カテゴリー別アーカイブ: 挑戦とレジリエンス

動きましょう 止まっていては 縁も来ず

ここ十数年、正月には奈良の薬師寺に行って写経をし、
法話を聞くことにしていました。実家が奈良ということもありましたが、
最近は東京五反田にある薬師寺東京別院で写経を続けています。
別に信心深いわけではありませんが、新年に当たり気持ちを
リフレッシュするためです。
以前奈良で聞いた法話の中からの紹介です。
正月とは、まさに字のごとく「正す月」であり、去年一年の我が身を振り返り反省して、今年一年の心を整えて、正す日だそうです。(やはり振り返りは大事なんですね)
縁起とは、「縁を起こす」ということであり、ただ待っていてもダメである。願い事をして待っているのではなく、仏様との縁を「起こす」、すなわち行動に移すことが大切である。自ら行動を起こすことで「縁起」となるのだそうです。
世の中にあるいろいろなご縁も同じで、自分から行動を起こさないと
縁起にはならず、願いは叶わないそうです。(やはり自ら行動することが大切なんですね)なにごとも勇気をもってチャレンジしていくことが大事なようです。
ある大学の先生も「棚ぼた(棚からぼたもち)」もただ座っていてもダメでぼたもちが落ちてくる可能性のある棚の下に行くという行動が大事だとおっしゃっていました。
それ以来、少々自信がなくても思い切って動くようにしています。いつもうまくいくとは限りませんが、失敗しても「縁」は頂けていると感じます。

©2023 Fumiaki Tanaka All rights reserved.

逆境こそ 普段の努力と 信頼感

失敗はつきもの
プロ野球選手の終身打率のトップは3割2分、そして3割打者は20人。
3割を打てば一流打者と言われている所以であるのかもしれません。
私の2000年以降の会社人生は、○○改革といった全社プロジェクトの責任者として過ごした時間がほとんどでした。課題を挙げればきりがありませんが、逆境を乗り越えてきた力は家族は勿論のこと、友人、知人、同僚の力は何といっても大きかったと思います。特に、普段から築き上げてきた人間関係は大きな助けとなりました。
プロジェクトオーナーは会社のトップであり、いやというほど役員会議に上申、何度も何度も蹴飛ばされながら這い上がった思い出は今の自分の糧になっていると思います。
「うまくいったな~」という実感は当時はありませんでしたが、逃げずに、やり遂げることができたのではないでしょうか?いつしか定年を迎え、自分の成長というものを与えてくれた会社人生に感謝したいと思います。

令和4年11月11日 黒田 尚

共有し 苦境にはまる リスク下げ

苦境からの脱出とは言えないが、日頃から現状を隠さずにオープンにしておくと、苦境に陥る前に何か動きが起こり深刻な苦境になることなく、ちょっとした苦しさで済むことが多い。言いたくないこと、見せたくないことを隠していると最後に痛い目にあうことをたくさん見てきたことから得た、予防的なお話し。

今ここに 集中すれば 道拓く

先を考えて不安で悶々とするよりは、ただひたすら今目の前にある仕事を一つ一つに集中して片付けていくことに注力していくと、そのうち道が拓けてくることもあるというお話し

落ち込んだ 自然に触れて 漲る気

休みなく仕事をやってもやっても、どうしようもなく、どうすればいいか悩んでしまうときがある。そういった時に森の中に入ってじっとその中で自然を感じたり、日本海をじっとながめて(いずれも何も考えず)一日いると不思議と気力が回復してくる といったお話し(わたしだけかも)

この事態 我に与えた 試練かな

綺麗な仕事を担当させてもらうことは少なく、いつも酷いものばかり。でも、考えようによっては天が与えた試練なのかもね、何か学ぶことがあるかもと、開きなおることも大事 というお話し

これ以上 悪くはならぬ 覚悟決め

最悪のプロジェクト、部門の立て直しを何度か担当したが、考えてみれば何をしてもこれ以上悪くはならないと思えば、気が楽になり思い切って動いた というお話

誠実さ 四面楚歌から 救いの手

日々の仕事に誠実に取り組んでいれば、困ったときにはなぜか救いの手を差しのべてくれる人があらわれる体験のお話し

「淡々と」 言われ続けて 今わかる

数十年前、新卒で某大手コンピュータメーカーに入社した僕は、研修後、お客様担当のSEとして社会人生活を始めた。当時、指導を受けていた直属の先輩SEは優秀、かつ仕事に妥協を許さないタイプで、本当に厳しく、何度も叱られ、スパルタ教育を受けた。研修での成績が良かったので、期待もしていたのだと思う。ただ、僕は、学生から社会人へとマインドセットを変えることがなかなかできず、何年もの間、満足できる業務上の成果を上げることができないでいた。それでも、次から次へとやるべきことは降ってくる。To Doの山に埋もれながら、その先輩SEと自分を比べて、「自分は本当はできない人間なんじゃないか」という懐疑心にさいなまれ、不安と苛立ちの中、日々の仕事を何とかこなしていた。

深夜まで仕事をすることも多かったが、そういった時、隣の先輩SEがよく、「川﨑、淡々とやるんだ。泣こうが、わめこうが、やることは変わらないだろ。だから、感情を動かさないで淡々とやるんだ」と話しかけてきた。しかし、当時の僕はその言葉を聞いて、「淡々と仕事できないのは、あなたのせいでもあるだろ」くらいの気持ちしか湧いてはこなかった。

そうこうしている内にやっと仕事にも慣れ、自分なりの成果の上げ方も分かってきたが、留学を契機に会社を辞めた僕は今、中小企業の経営者として働いている。その中で、デスマーチプロジェクトで苦しんだ時、資金繰りに窮して天を仰いだ時、大事な打合せを前にした時、「淡々とやるんだ」という先輩SEの言葉をふと思い出していた。言われたその時は分からないけれども、後になって思い出し、自分を支える言葉があることを知った。感情を乱してもやるべきことは変わらない。だとしたら今できることに集中する。そして自分ではコントロールできないことは天にゆだねる。そういった思いを胸に、仕事も私事も当たっていこう。そう決意する礎になった大切な言葉となった。

© 2022 Masao Kawasaki, All rights reserved.

寝る前の 英語のテープ 子守歌

高校時代に、何がきっかけか忘れましたが英語のヒアリングを無性に勉強したくなりました。当時の教材は主に高価なレコード(!)で、貧乏学生にはネイティブ英語を聞く術は乏しかったものです。教育番組を定時に聞くのは効率が悪いし、極東放送(当時FEN)は音楽番組が多く、短い早口のニュースは初心者には今一つでした。

そんな時、中学生だった妹がたまたまイギリスのペンパルと文通を始めていて、返事を書くのに苦労しているのに気づきました。そこで兄が時々割り込み、返事を書かせてもらうことにしました。

そのうちにいいアイデアが湧いてきました。当時出た一番安いナショナル小型テープレコーダーを、苦労して貯めた小遣い全部をはたき、やっと手にいれました。そして小さなリールに録音したものを、思い切って手紙に添えて先方に送ってみたのです。中身には「もっと英語の勉強をしたい。いくつか文章を送るので読んでテープに入れてくれませんか?」と録音して。

兄妹のへんな英語を相手は却って面白がったようです。返信をテープで送ってきました。「もちろんOK。文章送ってください。」それは助かるなあ! まずは参考書「英作文の修行」(兄のおさがりでした)の例文を数十個送りました。返信で全部読み上げて送ってくれました。やったぞ!とても有難いテープです。寝る前に繰り返して聞いた結果、全部丸暗記してしまいました。

先方はSheffieldに住んでいたLynda Robertsさんで、小学校教師を目指して勉強中でした。結局のところ、例文を5回以上に分けて、数百あった全部を書いて送って読んでもらいました。相手が読める字を書くのは大変でスペースも食います。途中からは兄のタイプライターを借りて打ちました。そして読んでもらったものを同じように寝る前に繰り返し聞いて、丸暗記しました。それでずいぶん力がついたように思いました、自分が言うのもなんですが。ただ、英語を聞くと眠るという癖もついたように思います。

文通はその後も間歇的ながら長く続き、先方は無事に小学校の教師となり、結婚するとの、近況を知らせる長い手紙が来ました。こちらは大学3年頃でしたが、祝電とお祝いメッセージを録音したテープなどを送ったと記憶します。

それからまた4年後ぐらいに、Lynda Hughes婦人の長い手紙が来ました。こちらは私が仙台に赴任直後で、前の宛先住所から転送されてきました。手紙には、ついに親の家から独立し家を買うことや、テープを送ってないのを気にしていたが、旦那さんのGeoffの協力でやっとテープを作り別送したなどです。

そのテープを期待してしばらく待ちましたが届きません。調べると郵便局の転送期限が過ぎたためとわかり、結局行方不明でどうにもなりませんでした。残念無念でしたが記憶にあるのはそこまでです。最近SNSなどで先方の所在をさがしてみましたが今までのところ見当たりません。

ところで当時の自分の英語の勉強について考えてみれば、会話学校とか、まして留学など到底あり得ない貧乏な環境です。しかし「貧すれば鈍する」とはならないようトライした結果、よい機会に恵まれたと思います。「窮すれば通ず」で先方には今でも感謝。何事も、とにかく挑戦してみるに限りますね。

©2022 Akira Tominaga, All rights reserved.