自転車事故の失敗談のお話をします。
子ども時代は六甲山系や生駒山地に長く住んでいたこともあり、自転車を乗り回す機会がありませんでした。
就職で東京に出来てからは、関東平野ということもあり、自転車での移動が増えました。(車を買っても残業と休日出勤ばかりのブラックの時代でしたので、自動車を買うことは結婚するまでありませんでした)
そうした中で、自転車事故の記憶として残っている失敗事例を3つ紹介します。
1)肉屋に突撃
細い歩道での自転車走行は避けて二車線道路の左を走行中、自動車が幅寄せをしてきたので、仕方なく歩道に上がろうとしました。しかし、段差がかなりあったことと、自転車の速度がかなり出ていたこともあり、自転車が歩道に上がりきれずに身体だけ歩道沿いの肉屋さんのガラス戸に勢い余って、突っ込んだことがあります。当然ガラスを割って、身体は肉屋さんの店内に。幸いお客様はいらしゃらなかったですが、お店のおじさん、おばさんはびっくり。幸い大きな怪我はなく切り傷程度で済みました。お店にはガラス代を弁償することになりましたが、実は私が初めてではないようで、またかと驚かれていました。これ以降、道路から歩道への乗り上げるときは段差には注意するようになりました。しかし、この後の失敗談にも書きますが、スピードの出し過ぎは未だに直りません。
2)トレーラに激突
昭和の時代。ソフトウェア開発の現場は今でいえばブラックなところが多かったです。フレックスもない時代、朝8時から夜中の2時半まで仕事をする生活がずっと続いていた時期があります。
その日は朝から雨が降っていて、夜になっても雨は止まず、かなり激しく前が見えないくらいの勢いで雨が降り続いていました。いつものように夜中の2時半に仕事を終えて、早く帰って寝ようと合羽を着て自転車に乗って隣市のアパートまでぶっ飛ばしていました。雨が激しく、前を見ていると眼鏡が水滴で見えなくなるので、合羽の帽子を深く下ろして視線は自転車の前輪を見ていました。深夜なので車はほとんど走っておらず、毎日走っている道なので、特に前を見なくても、車のライトだけ注意していれば良いはずでした。アパートと会社の中間地点の交差点を超えたところで、ふっと嫌な予感がしました。そういえば、昨晩帰るときに、このあたりに重機を乗せたトレーラーが止まっていたなあと。そして、前を見たときはもう遅かった。自転車はトレーラの後部に激突、わたしの身体は空中に飛び上がりました。「あ~、これで終わりかあ~。あっけないなあ~。」 幸い、この日は、トレーラの上には重機は載っておらず、またわたしの身体も、いい塩梅にトレーラの荷台のくぼみに背中から落下しました。全身打撲ですが、頭を打つことは幸いありませんでした。さらに落下直後に、トレーラの脇を一台の自動車が走り去って行ったので、もしトレーラに気づいて避けていたら、逆にこの自動車とぶつかっていた可能性がありました。幸運でした。しかし、自転車は無残にも前輪はひしゃげて90度に曲がってしまいました。全身の痛みをこらえながら、自転車をアパートまで引きずって帰りました。これ以来、雨の時は合羽を着て、前は必ず見て自転車に乗るようになりました。スピードは相変わらず出しすぎていますが。
この時の空中浮遊の感覚は未だに残っています。
3)凍結した路面のカーブで自転車が消える
1980年代は東京多摩でも雪が結構降って、積もった雪がひと冬残っていた時期もありました。その頃の話です。道路脇には何週間も雪が残って、道路はカチンカチンに凍結していた時の話です。
たびたび自転車の事故を起こしていましたが、スピードの出し過ぎは直りません。道路のカーブではバイクでもないのにバンク角を深くしてスピードを出したまま曲がっていました。その日はいつも以上に路面がツルツルになっていました。いつものようにスピードを出してカーブを曲がろうとしたら、凍結していた路面でバンク角を付けすぎたこともあり、遠心力で車体が斜めになったままスーと流れてガードレールに激突。わたしは自転車が足元から消えて道路の上にドスン。一瞬何が起こったのか分かりませんでしたが、後から自動車が近づいてきたので、慌てて道路脇へ。
丁度、この顛末を見ていた職場の同僚がいて、しばらく笑いものになりました。
こんな失敗を繰り返しても、スピードの出し過ぎだけは直らないのが、悩みの種です。自転車は安全運転で。