結婚され、ご家庭をお持ちの多くの方が体験されていることではないかと思いますが、「性格も育った環境も違う二人が一緒に暮らす」行為には、大きな困難が伴うと思います。結婚前、お付き合いしている間は適度な間合いが保たれていたため、お互いの違いはある種の刺激として、良いものにさえ感じられていたのですが、いざ一緒に住んでみると、それは我慢のならない違和感へと容易に変わり得るのではないかと感じます。そして、その違和感を克服し、相手の考えや立場を理解することは、間合いが近く、利害をシェアしていればしているほど難しいのではないでしょうか。
私もその例外ではありませんでした・・・
結婚してしばらくして、妻に対して何か不満に思うことが起きる度に、それはどういう事象であったのか、メモを取るようになっていたのです。「一つの大きい出来事に対してどのようなスタンスを取るか」ということ以上に、小さな違和感が日々、幾千、幾万と堆積していくことに恐怖を感じました。積み上がった違和感によって、「一つひとつの理由は思い出せないのだけれど、何だか知らないが我慢できない」という精神状態にもし陥ってしまったら、その感情が生じた理由さえ覚えていないわけですから、「理由となっている事象を解決することで、それに伴う感情をも消失させる」という手立てすら取れなくなるからです。メモを取り、何があったのかをいつでも確認できるようにすることで、そういった手立てを取れるようになるのではないか、と想像していました。
しかし、そのメモはあっという間に数十ページにもなっていきました・・・
「違和感の理由となっている事象の全てを解決することなどできるわけがない」ことに、私は気付いていませんでした。
そんな中、ある人が私に、「何回、赦しているか勘定している間は、あなたは決してその人を赦してはいないのだ」という言葉を教えてくれました。この言葉を聞いて、“許す”と“赦す”との違いを思いました。たとえ“許す(admit)”ことができなくても、“赦す(forgive)”ことはできるのではないか、と・・・そして、私が一所懸命に取っていたメモは、実は赦していない回数を勘定するためだけの代物ではないか、と・・・
そこからは一切メモを取ることを止め、何か違和感や不満を覚える都度、“許さなくても赦す”という決意を思い起こすことで、感情を消し去る努力を始めました。最初は感情が消えるまで数日かかることもありましたが、何度も訓練するにつれて、数時間、数分、場合によっては数秒と、感情が持続する時間は短くなっていきました。
またこの訓練は、「相手も私に対して、同じように違和感や不満を覚えていたのだ」という、ごく当たり前のことを気付く契機にもなりました。私がメモを取っていた数十ページの事象に対して、逆に妻は、「なぜこんなことでこの人は怒っているのだろう」という違和感を覚えていたに違いない、と・・・
家族は、一番間合いが近く、かつ利害を最も深くシェアしているステークホルダーではありますが、会社の上司や同僚、部下も、それに準じて強い関わりを持っている関係者と思います。家庭だけではなく、ビジネスの現場であっても、“許さなくても赦す”マインドセットを根本に持つことは、そしてそれが社風として文化として存在することは、より良いステークホルダー・マネジメントの前提条件なのかもしれない、と感じています。
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