。早速購入し、それ以降、大前氏特製方眼紙を愛用している。ただし大前氏ほど頭が回っているとは思っていない。

(c) 2015 谷島宣之 All rights reserved.

引っ越し

先日、引っ越しを行いました。
押し入れから、十年前の引っ越しから開封されていない箱がいくつも出てきて、まるでタイムマシンの様でした。箱を開くと「あーこんな所にあったのか」と、その存在を思い出し過日の記憶と共にノスタルジーに浸りました。すると断捨離の決意も鈍り、作業が進まなくなり、引っ越し荷物も膨れあがっていきました。

そんな中で引っ越しの前日には、引越準備作業の遅れが顕著になり、とりあえず箱詰め優先という方針にせざるを得なくなりました。
あちらこちらから出てくるクリップやらペンなどの小物を整理する時間を惜しむあまり、それらをゴミ箱に入れてしまいました。

引っ越し後には、百二十もの箱のどこに何が入っているのかが分からなくなり、コップや皿が見つからない、フライパンはあっても油が見つからないなどで、直ぐに食べられるものを買ってきて食事を終わらせるという、キャンプの様に不便な生活になってしまいました。そんなときにコミュニティのメールで、ベンジャミン・フランクリンの十三徳が紹介されました。特に「規律、物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。」は当を得ていて刺さりました。勝手な想像ですが、偉人が引っ越しをしたら、「○○引っ越しセンター」を軍隊のように整然と統率するのではないかと想像して苦笑しました。

最後に引っ越しから得られた教訓を以下にまとめました。

  •  人の脳は、キーになる情報があれば、かなり昔のことでも思い出せる。
  • 使える物でもアクセスしにくいと使わなくなる。使わなくなると使えなくなる。
  • 同じ物でも数や種類や品質が揃っていると価値が高くなり、そうでないと価値が低くなる。
  • 同じ物でも時と場所によって価値が高くなったり、低くなったりする。
  • 近くに物があっても中身が分からなければ、使う事ができない。

以上より、記憶に残るキーとなる情報、整理整頓、アクセス容易性、メンテナンス、オンデマンド、ボリューム、ラインアップ、インデックスに価値があると言えるでしょう。また、「物」を「人」に置き換えても通じるところがあり、考えさせられました。

走りながら考えるときでも成算をもちたい

人生で使える時間は限られています。そのことを強く意識するのは、中年以後という場合が多いかもしれません。実際私もそうでした。加えて、時代の変化として気づくのは繁忙感が次第に増すという現象です。

年齢による生理学的変化も一因でしょうが、かつてdog yearなる言葉が生まれたように、世の中の変化が実際に速くなっていることも明確な要因でしょう。そこで、Agile PMが適するプロジェクトもあれば、要件を早く固定することが難しいプロジェクトも増えるわけです。

「走りながら考えよ」という言い方にも一理あるといえましょう。ところが、走りながら考えるのは着手が早く進み方が速いと本人が感じても、実際には完了までの時間が長くかかることが多いのに気付いています。To do項目の実行に要した時間を記録するのが私の長年の習慣となっていますので、それがとくに気になっています。

対象にもよるでしょうが、実際、設計なしにプログラムを書くと早くできるように感じても、結果として完了が遅いことが多いものです。ごく最近、設計なしに電子工作をやり、そのありふれた教訓を今更ながらいやというほど味わいました。

同時に、プロジェクトには成算(prospect, self-efficacy)が必要であると思います。たとえ可能性が小さくとも、そういう筋道が全くないならば、ラッキーなときだけ成功ということになりかねません。成算は設計図を書かせる動機づけだと思います。そのような教訓をまとめたいわけです。「生活の知恵」としての教訓も色々ありますが、個人プロジェクトの体系だった知恵にまとめる、つまり構造を伴った形式知とすることが人の役にたつと考えています。そのために私たちはパーソナルPMを体系化する努力をしています。

知恵を人が使える形式知にするには、特定の体系(BOK)や目次に収容する必要があります。PMではそれがPMBOK、ICB(IPMA Competence Baseline)、Prince2、ISO21500、あるいはIPMA傘下の各国PM団体がもつNCB(National Competence Baseline)などです。

個人の領域では、18世紀にはベンジャミン・フランクリンの13徳があり、その後は例えばジェームス・アレンの原因と結果の法則をはじめとする成功哲学や、現代のミクロ組織論に至るまで、様々な知恵が存在します。個人向けの自己啓発や成功哲学の中には、仮説や主張と考えるべきものも見当たります。

モダンPMで重要な点は、多くの実践の積み重ねから集約されたプロジェクトの知恵であることだと思います。そこが主張や仮説とは一線を画すると思います。私たちがパーソナルPMをモダンPMの一領域である形式知として確立したい理由はそこにあります。これを人生の限られた時間で作るのにチャレンジをしているわけです。

©2015 Akira Tominaga. All rights reserved.

一つの失敗からたくさんの教訓を学ぼう

この会場に通って今日で3日目です。前日と同じようにタクシーに乗り込み駅まで行きました。駅に着いたのは夕方の5時半過ぎでした。ここからホテルまでは列車に乗って1時間半ほどかかります。この会場での仕事も最後なので駅前で食事がてら軽く飲んでいこうということになりました。駅傍のビヤホールのドアをあけ、地ビールとソーセージの盛り合わせを注文しました。今回の出張のメインの仕事を終えたということで緊張感からも解放され実にうまいビールでした。当然ですが、そのあとに起きることは想像にもしていない二人でした。駅に入り、私たちの乗る電車が10番線から10分後に発車する事を掲示板で確認しました。階段を下りて、そのホームに着くと既に列車は入線していました。たしか真ん中あたりの車両に乗りんだと思います。これから1時間余りの列車の旅です。仕事が終わりおいしいビールを飲んだ私たちは、あしたのスケジュールというか、仕事が終わってからの夜の計画を話し始めました。しばらくすると、同じホームの反対側の番線に列車が入線してきました。私たちは特に気にも留めず、明日の晩はどこに行こうかという話にはずんでいました。そして、列車が発車しました。ここは、ドイツのハノーバ駅のホームです。私たちはハノーバメッセの視察という目的で出張に来ていました。メッセの視察は3日間でその日が最終日でした。今回の出張の楽しみは4日目以降でした。そうです明日からはパリです。当時会社が新しいサービスを模索していた関係でフランスの通信会社が始めたODVのサービスの調査をすることにしていました。なぜ、今列車に乗っているかというと、メッセが開催されるこの時期はハノーバ市内のホテルはまったく予約がとれなません。また相当な金を払わないと泊まれません。そのような必然的な理由で、私たちはハノーバーからICE(Intercity-Express)いわゆる特急で1時間半近くかかるハンブルグ中央駅のそばのホテルに宿泊していました。東京に泊まって名古屋まで新幹線で3日間通ったようなものです。

話は戻りますが、そうこうしているうちに、私たちを乗せた列車が発車しました。私たちは、4人がけのボックスシートに陣取りました。ドイツの列車には、ボックスの中央に設置されたテーブルにその列車の時刻表が置いてあります。つまり、その列車の停車駅と時間等が記載されている固有の時刻表が印刷物で用意され、それが座席ごとに置かれているわけです。初日に乗ったときは随分ときめ細かなやり方だと思いましたが、初めてでも何時にどこに着くのか理解できるのでとても良いサービスだと思いました。さて、ハンブルグ到着時間は何時になるか、確認しようと時刻表を見ました。表記はドイツ語と英語です。駅名と時間だけですから誰でもわかります。その時に,初めて何が起きたか理解しました。時刻表にHanburgという単語が見当たらないのです。目に飛び込んできたのはBerlinという単語でした。どうも私たちは電車を乗り間違えたらしいのです。ハノーバ駅でしっかり確認したはずなのに・・・と私は思いました。でも、よくよく考えてみると、1つのホームには両側に番線があります。例えば1番線と2番線は同じホームです。列車に乗り込むときに本当に10番線だと確認したのか、9番線ではなかったのか、でも二人とも迷うことなくこの列車に乗り込んでしまったではないか?そしてその時には全く気にも留めなかった反対側の番線に入ってきた列車が私たちが乗るべきHanbugに連れ帰ってくれる列車であると、理解したわけです。
ちなみにハンブルグはハノーバの北方向約180km、ベルリンはハノーバの東方向約300km。
方角を時計の針で表現することがありますが12時の方角に帰るつもりが3時の方角に歩いていた、というようなことです。しかもこの列車はICE(日本の新幹線のようなものなので)次の停車駅はまではあと40分。ということが時刻表から読み取れました。

さて、LLの話に移りますが、この失敗の理由は、“思い込み”でした。
ホームに来るまでは何も間違いはなかったのです。その列車内での反省会の結論は、二人とも確たる根拠もなく停車中の列車を、ハンブルグ行だと思い込んでしまったということしたで。相棒の言い分は、「だってTさんが自信ありげに迷いもなく乗り込んだので、私はついてきただけですよ」そして私の言い分「だって君が確認したかのように、この列車に乗ろうとしているようだったので乗っただけだよ」つまりお互いにお互いを信じて、迷うことなくハンブルグ行だと確信していたという、ダブルの思い込みの結末でした。

私はこの列車乗り間違えの失敗経験からいくつかの教訓を学びました。

【教訓1】「思い込みは人を誤った道に進める落とし穴である。」
これは、仕事の中でもプライベートの人間関係などでもよく経験することです間違った思い込みは、必ず、失敗の原因となります。大事な友達を誤解という思い込みで失った人もいます。たとえ確認することが難しい場合でも勇気をもって確認しましょう
【教訓2】「大事なことは他人に頼るな、自分の目、自分の耳で確認せよ」
プロジェクトマネジメントにも通じる教訓です。他人の報告や、不確かな情報だけで重要な判断をしないようにということですね。
【教訓3】「赤信号みんなで渡れば怖くない」はとても危険」
人は皆で同じ行動をしている時に何も考えなくなることがあります。気も大きくなります。そして物事の善悪がつかなくなる場合もありますね。しかし、赤信号をみんなで渡れば恐怖心はないかもしれませんが、違反です。危険です。トラックが突っ込んできても言い訳できませんし、場合によっては命を落としかねない悲惨な結果になります。今回も、もしも、一人で来ていたら番線をきちんと確認するなり、乗り込む前に列車の行先を確認し列車を乗り間違えることはなかったでしょう。二人という状況がこのような思い込みと安心感を生み出したのかもしれません。

さて、乗り間違えに気づいてからの顛末は・・・・・
私たちは本当にこの列車がハンブルグには行かないのか、まず車掌さんを探しました。ちょうど検札にきた若い車掌さんに聞いたところ、英語が全く通じずさっさと行ってしまいました(ドイツでは若者は皆英語が話せると聞いていたのですが、これも間違った情報だったようです)。彼はしばらくして英語の解る別の車掌を連れてきました。しばらく話しをするうちに私たちの一縷の望みは消えてしまいました。やはりこの列車はベルリン行でした。そして、次の停車駅まではあと30分余りかかること、次の停車駅で降りてハノーバまで戻り、ハンブルグ行の列車に乗り換えるしかないということ、そして次の停車駅からハノーバ行の列車が何時でるのかはその場ではわからないこと、を私たちは理解しました。しばらくして停車した駅はICEが停まるにしてはやけにさびしい、薄暗い周りが野原のような印象でした。駅員を探してハノーバ行の電車の発車時刻を聞くと、あと1時間くらい後だと告げられました。やっと乗ることができたハノーバ行の列車はいわゆる普通列車でした。車内もなんとなく汚れていて、ハノーバまで何駅か停まり2時間近くの時間がかかりました。そこからしばらく待ってやっとハンブルグ行のICEに乗ることができました。結局ホテルに着いたのは12時近くでしたが、一応その日のうちにリカバリーできたということで、明日のパリの夜を思いながら二人で祝杯をあげた次第です。

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