カテゴリー別アーカイブ: R 関係者の識別と相手の立場の理解

行ってまいります

あなたのご家族は、外出する人と送る人がどんな挨拶を交わしていますか。
「東京物語」を筆頭に、小津安二郎の映画を何本か連続して観て、日本語の会話の美しさに感じ入ったことがあります。大女優・原節子が出演しており、そこでは、外出する人は「行ってまいります」と言い、送る人は「いってらっしゃい」と言っています。さらに、佐田啓二・岸恵子の「君の名は」と、音羽信子の「原爆の子」も観ました。どちらでも出かける人は「行ってまいります」か「行ってきます」と言っています。ここに挙げた映画は、どれも白黒映画です。
思い返すと、私たちは小学校に入学したとき、登校時には「行ってまいります」と挨拶するように教わり、そのとおりにしていました。
10年ほど前、次男が中学生のとき、ある朝、登校前に玄関先で家内と何か話しています。放課後の予定の相談をしていたようです。会話が一段落すると、彼は母親に「じゃあね」と挨拶し、自転車に飛び乗って学校に向かいました。
これは見捨ててはおけません。私は自宅の窓から大声で次男を呼び戻しました。彼は30メートルばかり進んでいましたが、素直にとって返してきました。ここで断固たる姿勢を示さないと父親の沽券にかかわります。私ははっきり言い渡しました。
「子どもが学校に出かけるとき親にする挨拶が『じゃあね』とはけしからん。ちゃんと、『行ってまいります』か『行ってきます』と言え」
次男は神妙に聞いていました。しかし、しまった。彼の目が笑っていいます。私の説教が終わるやいなや、次男は「わかった、じゃあね」と言い残し、自転車に飛び乗って学校に向かったのでした。
教訓(3択)
① 白黒映画を観るのはやめましょう。
② 自転車に乗った人を呼び止めてはいけません。
③ 人にアドバイスをするときは、くれぐれも慎重にしましょう。

“許さなくても赦す”努力を続けたい

結婚され、ご家庭をお持ちの多くの方が体験されていることではないかと思いますが、「性格も育った環境も違う二人が一緒に暮らす」行為には、大きな困難が伴うと思います。結婚前、お付き合いしている間は適度な間合いが保たれていたため、お互いの違いはある種の刺激として、良いものにさえ感じられていたのですが、いざ一緒に住んでみると、それは我慢のならない違和感へと容易に変わり得るのではないかと感じます。そして、その違和感を克服し、相手の考えや立場を理解することは、間合いが近く、利害をシェアしていればしているほど難しいのではないでしょうか。

私もその例外ではありませんでした・・・

結婚してしばらくして、妻に対して何か不満に思うことが起きる度に、それはどういう事象であったのか、メモを取るようになっていたのです。「一つの大きい出来事に対してどのようなスタンスを取るか」ということ以上に、小さな違和感が日々、幾千、幾万と堆積していくことに恐怖を感じました。積み上がった違和感によって、「一つひとつの理由は思い出せないのだけれど、何だか知らないが我慢できない」という精神状態にもし陥ってしまったら、その感情が生じた理由さえ覚えていないわけですから、「理由となっている事象を解決することで、それに伴う感情をも消失させる」という手立てすら取れなくなるからです。メモを取り、何があったのかをいつでも確認できるようにすることで、そういった手立てを取れるようになるのではないか、と想像していました。

しかし、そのメモはあっという間に数十ページにもなっていきました・・・

「違和感の理由となっている事象の全てを解決することなどできるわけがない」ことに、私は気付いていませんでした。

そんな中、ある人が私に、「何回、赦しているか勘定している間は、あなたは決してその人を赦してはいないのだ」という言葉を教えてくれました。この言葉を聞いて、“許す”と“赦す”との違いを思いました。たとえ“許す(admit)”ことができなくても、“赦す(forgive)”ことはできるのではないか、と・・・そして、私が一所懸命に取っていたメモは、実は赦していない回数を勘定するためだけの代物ではないか、と・・・

そこからは一切メモを取ることを止め、何か違和感や不満を覚える都度、“許さなくても赦す”という決意を思い起こすことで、感情を消し去る努力を始めました。最初は感情が消えるまで数日かかることもありましたが、何度も訓練するにつれて、数時間、数分、場合によっては数秒と、感情が持続する時間は短くなっていきました。

またこの訓練は、「相手も私に対して、同じように違和感や不満を覚えていたのだ」という、ごく当たり前のことを気付く契機にもなりました。私がメモを取っていた数十ページの事象に対して、逆に妻は、「なぜこんなことでこの人は怒っているのだろう」という違和感を覚えていたに違いない、と・・・

家族は、一番間合いが近く、かつ利害を最も深くシェアしているステークホルダーではありますが、会社の上司や同僚、部下も、それに準じて強い関わりを持っている関係者と思います。家庭だけではなく、ビジネスの現場であっても、“許さなくても赦す”マインドセットを根本に持つことは、そしてそれが社風として文化として存在することは、より良いステークホルダー・マネジメントの前提条件なのかもしれない、と感じています。

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「関係者 時(とき)が経てば 変化する」

パーソナルプロジェクトマネジメントを実践している友人にK氏がいます。先日K氏と食事をしたときにK氏は「個人プロジェクトでもステークホルダー・マネジメントは大事だね。つくづく今回は感じたよ」と以下のような話を語り始めました。

K氏は学生時代にクラス委員をしていました。卒業してから随分と時間も経つので、同級生のみんなはいい歳になったし、ずっとやっていなかった同窓会を先生が存命中にやろうと音信がとれている仲間に声をかけました。最初は少人数でこじんまりやろうと計画を進めていました。しかし、連絡が取れてだんだんと人数が増えて来るにしたがって、いろいろな人がいろいろな意見を出すようになり同窓会のプログラムがなかなかまとまらなくなってきました。さらにどうせやるなら他のクラスと合同でやろうという意見まで出て、当初の構想とは違って大がかりな学年全体の同窓会を開催することになりました。実はK氏は途中でリーダ役を降りたそうです。途中から規模が大きくなり打合せの頻度も増えて、K氏自身が地元に住んでいないこともあり、なかなか参加できなくなったからでした。途中から参加した、地元の有力者となっている別のクラスの同期に引き継いだということです。最終的に盛大な同窓会が開かれ、出席者はお互いの元気な姿で再会でき、なつかしい話をして大いに盛り上がり満足したようでした。しかし、K氏は自分の描いていたこじんまりではあるが、卒業時のクラス仲間と密なやりとりができる同窓会を考えていたので、物足りなさを感じたということです。

同窓会プロジェクトを開始して時間が経つにつれて、いろいろな関係者(ステークホルダー)が関与してきて、いろいろな意見が出てくる。それに対してどう対処していくか、ほとんど考えていなかったので、あれよあれよという間に話が変わっていってしまったとK氏はぼやいていました。

関係者(ステークホルダー)は時間とともに変化します。個人プロジェクトの当初は関係者でなかった人が途中から影響度の大きい関係者として登場してきたり、逆に当初は影響度の大きい関係者であった人が、時間とともに関係が薄れて影響度がほとんどなくなってしまったり、ということがあります。

ですから、個人プロジェクトと言っても、自分のプロジェクトに影響力のある関係者は誰かということを時々識別しておく必要があります。それを怠ったばかりに個人プロジェクトが進まなくなってしまうこともあります。また、関係者の期待自体が変化する場合があります。関係者の識別に加えて、その期待内容を確認しつつプロジェクトをすすめていきましょう。

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