カテゴリー別アーカイブ: E 教訓の継続的な収集・整理と活用

1個人PMの位置づけ-1-3プロジェクトマネジメント-E

240913_意思の上 3年続けて 習慣に

「健康は 毎日の積み重ね 歩む道」
「朝日浴び セロトニンと共に 歩む道」

人生後半、健康維持が気になるところです。
私は65歳の誕生日を過ぎたころから体力の衰えを感じてきました。
それまでは毎朝5~10km程度ジョギングしていましたが、腰痛もあり今は10,000歩/日のウォーキング、食後のストレッチ(初動負荷トレーニング)、週一の加圧トレーニング、3-4ラウンド/月のゴルフを習慣化しています。
それ以外の習慣も毎朝の風呂掃除、朝食づくり(キャベツ、トマト、納豆は必需品)、コーヒー淹れなどは習慣化しました。それでも、日々の行動の中で「これが老いなのか?」と気づくことも多々あります。
65歳を過ぎるとセロトニン分泌が減って(あきらめの感情を持ちやすくなる)幸福感がなくなり5%程度うつ病を発症ると言われています。
「もう誰にも必要とされていない」「オレなんてもうどうでもいいや」と投げやりになったり、不幸をかぞえたりするようになるそうです。
このような思考に陥ると老人性うつを発症しやすくなります。
私の知人も老人性鬱を発症ししばらく治療をしていましたが、昨年、自死してしまいました。
セロトニンはお天道様と仲良しになることで維持されます。朝は日が昇ると同時に起床して、5分、10分でもよいので毎日散歩を続けてください。
大村崑は58歳の時、大腸がんを経験しその後も次第に衰えていく身体に否応なしに”老い”を感じていたそうです。その後も大病を患いましたが、石の上にも3年ならぬ、筋トレの上にも3年「できなかったことができるようになったことがうれしい」と93歳になった今でも筋トレを継続しているそうです。
元気に活動されている方の生活習慣をうかがうと、良く体を動かしています。
また、食事や休息、運動、就寝時間が決まっています。
この頃、よく妻とトレッキングを目的にしたツアーに参加しています。
山道の上り下りに苦労されている同年代、諸先輩の方々とご一緒します。
気づきも多く、とても参考になります。大病は誰もが避けられずいつ来るかわかりませんが、老いは誰にもやってきます。ただし、老化スピードは自分自身でコントロールできます。そのコントロール方法は食事や休息、運動、就寝時間の習慣化だと思います。

超高齢社会の下準備(ある日妻の介護が必要になりました)

表題
『超高齢社会の下準備(ある日妻の介護が必要になりました)』
副題
『介護とは いずれ我が身 もうすぐ我が身』
皆様へ,
私たちは,令和5年11月4日に,健康管理士会交流サロン主催のパネルディスカッションにおいて介護の問題に焦点を当てました.杉並区で介護経験が豊富な参加者が集まり,お互いに介護に関する情報交換や,介護予防の啓発活動を推進している杉並介護者応援団の北原理事長による基調講演をお願いしました.さらに,パネラーの中川さんからは介護体験について具体的な事例をお話ししてもらって参加者全員で情報共有しました.
ファシリテータの岩石さんからの発言をご紹介します.
私たちはいま,超高齢社会を迎えており,誰もが介護者または介護を受ける立場になる可能性があります.介護保険を賢く利用することで,助けを求めることができる時代となりました.どれだけ努力しても不満が残ることもありますが,できることを無理せず行うことが,介護の基本です.まず,自分がどう生きるかを考え,介護をどう受けるか,どう提供するかを考えることが大切です.
この機会に,超高齢社会に向けた備えを共に考え,助け合いの精神で支え合いましょう.
なお,詳細については下記URLを参照ください.
レポート参照先「第2回健康管理士会交流サロン活動報告会レポート」

料理ができる男

ある時私はミシュラン三ツ星シェフの記事を読みました。理路整然とした 素晴らしい仕事ぶり、料理をする姿がカッコいい!以前から料理する男の姿に憧れはありましたが、”いや~無理です。できるわけないです。あなたITの人間でしょ?”などと自己批判し諦めていました。しかし、レシピがあれば一般の方でも料理はできますと言うコメントに乗せられてついに料理をすることを決意します。

俺料理できるんだぜ?なんて言えたらカッコいいな、と想像しつつまずは道具を揃えましょう。三ツ星シェフは道具にこだわります。その気になっている私は数万円の鍋や包丁を揃え、シェフのレシピ本も手に入れて、いざ料理するぞ!と意気込み、材料を調達しようとしたところ…トリュフに金目鯛に…あれ?…トリュフ?いくらするの?どこで売ってるの?金目鯛?魚さばけないけど………あぁ面倒くさい。そうして三ツ星シェフに憧れた私は包丁を握る前に挫折したのでした。

★★教訓1★★
その道のトップの話を見る聞くと一時的にできそうな感覚に陥る。そしてそれはただの妄想である。

数年後…イケメンアイドルがカッコよく料理するを姿をテレビで見ます。料理ができる男性はカッコいい!またもや料理ができる男に憧れた私は料理することを決意します。しかし、前回の教訓はいかさないと。トップレベルの料理は作れそうにないことはわかっているので今回は”男のための簡単料理本”を購入です。うん!これなら自分のレベルに合っていてできそうだぞ。その中からスペイン風オムレツを選択。なんか名前がカッコいいし、今まで食べたことないし、材料も玉子に野菜にお肉と近くのスーパーで手に入るぞ。

いざ調理を開始。調理器具は無駄に高価なモノがそろっています。下ごしらえも順調。そしてフライパンに材料を投入!野菜が結構余りそうだから多目に入れようかな。野菜好きだし、いい料理人は材料を使い切るって聞いたことがあるぞ。そしてオムレツのための玉子を投入!すると……あれ?!?!?玉子で閉じれない!!え?もしかして…野菜が多すぎて玉子で閉じることができないっ!!!その間にもどんどん玉子は固まっていきます。そして最終的にできたモノは…肉野菜炒めスクランブルエッグ。

★★教訓2★★
レシピは守れ。最初からアレンジするな。

数ヶ月後…料理の鉄人が麻婆豆腐を作っているのを目撃します。麻婆豆腐は何度か食べたことがあるし、そもそも簡単に調理できるレトルトっぽいのを見たことがあるぞ。前回の教訓をいかせ!最初はこれでいいじゃないか!豆腐にネギに簡単調理のソースを購入。レシピ通りにできた!見た目も抜群!いざ食してみると…あれ?そう言えば私は豆腐があまり好きじゃなかった…

★★教訓3★★
目標にとらわれて目的を見失うな。自分の価値感も大事にね。

数日後…誰にでもできると言われている究極の素人料理カレーライス。もうこうなったらこれしかありません。カレーは子供の頃から大好きです。器具がある、レシピがある、材料はぶつ切りするだけ、調理は材料と市販のカレールーを鍋に投入して待つだけ。。。できた。。。。そして口に入れると~美味い! でも…あれ?そういえばカレーって学生の頃散々作ってたっけ…

★★教訓4★★
自分の能力を覚えておけ!

その後…
 
今でも対外的に料理ができますとは言えません。イケメンアイドルが作るようなオシャレな料理もできません。しかし、レシピと材料があれば大抵の料理はできます。というよりもレシピと材料を見れば”自分が作れるかどうか”の判断がつきますし、どうしても作れるようになりたい場合は何回か練習すればできるだろうなとの予測が立てられます。そして何よりも料理する事自体が好きになりました。

★★最終的な教訓★★

何度失敗しても立ち上がって行動・改善すればある程度できるようになるし、新たな価値が生まれる。重要なのは動き出すこと。

振り返ると無駄な事してるなぁとも思えますが、現在の能力を考えると上記4つの失敗は本質的な失敗ではなかったと思います。できるようになるために必要な過程でした。行動したことが重要であって始める前から批判したり諦めたりするのが最も愚かなことだと。妄想だっていいじゃない!行動するきっかけになれば。最初に妄想したような”人に振る舞える料理が作れる”ようになったわけでもないですし、人に自慢することもありません。しかし、何もしない頃と比べれば能力向上は明らかですし個人的には満足しています。
 

★★簡単な分析と自分へのアドバイス★★

1回の行動につき複数の過ちを犯していますが、主な種類は大きく以下の4つです
◯自分の現状(レベルや能力種)を把握していない
◯先人の知恵に従っていない
◯目的と目標が明確になっていない
◯権威に惑わされて自分の価値感を忘れている
 
これらを踏まえて過去と未来の自分にアドバイスするとしたらどうでしょうか?
まず、格好つけたいのか、料理ができるようになりたいのかを明確にする。前者ならば、それは本当に料理で表現する必要があるのか?もしかしたらファッションでもよいのではないか?後者であれば、次に自分のレベルにあった料理を選択する。そして、本来の自分の価値観を確認し料理を選択する。これで少しは近道できそうです。

現状はabiltにより抽象化された能力習得法があるので始める前から諦めることはありません。自分の能力を形式化し、その能力を習得するまでの行動も構造化され記録されています。したがって忘れても、今後似たような能力が必要になったらそれを参照し思い出し、新しい能力習得に活かすことができます。またPPMの手法により習得までの期間を短縮したりスケジュールも管理できるでしょう。最初の行動まではいくつかの心理的要因によりますが、いざ行動を開始したらPPMやabiltのような手法を用いることで効率化できますし、心理的にもモチベーションがあがったり、楽しんだりできます。先人の知恵やテクノロジーをお借りできる毎日に感謝です。

教訓メモ解読・「全体を見直す」

「何かに失敗した際、教訓をメモに残してきたが書くと安心するのか忘れてしまう。パーソナルPMコミュニティの活動として各自の教訓(Lessons Learned)を公開することになったが思い出せない。昔書いたメモを探し出し、その教訓を書いた経緯と理由を思い出すことにした」

「教訓メモ解読」と題した短文の主旨は以上の通りである。今回は2005年11月26日に書いたメモを再掲する。

 

全体を見直し、

優先順位を付ける

バランスをとる

やれないものは断る

 

古いノートの1頁に以上の4行が大きい字で書かれていた。自分で書いたことを忘れていたので「書かれていた」と受け身の文にしておく。

抱えている案件の全体を見て大事な案件がどれか優先順位をはっきりさせる。案件には仕事もあれば仕事以外もある。仕事以外とは家庭の諸事を指す。仕事と家庭のバランスをとるには実行が難しい案件が来たとき「やれません」と断らなければならない。

4行について解説は不要だと思う。できるかどうかはさておき当たり前のことである。ノートの隣の頁には「2006年について」と題が書かれ2006年に取り組むべき案件が列挙されていた。2006年の活動計画をあれこれ考えているうちに「全体を見直し、優先順位を付けなければ」と思い立って4行を大書したのかと言えばそうではない。

4行は反省文である。これを書いた2005年11月は2003年から取り組んできたプロジェクトの打ち切りが決まった時だった。失敗した原因は色々あったがプロジェクト内の諸活動そして自分自身の諸活動について優先順位をうまく付けられなかったことが影響した。

「やれないものは断る」という1行の文字は他の3行のそれに比べやや小さい。やれない案件までやろうとしたことを反省した様子がうかがえる。

そのプロジェクトとは新雑誌の創刊であったが誰のためにどのような雑誌にするかという編集方針をまとめるだけで1年以上を費やした。しかも創刊前の試験版を数冊発行するたびに編集方針が揺れ動いた。

10年以上前のことを思い出しながら書いているが数行の編集方針をつくるのはなかなか辛い仕事であった。「こうしたい」という思いはあっても簡潔に表現するのは難しい。なんとか書き上げた方針をプロジェクト内外の関係者に見せて同意を求める段階になると色々な指摘が出てくる。指摘を方針に反映するにせよ無視するにせよ交渉や説明がついてまわる。とにかく面倒だった。

それよりは取材をして記事を書く方がはるかに楽しい。乱暴に言うと勝手に進められるからである。試験版を出すために取材と執筆活動を始めると楽しい仕事に集中してしまいプロジェクトの全体が見えなくなった。

全体が見えない様子をもう少し説明してみる。取材をして記事を書く仕事は小さいながら一つのプロジェクトである。雑誌を一冊作るとなると複数の記事が必要になる。雑誌発行プロジェクトの中に記事の執筆や編集という小プロジェクトが複数入る。それぞれの小プロジェクトにおいて取材をどこまで重ねるか、いつから書き出すか、優先順位があるわけだが記事の本数が増えると頭の中で整理できなくなってくる。

面倒なので一番面白そうな案件から取材を始める。予想通り興味深く取材をもっとしたくなって他の小プロジェクト取材の合間に予定を入れたりする。他の小プロジェクトの進行や仕事以外の案件に悪影響が出る。もぐら叩きのような状況に陥り、雑誌創刊プロジェクトへの目配りができなくなる。

プロジェクトを止めた直接の理由は採算であった。「とにかく作ってみよう」と思っていたが本来なら編集方針を早めに固め、事業を成立させる方策を検討しなければならなかった。2015年の今振り返ってみると工夫の余地は色々あったと思うが後の祭りである。

教訓メモ解読・「大きい紙に書く」

仕事で何か失敗した際、今後気を付けるべき事をメモに残す習慣はある。ところが書くと安心するのかすぐ忘れ、同じような失敗をしてしまう。書きためた教訓を持ち歩き、暇を見つけては読み返せば良いと考え、小型のシステム手帳に教訓のメモをはさんでみた。うまくいったが、その手帳を使わなくなった途端、教訓を読まなくなった。結局忘れてしまう。

パーソナルPMコミュニティの活動として各自の「LL(Lessons Learned)」を集め、公開することになったが、なかなか書けなかった。思い出せないからである。やむを得ず放っておいたところ、コミュニティの参加者は次々にLLを書き、公開用のWebに投稿していく。集まりに出ると必ずLLの話題になり、居心地がかなり悪い。

何とかしなければと思っていたところ、週末に部屋の掃除をしている時に小型システム手帳に入れていたメモの束を発見した。それをめくるとLLがいくつか出てきた。これで書けると思ったものの転記しようとして困った。20年くらい前の古いメモなので書いた本人でも意味が分からない点がある。おそらくこういう失敗をして、このようなつもりで教訓にしたのであろう、と推測し、それを書くことにする。

1998年12月に書いたメモをまず転記する。

「手で書く ・メモ・原稿 ワープロ使わず」

「構成は頭と手で → 大きい紙に書く パソコンで無理 ×××のインタビュー」

同じ1998年12月に書いた別のメモにも似た記述がある。

「書きたいことを全部書く 打算は不要 図表にとらわれるな 大きな紙の上で一人ブレストする」

「×××のインタビュー」の「×××」には企業名が書いてあった。その企業のインタビュー記事を執筆しようとして、うまく書けなかったのであろう。「パソコンで無理」とあるから、記事の構成メモをパソコン(ワープロ)で作ろうとして果たせず、結局、「大きい紙」に手書きをして、ああでもないこうでもないと「一人プレスト」をしてまとめたらしい。

大きい紙、大きな紙とはA2版の方眼紙である。A4版の4倍だから結構広い。この上に単語を並べてみたり構成案を書き殴ったり頭を整理するための図を描いてみたりする。落書きを続けていると段々頭の中が整理され記事の構成が見えてくる。

誌面は有限だから取材した内容を絞り込まないといけないが最初は「書きたいことを全部書く」つもりで方眼紙に書き出してみる。一通りの材料を見渡さないと絞ろうにも絞れない。記事は面白くないといけないが面白く書こうと意識し過ぎるとかえって面白くなくなる。「打算は不要」とはそういう意味である。本文の構成をまず考え、図表の検討は後回しにする。これが「図表にとらわれるな」である。図や表を先に作り、それらを引用する本文を後から考えるとうまくいかない。

パソコンを使ってもほぼ同じことができるはずだが、いくら書いても頭が回らない。構成をまとめられないので次第にいらいらしてくる。うまくいかない理由の一つはパソコンの画面が小さいからだろうが、たとえA2版と同じくらいの大型ディスプレイを使ったとしても、やはりうまくいかないと思う。手を動かさないからである。

太文字が書ける万年筆でA2版の方眼紙にあれこれ手書きしたり、書いた言葉と言葉の間に線を引いたりしていると頭が動き出す。頭が回っている気がするだけかもしれないが構成をまとめられるとすっきりして気持ちが良い。パソコンのキーボードになると、いくら叩いても頭が回らないし、打ち間違いや誤変換をしてしまい気が散るばかりになる。

A2版方眼紙を使うようになったのはたまたまである。20年以上前、所属していた編集部に大量に置いてあり気が付いたら使っていた。当時は雑誌に掲載する一覧表をその方眼紙に手書きし、それを制作会社に送って図や表を作ってもらった。その後パソコン上で表を作るようになり編集部の面々は方眼紙を使わなくなった。放置されている方眼紙を使い続け、事務所の引っ越しがあると自分の荷物として方眼紙を運んでもらった

何年も使っていると方眼紙の残りが少なくなっていく。この紙が無くなったら記事を書けなくなる、と冗談を言っていたがついに無くなる日が来た。だが、幸いにも別の方眼紙が手に入った。経営コンサルタントの大前研一氏が自らデザインした方眼紙である。雑誌の仕事で大前氏に取材をした際、発想法の話になった。仕事をしている部屋を見せてほしいと頼むと大前氏は自分の机がある別室に案内してくれた。机の上にはA2版の方眼紙が置かれていた。

電機メーカーの研究員から米国のコンサルティング会社へ転職し、コンサルタントになってからその方眼紙を考案したという。升目がかなり大きく、紙の端に英単語がいくつか印刷してある。その単語を眺めると頭が回る、大前氏にとっての「おまじない」だそうだ。欲しいという声が寄せられたため大前氏はその方眼紙を販売していた。早速購入し、それ以降、大前氏特製方眼紙を愛用している。ただし大前氏ほど頭が回っているとは思っていない。

(c) 2015 谷島宣之 All rights reserved.

引っ越し

先日、引っ越しを行いました。
押し入れから、十年前の引っ越しから開封されていない箱がいくつも出てきて、まるでタイムマシンの様でした。箱を開くと「あーこんな所にあったのか」と、その存在を思い出し過日の記憶と共にノスタルジーに浸りました。すると断捨離の決意も鈍り、作業が進まなくなり、引っ越し荷物も膨れあがっていきました。

そんな中で引っ越しの前日には、引越準備作業の遅れが顕著になり、とりあえず箱詰め優先という方針にせざるを得なくなりました。
あちらこちらから出てくるクリップやらペンなどの小物を整理する時間を惜しむあまり、それらをゴミ箱に入れてしまいました。

引っ越し後には、百二十もの箱のどこに何が入っているのかが分からなくなり、コップや皿が見つからない、フライパンはあっても油が見つからないなどで、直ぐに食べられるものを買ってきて食事を終わらせるという、キャンプの様に不便な生活になってしまいました。そんなときにコミュニティのメールで、ベンジャミン・フランクリンの十三徳が紹介されました。特に「規律、物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。」は当を得ていて刺さりました。勝手な想像ですが、偉人が引っ越しをしたら、「○○引っ越しセンター」を軍隊のように整然と統率するのではないかと想像して苦笑しました。

最後に引っ越しから得られた教訓を以下にまとめました。

  •  人の脳は、キーになる情報があれば、かなり昔のことでも思い出せる。
  • 使える物でもアクセスしにくいと使わなくなる。使わなくなると使えなくなる。
  • 同じ物でも数や種類や品質が揃っていると価値が高くなり、そうでないと価値が低くなる。
  • 同じ物でも時と場所によって価値が高くなったり、低くなったりする。
  • 近くに物があっても中身が分からなければ、使う事ができない。

以上より、記憶に残るキーとなる情報、整理整頓、アクセス容易性、メンテナンス、オンデマンド、ボリューム、ラインアップ、インデックスに価値があると言えるでしょう。また、「物」を「人」に置き換えても通じるところがあり、考えさせられました。

一つの失敗からたくさんの教訓を学ぼう

この会場に通って今日で3日目です。前日と同じようにタクシーに乗り込み駅まで行きました。駅に着いたのは夕方の5時半過ぎでした。ここからホテルまでは列車に乗って1時間半ほどかかります。この会場での仕事も最後なので駅前で食事がてら軽く飲んでいこうということになりました。駅傍のビヤホールのドアをあけ、地ビールとソーセージの盛り合わせを注文しました。今回の出張のメインの仕事を終えたということで緊張感からも解放され実にうまいビールでした。当然ですが、そのあとに起きることは想像にもしていない二人でした。駅に入り、私たちの乗る電車が10番線から10分後に発車する事を掲示板で確認しました。階段を下りて、そのホームに着くと既に列車は入線していました。たしか真ん中あたりの車両に乗りんだと思います。これから1時間余りの列車の旅です。仕事が終わりおいしいビールを飲んだ私たちは、あしたのスケジュールというか、仕事が終わってからの夜の計画を話し始めました。しばらくすると、同じホームの反対側の番線に列車が入線してきました。私たちは特に気にも留めず、明日の晩はどこに行こうかという話にはずんでいました。そして、列車が発車しました。ここは、ドイツのハノーバ駅のホームです。私たちはハノーバメッセの視察という目的で出張に来ていました。メッセの視察は3日間でその日が最終日でした。今回の出張の楽しみは4日目以降でした。そうです明日からはパリです。当時会社が新しいサービスを模索していた関係でフランスの通信会社が始めたODVのサービスの調査をすることにしていました。なぜ、今列車に乗っているかというと、メッセが開催されるこの時期はハノーバ市内のホテルはまったく予約がとれなません。また相当な金を払わないと泊まれません。そのような必然的な理由で、私たちはハノーバーからICE(Intercity-Express)いわゆる特急で1時間半近くかかるハンブルグ中央駅のそばのホテルに宿泊していました。東京に泊まって名古屋まで新幹線で3日間通ったようなものです。

話は戻りますが、そうこうしているうちに、私たちを乗せた列車が発車しました。私たちは、4人がけのボックスシートに陣取りました。ドイツの列車には、ボックスの中央に設置されたテーブルにその列車の時刻表が置いてあります。つまり、その列車の停車駅と時間等が記載されている固有の時刻表が印刷物で用意され、それが座席ごとに置かれているわけです。初日に乗ったときは随分ときめ細かなやり方だと思いましたが、初めてでも何時にどこに着くのか理解できるのでとても良いサービスだと思いました。さて、ハンブルグ到着時間は何時になるか、確認しようと時刻表を見ました。表記はドイツ語と英語です。駅名と時間だけですから誰でもわかります。その時に,初めて何が起きたか理解しました。時刻表にHanburgという単語が見当たらないのです。目に飛び込んできたのはBerlinという単語でした。どうも私たちは電車を乗り間違えたらしいのです。ハノーバ駅でしっかり確認したはずなのに・・・と私は思いました。でも、よくよく考えてみると、1つのホームには両側に番線があります。例えば1番線と2番線は同じホームです。列車に乗り込むときに本当に10番線だと確認したのか、9番線ではなかったのか、でも二人とも迷うことなくこの列車に乗り込んでしまったではないか?そしてその時には全く気にも留めなかった反対側の番線に入ってきた列車が私たちが乗るべきHanbugに連れ帰ってくれる列車であると、理解したわけです。
ちなみにハンブルグはハノーバの北方向約180km、ベルリンはハノーバの東方向約300km。
方角を時計の針で表現することがありますが12時の方角に帰るつもりが3時の方角に歩いていた、というようなことです。しかもこの列車はICE(日本の新幹線のようなものなので)次の停車駅はまではあと40分。ということが時刻表から読み取れました。

さて、LLの話に移りますが、この失敗の理由は、“思い込み”でした。
ホームに来るまでは何も間違いはなかったのです。その列車内での反省会の結論は、二人とも確たる根拠もなく停車中の列車を、ハンブルグ行だと思い込んでしまったということしたで。相棒の言い分は、「だってTさんが自信ありげに迷いもなく乗り込んだので、私はついてきただけですよ」そして私の言い分「だって君が確認したかのように、この列車に乗ろうとしているようだったので乗っただけだよ」つまりお互いにお互いを信じて、迷うことなくハンブルグ行だと確信していたという、ダブルの思い込みの結末でした。

私はこの列車乗り間違えの失敗経験からいくつかの教訓を学びました。

【教訓1】「思い込みは人を誤った道に進める落とし穴である。」
これは、仕事の中でもプライベートの人間関係などでもよく経験することです間違った思い込みは、必ず、失敗の原因となります。大事な友達を誤解という思い込みで失った人もいます。たとえ確認することが難しい場合でも勇気をもって確認しましょう
【教訓2】「大事なことは他人に頼るな、自分の目、自分の耳で確認せよ」
プロジェクトマネジメントにも通じる教訓です。他人の報告や、不確かな情報だけで重要な判断をしないようにということですね。
【教訓3】「赤信号みんなで渡れば怖くない」はとても危険」
人は皆で同じ行動をしている時に何も考えなくなることがあります。気も大きくなります。そして物事の善悪がつかなくなる場合もありますね。しかし、赤信号をみんなで渡れば恐怖心はないかもしれませんが、違反です。危険です。トラックが突っ込んできても言い訳できませんし、場合によっては命を落としかねない悲惨な結果になります。今回も、もしも、一人で来ていたら番線をきちんと確認するなり、乗り込む前に列車の行先を確認し列車を乗り間違えることはなかったでしょう。二人という状況がこのような思い込みと安心感を生み出したのかもしれません。

さて、乗り間違えに気づいてからの顛末は・・・・・
私たちは本当にこの列車がハンブルグには行かないのか、まず車掌さんを探しました。ちょうど検札にきた若い車掌さんに聞いたところ、英語が全く通じずさっさと行ってしまいました(ドイツでは若者は皆英語が話せると聞いていたのですが、これも間違った情報だったようです)。彼はしばらくして英語の解る別の車掌を連れてきました。しばらく話しをするうちに私たちの一縷の望みは消えてしまいました。やはりこの列車はベルリン行でした。そして、次の停車駅まではあと30分余りかかること、次の停車駅で降りてハノーバまで戻り、ハンブルグ行の列車に乗り換えるしかないということ、そして次の停車駅からハノーバ行の列車が何時でるのかはその場ではわからないこと、を私たちは理解しました。しばらくして停車した駅はICEが停まるにしてはやけにさびしい、薄暗い周りが野原のような印象でした。駅員を探してハノーバ行の電車の発車時刻を聞くと、あと1時間くらい後だと告げられました。やっと乗ることができたハノーバ行の列車はいわゆる普通列車でした。車内もなんとなく汚れていて、ハノーバまで何駅か停まり2時間近くの時間がかかりました。そこからしばらく待ってやっとハンブルグ行のICEに乗ることができました。結局ホテルに着いたのは12時近くでしたが、一応その日のうちにリカバリーできたということで、明日のパリの夜を思いながら二人で祝杯をあげた次第です。

© 2015 Tomoji Takehisa, All rights reserved

振り返りをしましょう、次回の目標達成への近道となります

組織プロジェクトにおける自分の役割について、個人の目標をたてて実践することで振り返りにより気付いたことを教訓とすることができます。

 

プロジェクトが始まるとき、体制図があり自分の役割が決まります。その時にやるべきことについて、目標を明確にして自分なりの作業を計画します。

その計画を実行するときには、全体計画表にあるマイルストーンやイベントのある時点が区切りとなりますので、省みるタイミングとします。あるいはすべてが終了したときには、省みるタイミングとなります。そうすればメンバー全員で「振り返り」ができ、プロジェクトの振り返りにも役立ちます。新しくプロジェクトに参加するメンバーにも「振り返り」の習慣ができるようになります。

振り返りとしては良かった点と悪かった点を書き出してもらいます。区切りごとまたは終了時は自分個人としての良かった点と悪かった点を記録しておきます。

良かった点は、案外忘れていくものです。ほかの人に褒められたり、マネされたりしている点は、他の人にとっても役に立った証拠です。自分の知恵袋に登録したいものです。したがって区切りだけではなく、気が付く度に記録することを推奨しています。

最初は個人の記録にすぎませんが、プロジェクトが終了したときには個人の知恵袋になっています。振り返り集は宝物です。

個人だけの振り返り集を作っても良いですが、リーダーがまとめて振り返りミーティングを実施し、共有することもとても良いことです。

良かった点は今後も、それを取り込んでいけば、効率よくプロジェクトを遂行できます。

個人のプロジェクトでも同様です。

先ずは、良かったことを細かいことでも構わないので記録します。一つでも見つけることが大切です。そして悪かったことを記録します。つまり反省点です。立ち止まってひとり反省会をします。思い出に浸るのではなく客観的に振り返ることが大切です。

良かった点は今後に生かすために残します。悪かった点は改善するために残します。プロジェクト終了時に1分でも振り返り、改善点や自分に役立つ教訓は記録します。記録は1か所にまとめるようにします。記録する改善事項は同じものが重複しないように項目別に分類しておきます。改善点や教訓がたまると、個人用の改善点・教訓リストになります。個人プロジェクトの計画をたてるときにこの改善点・教訓リストで点検します。改善点・教訓リストは、増える一方ではなく、より良いものに更新していきます。

あるプロジェクトでの振り返りで「良かった点」について、複数のメンバーが下記の点を挙げています。プロジェクトの立ち上がり時点、つまりキックオフミーティングが開催されたことです。そこでユーザーが今回の要件の開発目的と出来上がった時の使用目的を説明し、便利になることにより現場が効率よく仕事ができるようになることなどを説明しました。目標が明確になり、参加者は出来上がりをイメージすることができたことが良かったという意見です。

目的が明確になり、全体の不備率(障害件数)も通常のプロジェクトより大幅に減少しました。

通常、リーダーレベルのメンバーしか案件説明会に参加しなかったのですが、その後はできるだけ多くのメンバーが説明会に参加できるよう、工夫しています。

このような場合、個人のプロジェクトでも目標を明確にし常に出来上がりをイメージすることは、失敗も少なく成功へと導くことになると思います。

振り返りを実施し、良かった点、悪かった点を記録し、自分の教訓リストを作ってみてはいかがでしょう。

「ふりかえり 教訓出しは 熱いうち」

個人プロジェクトでもふりかえりをすることは大事です。ふりかえりを繰り返すことによって、知識、経験が確実に蓄積されます。ふりかえりをしないと失敗を繰り返しかねません。成功したとしてもなぜうまくいったのかという教訓を残せないため、次回の成功確率が下がります。かなり痛い目にあった経験は、ふりかえらずとも身体が覚えているかもしれませんが、そういった例はごくまれです。

ふりかえりで注意しないといけないことは、実施するタイミングが大事だということです。ふりかえりを行なう時期が遅くなればなるほど、過去の記憶が失われ、その時の生々しい感覚も失われてしまいます。そして、「大変だったけど、もう終わったことだし今さら思い出すのもなぁ」とか「随分前のことだから、もういいよ」と、なってしまいがちです。

わたしは毎朝起きてから寝るまでの行動記録を手帳に記載しています。そして、一日の最後に手帳を見て、その日のふりかえりをし、日記に一言書くようにしています。良かったことでも、良くなかったことでも、その日のふりかえりで気付いたことを記載します。「次はこうしよう」といったことを書くこともあります。今使っている日記は、10年間書くことができるようになっているので、昨年の同じ日に何を考えていたのかわかります。過去の教訓を改めて思い出すこともできます。もっともあまり変化も無くふりかえることが何もない日もあります。そういったときは、「(過去のふりかえりのお蔭で)問題なく一日が過ごせた」とだけ書くようにしています。個人のふりかえりですので、格好いいことを書こうと気張る必要はありません。自分にとって大事だと思ったこと、今後のために記録に残しておこうと思ったことだけ書けばいいのです。

「鉄は熱いうちに打て」。このことわざのようにタイムリーにふりかえり、明日からの自分の糧としませんか。

(c)2015 Fumiaki Tanaka All rights reserved.