作成者別アーカイブ: 冨永章

気を付けよう 年齢(とし)でゴマする 体重計

私は、毎朝起きてすぐ体重を測ります。なぜなら夕食後の風呂上りに測るよりも体重は軽く、かつ体年齢も若く出るからなのです。この話は途中から少し怖い話になるかもしれません。途中をすっ飛ばして読んでいただいても構いません。

ディジタル体重計で他に表示される骨格筋率、体脂肪率、内臓脂肪率等にはあまり変化はなく見えますが、朝はなぜか若くでます。物理的に軽くなるうえ、両足間のインピーダンスなど非表示の値も関係しているかもしれません。測る時の体調により体年齢に±1~2歳の変化が出ますが、高く出る場合の殆どは目標体重よりも重い時です。体重が目標値に近づく時には若く出て、何となく元気が湧きます。結局そういう時間に測る習慣となるわけです。

体重計は私の生年月日を知っているので、誕生日にいったん前日の表示に1年が加わります。何はともあれ、朝一番に体年齢50代と表示されるのは楽しく、20歳も若く出ると年齢を忘れ仕事もはかどります。そういう心理面を考えた表示を工夫しているのかとは思えますが、これでは他の体重計を買う気になれませんね(笑)。

その後で血圧を測るのが前からの習慣ですが、最近は省略しがちでした。あまり変化がないため、忙しい時は体重計で体年齢が低く出るだけで、つい安心して省略するようになっていました。このできごとの日まで少し無理な仕事が続き、電子機器の製作で何度か未明に及んだりして、睡眠時間5時間未満のことが1~2か月ほど続きました。好きな仕事でもあり、そして体年齢も若く表示され続けるので、元気よく仕事に邁進していたのでした。

その日は、午後のリモート会議の開始まで、朝から頭はよく回り仕事がずいぶん速くはかどっていました。それでも、ひょっとして・・・と開始前に血圧を測ってみてびっくり、150を超えてます。ついでに体温は36.5℃で平熱より0.2~0.3℃高いですが、血中酸素濃度99%。血の巡りが良いわけかな、などと考える間もなく会議がはじまります。深呼吸をしてそのまま開始です。会議中に血圧がもっと高いかなとちらりとは感じたのですが、1時間半後に無事終了。

夕方から寒くなり、会議後すぐにちょっと鼻をかんだところ、あれ、鼻血が少し出ています。さらにかむとぼたぼたと落ちたいへん。鼻血はここ数十年では初めてで、どうやって止血するかとっくに忘れています。タブレット端末に尋ね、うつむきで小鼻を抑える止血を20分行いましたが、一向に止りません。さらに続けましたが鼻の奥から口へも流れ、たいへんなことに。病院がとっくに閉まった時間なので、妻と相談し息子の家に電話してもらうと、すぐに救急隊を呼んでくれ10分もかからず到着しました。

このアクション、とても大事でしたね。以後その特別な電話番号などを書いてよく覚えておくことに。ともあれ、救急隊員は救急車内で同じ止血法をさらに強く行い鼻が痛いのなんの。血圧や酸素濃度を同時に測りながら行いますが、気が動転し190以上の血圧が表示されています。こんなに高くなるのか!と驚くとますます高くなります。「落ち着いて口から深呼吸!」と何度か言われても口は血でふさがり時々吐き出す必要がありました。

15分続けてもらっても止まらず、救急隊員曰く「このまま救急病院へ向かいます。現時点の受け入れ可能先へは1時間近くかかりますが、鼻血で死ぬことはありませんから落ち着いて辛抱を」。なるほど、救急隊員はさすがに落ち着いて本当に良い仕事をするものです。

サイレンを鳴らして近所の人たちが出てきましたが、この際はすべて無視。タオルで鼻・口全体を強く抑えたままじっと我慢です。ガタガタ揺れるたびに漏れるので困りましたが。

ようやく某大学病院の救急医療入口に到着し、担架に座ったまま中に通されましたが、歩けるので担架を降り靴を履いて少し待ちました。医師と看護師がてきぱきと作業を開始。出血元を見つけるために真っ赤に濡れたタオルを廃棄し、鼻孔内を麻酔するとのこと。

それからは鼻の内視鏡を何度も出し入れしました。痛くて目をきつくつむると「鼻孔も狭まるから目を開けるように」と何度か言われました。視界がスクリーンに良く見えますが、すぐぼけると取り出してレンズを清掃して入れ直すのでした。なかなか辛いのので思わず声を出しますが、医師は粘り強く続け、ついに見つけました。鼻孔の入り口よりも深い中ほどの動脈壁からとのことで、さすがです。

時々鼻孔を掃除しつつ電気メスで焼結3回。3回目は若い医師が行いましたが、その時だけ電極を握った右手が感電して驚きました。出血は止まったようです。しばらく動けず、撮った写真などを見せてくれた後、左鼻孔に詰め物をいれてから待合室へ移動して待機。15分かと聞いた待機時間はなんと45分ぐらいでした。解放されたらもう22時を過ぎ、自宅に戻れたのは23時でした。出血後のためか多少フラフラでしたが、まずはベッドで上半身を起こしたような形で休みました。

3日間入浴禁止、鼻かみや鼻いじりは厳禁、運動を避け血圧を上げないよう、との指示を守り、3日は食事以外ほぼ何もせずひたすら椅子に腰かけて読書して我慢していました。そうすることでもちろん血圧は120未満に落ち着いていました。昨夜からようやく風呂に入れることとなり、急ぐ仕事をしようと考えたら、なぜか別の急用が勃発し、今これを書き始めるまでばたばたしていました・・。

さて、この教訓はたくさんあるのですが、体の状態は適当には推測せずちゃんと測って知るべきことと、リスクへは早く対処することの重要性を再認識した次第でした。老年に限りませんが、健康診断の大切さは言うまでもありませんし、血液検査なども大事な信号を見逃しにくくするわけですから。

考えようによっては今回は危険信号で幸いだったのかもしれません。無理をし過ぎない生活に至急直していきたいと反省しきりです。ついだらだらと長く書いてしまいましたが一言でいうなら、「忖度体重計」だけに頼るとリスクを見落とします。

©2025 Akira Tominaga, All rights reserved.

丁寧に やれば楽しめ 結果出る

「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉には、年老いて気づく初心も含まれるそうです。その部類の私には「嫌々やりがちな作業も丁寧にやれば楽しめる」という気づきは、改めて新鮮です。

嫌々やると「へま」をしがちな作業でも、心を込めて丁寧にやればきれいにできるし、作業自体が楽しめます。

最近は好きなマイコン関係の仕事をしていて楽しみながら没頭しがちですが、忙しいと他のことがついぞんざいになり義理を欠いたりします。個人としての優先順位付けが間違っていることにハッと気付き、直す工夫をしていますが、これは別途改めて書くとします。なにせ忙しいですから(笑)。

中学時代の仲のよい友人Hが、酷暑の中、自分の避暑地で採れた新鮮野菜をたくさん持って久しぶりに訪ねて来ました。帰りがけの彼の紙袋にコピーの束が入っているのに気づき、聞いてみると自分の随筆とのことです。時々奥様に見せても興味を示さないので、自分自身が老後に読んで楽しむために溜めているとのことです。ざっと読ませてもらうと他人が読んでも面白そう。彼らしい絵やユーモアが楽しめそうですし、彼の友人多数も登場。思わず「電子本にして出版しよう!」と勧めてしまったのです。

作業日付を都合の良い午後で数回にわけることにしました。そしてその1回目に、「探してみたが電子ファイルはない」とわかり、さあたいへん! しかしこれは彼の「生きた証し」にしようと言いつつ、2人でスキャナーでのOCR変換から始めました。出版まで後3回ぐらいでできると考えました。本人は誤植訂正や校正が多いので結構たいへんでしたが、手伝った私もツールへテキストや絵を入れ込む作業と修正をひたすら行い、中を読む余裕はありませんでした。4週後、4回目の作業でePub完成にこぎつけその場でAmazonの出版処理をして、2人で万歳した後乾杯に出かけました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0DGF5RQHQ(サンプルが読める)

さて、私は忙中に単純作業の連続を飽きずにこなせたのは、相手への日頃の感謝だけでなく、上に書いた「丁寧にやれば必ず楽しめる」という法則を時々確認すべくやっていたからにほかなりません。まさにその通りでした。

とはいえ、それだけでは多忙を乗り越えることにはできません。新たな知恵はないかと改めて色々考え試していますが、その気になれば色々あるものです。それらについては回を分けてまた書きます。なにせ読まれる皆様と同じく多忙中ですから(笑)。

©2024 Akira Tominaga, All rights reserved.

知恵積もり やる気の出し方 再検討

この2年間ほど、年甲斐もなくIoT設計・開発の仕事をしています。個人作業が多いので、パーソナルPMについて改めて気づいた大事なことが色々あります。

その一つは、何事にも楽しく向き合うという習慣の重要性です。構想を作る際、固定観念に囚われたり過去の方法に固執したりすると、楽しく向き合うのは難しいことに気づきます。そして楽しんで取り組めない場合は、良い発想があまり生まれません。そのことは仕事だけでなく、例えば身の回りに勃発した事象への処し方にも類似性があるのに気づきました。

この記事ではそういう事に最も関連する、パーソナルPMでの「やる気の出し方10選」を採り上げたいと思います。

「やる気の出し方10選」の経緯:

パーソナルPM研究会では2009~2010年にかけて、皆で「やる気の出し方」を追究しました。個人がやる気をなくしたというメンバー自身の経験など、88件の事例を集め、類似性により24のカテゴリーにまとめました。いっぽう、やる気を出す方法は多数の関連書籍とWebから大量に集め、全体を22に分類しました。両方を縦横にした24x22のマトリクスについて、マス目毎にやる気を出す方法がどの程度効くのかを評価し、メンバーで点数付けをしました。

評価ではハーズバーグの二要因論(やる気をなくす要因とやる気を出す要因は違う)を考慮し、やる気喪失を防ぎながらやる気を出す方法を重視して評価をしました。検討結果の上位10個の方法」を「やる気の出し方10選」として抽出したものが、パーソナルPMフレームワークの活動N:「自分自身への動機づけ策の確立」の知恵の中に収容されています。

だんだんと積もる知恵:

それから10数年経ち、少し直したい箇所が生じています。当時から、これとは別に活動O:「やる気喪失への予防と対応策の確立」を別途掲げていますが、研究会ではこれまで、やる気喪失は単に予防するだけで片付くような領域ではないとの認識がされてきています。そして昨年、新たに活動Z:「苦境からの立ち直り」がフレームワーク内に定義されました。実はその途端、メンバーからその知恵に関するLLがたくさん出てきたのです(^^;

また、やる気の出し方については新たなメンバーによる有益かつ新鮮な気づきも挙げられています。つまり新たな知恵がだんだん積もってきているわけで、それらも踏まえた上で、最新の「やる気の出し方10選」へ更新する価値がありそうです。

「やる気の出し方10選」を決める手段の進歩:

世の中の繁忙感は年々増し、当時のように参加者全員での十分に時間をかけた議論は難しいかもしれません。ですが、今では生成AIなどの助けも借りられます。

これまでの10項目について、やる気を出す他の項目との入れ替えはとりあえずせずに、試しに10選を並べ直してみます。まずは10の各項目について、背景の説明も生成AIに入力しておき、語句自体を吟味すると次の改善ができることがわかりました。

「人に宣言」は「他人に約束」の方が意味が分かり易い。

「とにかく行動」は専門的な見地からは「とにかく着手」がベター。

「他人のためにやる」は本来「相手のためにやる」ということ(そしてその相手は人とは限らない点も示す配慮がいる)。

さらに、これらの更新した語句による10選のの順番を検討すると、生成AIからは次の答えが戻ってきます。

「他人に約束」の順序が下位に転落したことに疑問を感じ、AIに聞くと「義務感が生じるために最終的には逆にやる気をなくす要因ともなる」という答えでした。な~るほどと納得できそうです。

これを糸口に、今後は選外だった項目との入れ替えも視野に、新しい手段を駆使しながら、さらなる更新へメンバーの皆様と向かっていきたいと思います。

 

©2023 Akira Tominaga, All rights reserved.

画像

金魚から 仕事を楽しむ コツ学ぶ

かつて私は2匹の金魚を10数年間飼っていました。金魚が人になつくと思う人は少ないでしょうが、飼い主の私にとてもなつきました。息子たちが金魚すくいをした和金ですが、面倒をみなくなったので私が世話を始めたと思います。1匹は灰色の鮒尾のオス、もう1匹は白に赤がきれいなメスでエラの一部が欠けていました。
金魚は水温変化に弱いですし、水道水を使う時はカルキを抜かないといけません。水槽を清掃するのにも結構な時間がかかります。金魚の飼い方に詳しくはありませんが、仕事が忙しいため水交換を短時間で行う工夫を色々しました。結局、大きめの同じ水槽を2つ揃え、両方に常に水を張り同じ水温に保つことで、いつでも清潔な水槽に交換できる態勢にしました。予備水槽は使用水槽に近い場所に1週間程度置くので、水道水をハイポで中和したりする必要もなくなりました。
2匹は次第に飼い主に慣れ、水槽間を移す際に手ですくっても大人しく従うようになりました。少しでも水カビなどの異常を発見したら、声をかけつつガーゼに寝かせ、綿棒で清掃し薬をつけて治しました。そのうちに飼い主にだけ特別な反応をするようになりました。仕事で深夜に帰宅しても、金魚は気づいて起きて来ては尻尾を振り、体中で嬉しそうな身振りをするのです。深夜には餌など決してあげないのですが。遠くから手を振ればいつでも反応します。しかし他の人が色々やっても何も反応しないのです。
ある夜、遅くまでお酒を飲み合った同僚がわが家に泊り、金魚のその様子をみてびっくりしました。しばらくしてメスは卵を産みました。実はそれでオスとメスの区別がはっきりわかったのですが。たくさんの卵を、記憶が正しければ1日以上そのままにしたところ、多分オスが犯人ですが全部食べてしまい残念なことをしました。ともあれ飼主に特別になついたので、ますますかわいがり丁寧に世話をしました。

金魚が12歳あたりからだったでしょうか、オスは時々居眠りをしていました。餌をもって近づくとメスはまずオスをつついて起こしてくれるのでした。そして、仲の良い2匹は14年ぐらい生きました。
金魚を飼って気づかされたことが色々ありました。その一つが、相手の立場の「相手」とは人間だけではないということです(植物でも成り立つ)。そしてごく最近ですが、尾関宗園氏の「心配するな、なんとかなる」という本に、目から鱗が落ちました。「相手の立場」の相手とは、鉱物だろうと数学などの抽象的概念だろうと、相手であると考えるだけで作業が楽しくなるというのです。
勝手に解釈すれば、相手と考えることで、心をこめて丁寧な扱いができるとの説話です。それがその本の「はじめに」の2ページ目に出ます。考えてみれば、実はこれを読んだからもう忘れかけていた金魚のことを思い出したのでした。つまり何事も「相手」であると考えることによって、たとえ嫌な作業でも楽しんで行うことができるというわけです。よく考えると色々なことに当てはまるので、その通りだなと気づいた次第でした。
回りくどい話で失礼しました。

 

©2023 Akira Tominaga, All rights reserved.

論理より 心を込めたら 良い結果


マイコン大好き人間の私は、年甲斐もなく最近はIoTのプロジェクトにどっぷり漬かっています。ですが、試作機の作成には基板作りや、あまり好きでない細かいはんだ付けがつきまといます。長く続けて作業すると、ついいい加減なはんだ付けをして、テストの結果は時間の浪費と「はんだ吸取り」、そして再作業につながります。

過去にそういうことはあまりなかったのに、長期間続けたためのマンネリ化でしょうか、一度そうなると作業をバタバタと急ぎ、悪循環に陥ります。そして遂に締切りに追い詰められて、やっと気づきました。「早く終えたい一心で、作業を丁寧にしてない!」Haste makes waste.*そのものです。

気づいて「急がば回れ」に徹することにしました。「どっちみちこの一晩しかないから徹夜も覚悟。念入りに作業しよう。」と腹が据わり、まずは周囲をきちんと片づけそして再開です。

 

作り直した基板で、1枚約80か所のはんだ付け作業です。気持ちを引き締めて始めました。作業を丁寧に間違いなくやるというわけです。少しでも心配な箇所が出れば、その場で完全な形にしてから次へ行きます。

そうしているうちに、嫌な作業がなぜか楽しくなるのに気づきました。初心に帰ったような気分です。同じペースで4枚を最後まで続け、結果的にはどれも欠陥ゼロで完成、気持ちよく一発稼働。おまけに睡眠も短時間とはいえとれました。

作業に心を込めるとは、まさにそういうことでした。それ以来、面倒だった作業が気持ちよくできています。一事が万事で、「嫌がらず落ち着いて丁寧にやることは、仕事を楽しくする大事なコツ」ですね。共同作業でも個人の作業でも、目の前の仕事に心を込めることが大切、ということを、改めて思い起こした出来事でした。

*注)”Take time for all things: great haste makes great waste.” (Benjamin Franklin)

©2023 Akira Tominaga, All rights reserved.

寝る前の 英語のテープ 子守歌

高校時代に、何がきっかけか忘れましたが英語のヒアリングを無性に勉強したくなりました。当時の教材は主に高価なレコード(!)で、貧乏学生にはネイティブ英語を聞く術は乏しかったものです。教育番組を定時に聞くのは効率が悪いし、極東放送(当時FEN)は音楽番組が多く、短い早口のニュースは初心者には今一つでした。

そんな時、中学生だった妹がたまたまイギリスのペンパルと文通を始めていて、返事を書くのに苦労しているのに気づきました。そこで兄が時々割り込み、返事を書かせてもらうことにしました。

そのうちにいいアイデアが湧いてきました。当時出た一番安いナショナル小型テープレコーダーを、苦労して貯めた小遣い全部をはたき、やっと手にいれました。そして小さなリールに録音したものを、思い切って手紙に添えて先方に送ってみたのです。中身には「もっと英語の勉強をしたい。いくつか文章を送るので読んでテープに入れてくれませんか?」と録音して。

兄妹のへんな英語を相手は却って面白がったようです。返信をテープで送ってきました。「もちろんOK。文章送ってください。」それは助かるなあ! まずは参考書「英作文の修行」(兄のおさがりでした)の例文を数十個送りました。返信で全部読み上げて送ってくれました。やったぞ!とても有難いテープです。寝る前に繰り返して聞いた結果、全部丸暗記してしまいました。

先方はSheffieldに住んでいたLynda Robertsさんで、小学校教師を目指して勉強中でした。結局のところ、例文を5回以上に分けて、数百あった全部を書いて送って読んでもらいました。相手が読める字を書くのは大変でスペースも食います。途中からは兄のタイプライターを借りて打ちました。そして読んでもらったものを同じように寝る前に繰り返し聞いて、丸暗記しました。それでずいぶん力がついたように思いました、自分が言うのもなんですが。ただ、英語を聞くと眠るという癖もついたように思います。

文通はその後も間歇的ながら長く続き、先方は無事に小学校の教師となり、結婚するとの、近況を知らせる長い手紙が来ました。こちらは大学3年頃でしたが、祝電とお祝いメッセージを録音したテープなどを送ったと記憶します。

それからまた4年後ぐらいに、Lynda Hughes婦人の長い手紙が来ました。こちらは私が仙台に赴任直後で、前の宛先住所から転送されてきました。手紙には、ついに親の家から独立し家を買うことや、テープを送ってないのを気にしていたが、旦那さんのGeoffの協力でやっとテープを作り別送したなどです。

そのテープを期待してしばらく待ちましたが届きません。調べると郵便局の転送期限が過ぎたためとわかり、結局行方不明でどうにもなりませんでした。残念無念でしたが記憶にあるのはそこまでです。最近SNSなどで先方の所在をさがしてみましたが今までのところ見当たりません。

ところで当時の自分の英語の勉強について考えてみれば、会話学校とか、まして留学など到底あり得ない貧乏な環境です。しかし「貧すれば鈍する」とはならないようトライした結果、よい機会に恵まれたと思います。「窮すれば通ず」で先方には今でも感謝。何事も、とにかく挑戦してみるに限りますね。

©2022 Akira Tominaga, All rights reserved.

ゐなか者 来ないフライト 待ちぼうけ?

いろはかるたの中程にある「ゐ」を使ってみました。それほど古くはないですが、年寄の自慢話の類に属します。1984年3月、30代の時です。お客様の現場をたくさん経験し、私は挑戦意欲満々。一介のSEなのに、プロジェクトの隙間でSE用のシステム開発ガイドを作りたくなりました。思い切って役員に上申したら承認されて予算がつき、半年ほどそれに没頭しました。この話はその時に強く認識した教訓です。

成果がまとまってきて、米国社内のエキスパートとのすり合わせを命じられました。エキスパートの方々の人選は、ダメ元で研究所(脚注*1)に出向いて、そこのマネジャーに快く助けてもらいました。紹介された人達は皆、後で斯界のリーダーとなられた方々で、的確な人選に今でも感謝しています。事前に電話、社内便、当時の社内eメールなどでやりとりした後、先方3名とそれぞれ面会し同意を得る形になりました。

次の図は汚いですが、自分用の日程表からその出張部分を切出したもの。クリックすると大きくなります。

出来事は16日のポケプシーで起きました。

行きの飛行機は小さなプロペラ機でびっくり。乗客は数名で操縦席が見えました。途中揺れまくるので、乗客の一人は「この古い飛行機を落ちるまで使うんだね」との冗談も。

ともあれポケプシーに到着。目的の建物をやっと探し出し、半日の打合せは無事に終了。その帰りです。雪が降りしきる小さな空港で20時のフライトを待ちましたが、それはなかなか飛んで来ません。1時間過ぎても来ないのです。他に旅客が誰もいないので心配になりました。公衆電話から航空会社に電話したら、なんと「フライトはキャンセルの予定ですが・・」。え?

「搭乗券は往復発行されたのに冗談でしょ、凍えそうなのですぐ来て欲しい。今日中にNYに帰る方法が他にありません・・・」。先方は「機体整備が遅れているし搭乗客は1名。車ではダメですかね?」。こちらは「夜遅いのでそりゃ無理、何とかお願いしますよ」。必死の頼みに「お客様、どちらから?」「日本の田舎から一人で・・」とか、だんだん雑談になりました。

そのうちに相手もしかたがないと思ったのでしょうか。しばらくすると「今機体整備が終わったので向かう。1時間ほど待ってください。」やれやれです!コインを食べまくる電話の操作も大変でしたがこの際は仕方なし。1人だけのために空港は閉じられなかったのですが、暖房はとっくに消されて寒いのなんの。しかし電話してよかった!もし何もしないとどうなっていたか?待ちぼうけの結果キャンセルが表示され、ゐなか者が夜中に宿を探す羽目になったかと思うとぞっとします。

そんなことは色々ありましたが、そこでますます確信したLessonsがあるわけです。「ダメ元で挑戦する」ことがなければ、こんなに珍しく、また本当は楽しい仕事の経験はできなかったでしょう、ということです。

ついでに古い資料ですが、日程表にたくさん挟んであった社内ITPS(国際テレックス処理システムだったか、忘れました)受信票の一例です。

発信者R.Taboryはワトソン研にいたソフトウェアの権威、一介のSEの求めに対し、気さくに迅速に応じてくれるのが凄いと思いました。ダメ元で挑戦してみるからこそ、初めて何らかの機会がやってくることを実感したのでした。

世の中は余裕も隙もない現代へと向かってきたように見えます。こういう恵まれた環境は今や多分どこにもないでしょう。しかし、ダメ元でやってみるという勇気は、物事を前に進めたりカベを打破したり、場合により苦境から立ち直るチャンスを作ることは確かです。今個人事業を始めて15年、好きなことを楽しみながら苦労を重ねていますが、この教訓がどこでも役立つことをしばしば確かめてきた次第です。

注*1: Japan Science Institueで東京基礎研究所の前身。当時千代田区三番町にあった。 Laszlo Beladyはそこのマネジャー。略称Les Beladyさんは世界中で長らくご活躍され、その後も何度かたいへんお世話になりました。

©2022 Akira Tominaga, All rights reserved.

財布を家に忘れて来た!

「嫌な失敗はさっさと忘れ去る、そのためには思い出さないこと」を長年実践していました。ところが失敗録を書こうということで、ついに思い出してしまいました^^; ある日お客様とのある周年祝賀会がありました。遠い昔のことかと思いましたがなんと僅か4年前、2017年11月のことでした。

午後に大学で講義をした後、時間があったのでいったん帰宅、着替えて出直したのが間違いの元でした。まずいことは重なるもので、電車が珍しく30分も遅延。会場至近の有楽町駅に着いたら開宴時間が間もなくです。改札を出る時に財布を家に忘れたのに気づきました。クレジットカードもそれに入れてあるわけで、「アッ」と思っても後の祭りでした(汗)。

遅刻できませんから会場へタクシーで急ぎたいのですが、小銭入れにも数百円しかありません。「二次会もありそうだしこれはたいへんだ!!」とっさに考えたのは「とにかく会場に着けば知人に借りられるだろう・・・、とりあえずはSUICAにチャージしたばかりだ、1万円ぐらい入ってる!」と。早速窓口へ行くと「SUICA残高から換金はできません!」とのこと。ありゃ、そうか(さらに汗)。

近くにいた駅員さんを捕まえて訳を話すと「お勧めはできませんが、例えば大阪行き乗車券を買って行き先変更すると・・・」??アッそうか!すぐ大阪行き切符を購入し、東京への行先変更をしました。手数料はかかりましたがなんとか現金をゲット。

駅から走ってタクシーをやっと捕まえ、開宴間近の会場へたどり着きました。着いた時は大汗でしたが、無事知人にお金を借りることができました。もちろん翌日の返金振込先もお聞きして。きわどいところをとても助かりました!!

なにせお客様多数のトップが来られ、来賓も多数。記念撮影もあり、特設の二次会もあったのでした。一歩間違えたら大変なことになったなあと考えると、今でもゾッとします。何食わぬ顔で出させていただき楽しみましたが、大いに反省をしたことでした。

それ以来、「移動時間には余裕を十分とる」ように心がけていますし、持ち歩く鞄や小銭入れに札も忍ばせることに。

とはいうものの、このところ外出自粛が長く続いているので、そういう準備の出番がありません。自粛期間が早く明けて欲しいものです。

©2021 Akira Tominaga, All rights reserved.

 

このブログをまとめた教訓集などの紹介

このブログへの投稿記事がとりまとめられ、推敲が施された内容が次のキンドル書籍にまとめられAmazonから販売されています。これは2020年5月に出された第2版です。

次がこの研究会の最初の出版となった、日経BP社の次の書籍「パーソナルPM」の現在の増補改訂版です。

また、実践を簡潔にまとめたキンドル書籍が次のものです。

以上、ブログ読者への簡単なご紹介まで。

失敗録を始めよう!

メンバーの中嶋秀隆さんから「失敗録を書いてみようではないか」という提案がありました(2月15日第139回会合)。「失敗をした時はとても深刻な場合もある。しかし乗り越えて来れたわけで、後になれば客観視もでき易い。例えば20年も経てば逆に人生の糧と感じることもある・・・」。

なるほど、失敗録は人にも組織にも役立ちそうですね。参加者の皆さんも、「失敗を気にし過ぎたり挑戦を避けたりが蔓延する今だから、若い人達にも役立ちそう」、「失敗録は人に貢献できるばかりか、パーソナルPMの発展にも有意義ではないか」などと大いに賛同。まずは試しに始めてみることにします。

ところが・・

いざ何か披露しようと私が考えても、実はなかなか思い出せません。それもその筈、「嫌な失敗は思い出さずに、さっさと忘れて前を向こう。その時の教訓だけを記録して生かせばいいのだから・・。忘れるには一切思い出さない」主義を長年実行してきたからなのです^^; 数々の失敗を努めて忘れてきたとはいえ、今回「是非やろう」と大賛成した手前、何か探さなくてはいけません。。。

20年ぐらい前の記録を調べていたら、やっと一つ思い出しました!2002年に某国際会議の組織委員長としての挨拶の準備をしました。視力が悪くともチラ見ができるよう、大きめの用紙に大きな英宇で箇条書きメモを作りました。1度だけ練習して「これなら大丈夫」という思い込みをしました。

シンガポールの会場は冷房が効き立派でした。最初に登壇してビックリ。壇上には手元照明がありません!それどころか話が始まると照明が次第に落ちるしかけ。メモは見えない、まずいなあ;;;(←冷や汗です)。しかし満員の聴衆を前にもう後の祭り。仕方がない・・と腹を括って即席で開始。気の利く話を入れるつもりが思い出せない^^; 予定より少し早く何とか降壇。今や何を喋ったか思い出せませんが、短くしてよかったなあ^^;と胸をなでおろしながら座席に戻り、快適な冷房の中で再び冷汗タラタラでした。今考えてもゾッとします。

それ以後、大事な会議の際はメモとともに小さな懐中電灯をポケットに忍ばせることにしました。尤も社内の国際会議では左右か壇の先端にプロンプターがあったりスライドを使ったりするのが多かったのですが、ある時その小さな灯りで助かったことがあります。とても救われた感じでした。そして私の最大の進歩は、あの時以後は事前練習を絶対やるようにしたことです。聴衆の立場を考えれば当然のことなのですが。

失敗は過ぎ去ればその後の人生の栄養になる。

後で講義を長年楽しんで行なうようになったのもそのおかげだと思います。とはいっても、過去にはこんなに生易しい失敗ではなく、もっとひどく落ち込んだのも沢山あったように思います。まずは最初に思い出したのを書かせていただきました。

今や、「失敗を思い出すな」という人への勧めとは逆に、失敗をなんとか思い出そうと考えています^^;

©2021 Akira Tominaga, All rights reserved.