カテゴリー別アーカイブ: Y 勇気を出して挑戦

動きましょう 止まっていては 縁も来ず

ここ十数年、正月には奈良の薬師寺に行って写経をし、
法話を聞くことにしていました。実家が奈良ということもありましたが、
最近は東京五反田にある薬師寺東京別院で写経を続けています。
別に信心深いわけではありませんが、新年に当たり気持ちを
リフレッシュするためです。
以前奈良で聞いた法話の中からの紹介です。
正月とは、まさに字のごとく「正す月」であり、去年一年の我が身を振り返り反省して、今年一年の心を整えて、正す日だそうです。(やはり振り返りは大事なんですね)
縁起とは、「縁を起こす」ということであり、ただ待っていてもダメである。願い事をして待っているのではなく、仏様との縁を「起こす」、すなわち行動に移すことが大切である。自ら行動を起こすことで「縁起」となるのだそうです。
世の中にあるいろいろなご縁も同じで、自分から行動を起こさないと
縁起にはならず、願いは叶わないそうです。(やはり自ら行動することが大切なんですね)なにごとも勇気をもってチャレンジしていくことが大事なようです。
ある大学の先生も「棚ぼた(棚からぼたもち)」もただ座っていてもダメでぼたもちが落ちてくる可能性のある棚の下に行くという行動が大事だとおっしゃっていました。
それ以来、少々自信がなくても思い切って動くようにしています。いつもうまくいくとは限りませんが、失敗しても「縁」は頂けていると感じます。

©2023 Fumiaki Tanaka All rights reserved.

寝る前の 英語のテープ 子守歌

高校時代に、何がきっかけか忘れましたが英語のヒアリングを無性に勉強したくなりました。当時の教材は主に高価なレコード(!)で、貧乏学生にはネイティブ英語を聞く術は乏しかったものです。教育番組を定時に聞くのは効率が悪いし、極東放送(当時FEN)は音楽番組が多く、短い早口のニュースは初心者には今一つでした。

そんな時、中学生だった妹がたまたまイギリスのペンパルと文通を始めていて、返事を書くのに苦労しているのに気づきました。そこで兄が時々割り込み、返事を書かせてもらうことにしました。

そのうちにいいアイデアが湧いてきました。当時出た一番安いナショナル小型テープレコーダーを、苦労して貯めた小遣い全部をはたき、やっと手にいれました。そして小さなリールに録音したものを、思い切って手紙に添えて先方に送ってみたのです。中身には「もっと英語の勉強をしたい。いくつか文章を送るので読んでテープに入れてくれませんか?」と録音して。

兄妹のへんな英語を相手は却って面白がったようです。返信をテープで送ってきました。「もちろんOK。文章送ってください。」それは助かるなあ! まずは参考書「英作文の修行」(兄のおさがりでした)の例文を数十個送りました。返信で全部読み上げて送ってくれました。やったぞ!とても有難いテープです。寝る前に繰り返して聞いた結果、全部丸暗記してしまいました。

先方はSheffieldに住んでいたLynda Robertsさんで、小学校教師を目指して勉強中でした。結局のところ、例文を5回以上に分けて、数百あった全部を書いて送って読んでもらいました。相手が読める字を書くのは大変でスペースも食います。途中からは兄のタイプライターを借りて打ちました。そして読んでもらったものを同じように寝る前に繰り返し聞いて、丸暗記しました。それでずいぶん力がついたように思いました、自分が言うのもなんですが。ただ、英語を聞くと眠るという癖もついたように思います。

文通はその後も間歇的ながら長く続き、先方は無事に小学校の教師となり、結婚するとの、近況を知らせる長い手紙が来ました。こちらは大学3年頃でしたが、祝電とお祝いメッセージを録音したテープなどを送ったと記憶します。

それからまた4年後ぐらいに、Lynda Hughes婦人の長い手紙が来ました。こちらは私が仙台に赴任直後で、前の宛先住所から転送されてきました。手紙には、ついに親の家から独立し家を買うことや、テープを送ってないのを気にしていたが、旦那さんのGeoffの協力でやっとテープを作り別送したなどです。

そのテープを期待してしばらく待ちましたが届きません。調べると郵便局の転送期限が過ぎたためとわかり、結局行方不明でどうにもなりませんでした。残念無念でしたが記憶にあるのはそこまでです。最近SNSなどで先方の所在をさがしてみましたが今までのところ見当たりません。

ところで当時の自分の英語の勉強について考えてみれば、会話学校とか、まして留学など到底あり得ない貧乏な環境です。しかし「貧すれば鈍する」とはならないようトライした結果、よい機会に恵まれたと思います。「窮すれば通ず」で先方には今でも感謝。何事も、とにかく挑戦してみるに限りますね。

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ゐなか者 来ないフライト 待ちぼうけ?

いろはかるたの中程にある「ゐ」を使ってみました。それほど古くはないですが、年寄の自慢話の類に属します。1984年3月、30代の時です。お客様の現場をたくさん経験し、私は挑戦意欲満々。一介のSEなのに、プロジェクトの隙間でSE用のシステム開発ガイドを作りたくなりました。思い切って役員に上申したら承認されて予算がつき、半年ほどそれに没頭しました。この話はその時に強く認識した教訓です。

成果がまとまってきて、米国社内のエキスパートとのすり合わせを命じられました。エキスパートの方々の人選は、ダメ元で研究所(脚注*1)に出向いて、そこのマネジャーに快く助けてもらいました。紹介された人達は皆、後で斯界のリーダーとなられた方々で、的確な人選に今でも感謝しています。事前に電話、社内便、当時の社内eメールなどでやりとりした後、先方3名とそれぞれ面会し同意を得る形になりました。

次の図は汚いですが、自分用の日程表からその出張部分を切出したもの。クリックすると大きくなります。

出来事は16日のポケプシーで起きました。

行きの飛行機は小さなプロペラ機でびっくり。乗客は数名で操縦席が見えました。途中揺れまくるので、乗客の一人は「この古い飛行機を落ちるまで使うんだね」との冗談も。

ともあれポケプシーに到着。目的の建物をやっと探し出し、半日の打合せは無事に終了。その帰りです。雪が降りしきる小さな空港で20時のフライトを待ちましたが、それはなかなか飛んで来ません。1時間過ぎても来ないのです。他に旅客が誰もいないので心配になりました。公衆電話から航空会社に電話したら、なんと「フライトはキャンセルの予定ですが・・」。え?

「搭乗券は往復発行されたのに冗談でしょ、凍えそうなのですぐ来て欲しい。今日中にNYに帰る方法が他にありません・・・」。先方は「機体整備が遅れているし搭乗客は1名。車ではダメですかね?」。こちらは「夜遅いのでそりゃ無理、何とかお願いしますよ」。必死の頼みに「お客様、どちらから?」「日本の田舎から一人で・・」とか、だんだん雑談になりました。

そのうちに相手もしかたがないと思ったのでしょうか。しばらくすると「今機体整備が終わったので向かう。1時間ほど待ってください。」やれやれです!コインを食べまくる電話の操作も大変でしたがこの際は仕方なし。1人だけのために空港は閉じられなかったのですが、暖房はとっくに消されて寒いのなんの。しかし電話してよかった!もし何もしないとどうなっていたか?待ちぼうけの結果キャンセルが表示され、ゐなか者が夜中に宿を探す羽目になったかと思うとぞっとします。

そんなことは色々ありましたが、そこでますます確信したLessonsがあるわけです。「ダメ元で挑戦する」ことがなければ、こんなに珍しく、また本当は楽しい仕事の経験はできなかったでしょう、ということです。

ついでに古い資料ですが、日程表にたくさん挟んであった社内ITPS(国際テレックス処理システムだったか、忘れました)受信票の一例です。

発信者R.Taboryはワトソン研にいたソフトウェアの権威、一介のSEの求めに対し、気さくに迅速に応じてくれるのが凄いと思いました。ダメ元で挑戦してみるからこそ、初めて何らかの機会がやってくることを実感したのでした。

世の中は余裕も隙もない現代へと向かってきたように見えます。こういう恵まれた環境は今や多分どこにもないでしょう。しかし、ダメ元でやってみるという勇気は、物事を前に進めたりカベを打破したり、場合により苦境から立ち直るチャンスを作ることは確かです。今個人事業を始めて15年、好きなことを楽しみながら苦労を重ねていますが、この教訓がどこでも役立つことをしばしば確かめてきた次第です。

注*1: Japan Science Institueで東京基礎研究所の前身。当時千代田区三番町にあった。 Laszlo Beladyはそこのマネジャー。略称Les Beladyさんは世界中で長らくご活躍され、その後も何度かたいへんお世話になりました。

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