カテゴリー別アーカイブ: 4-2 内発的動機づけ

LL振り返り20190624

パーソナルPM研究会_LL振り返り_20190624_公開用

『心は行動となり、行動は習癖を生む。習癖は品性を作り、
品性は運命を決する』
ひいては「その変わった心で毎日の仕事や生活に取り組むこ
とで、運命を変えられるのではないか」という思いも昂じて
きました。
私は、その昔自分のTo-doリスト項目が完了した時に、気づ
いたことを項目の右にちょこっとメモするのが習慣になりま
した。自分用なので一言だけなのですが。数年やっている
と、同じ気づきが何度も出るのがわかりました。
自分用に10年続けた結果がこうなった
優越を求める価値観  >  人生の成功に焦点
理性を求める価値観  >  真理の追求に焦点
安心を求める価値観  >  平等な社会に焦点

パーソナルPMコミュニティで3回にわたり、LLを見直しながら自分の人生の目標・目的について考えてきました。

深く考察を進めていく中で、自分がどの価値観に重きを置いているのか、これを考える指標になるものを編み出す必要を感じ、これまでにやってきたことを分類整理してきました。

今回もLLを振り返りながら、この会を通して自分自身が達成パーソナルPMについて考えていることを発表します。(6/24発表予定、この記事は6/22に書いています)

LL振り返り20190520

明日の会に向けて準備しました。

パーソナルPM研究会_LL振り返り_20190520_公開用

LL振り返り20190415

マルチステージの時代に

寿命の伸びは世界各国で顕著です。この60年ほどを見れば次のグラフのようになっています。日本では1947年から詳しい統計がとられていますし、欧州各国では19世紀半ば、または1920年代から作成されてきたのに驚きます。公開されている“Human mortality database”に蓄積された38か国のデータの中で、上昇傾向以外の複雑な動きはロシアだけで他に例外はみあたりません。(図が見づらい時はクリックしてご覧ください。)

例えば2007年に生まれた人の平均寿命は軽く100歳を超えるとの予測がされています(注1)。ところが先進国の人口ピラミッドは次のような形で、高齢者をささえる若年層が不足しています。改善の努力が先進国で行なわれてきましたが、ご承知のとおり日本は先細りが直っていません。ここに示しませんが、例えばインドやマレーシアでは各国の寺院の屋根のような形、アフリカ諸国では下辺の広いピラミッドです。(図が見づらい時はクリックしてご覧ください。)

若年層が少ないと平均寿命に影響するのかちょっと気になりますし、イスラエルの人口構成がきちんとしているのにも驚きます。少し脱線しますが、疑問を解くため年齢別の死亡率を調べたところ、高齢層と若年層では桁違いの差があり平均寿命に殆ど影響しないことが分りましたので更新しておきます。下の図は日本とイスラエルの比較です。

要するに平均寿命は純粋に伸びています(米英等で最近になって横ばい気味なのが気にはなりますがきっと原因があるでしょう)。仕事時代より退職後が長くなっているでしょうし、それを支える長い「年金生活」という発想は成り立ちにくくなるでしょう。

人生が1)学び、2)勤め、3)隠居の3ステージから成るという過去の観念は捨てる必要があるでしょう。ステージが混じり繰返すような「マルチステージ」(注1)の人生が増えるというわけです。日本では15歳未満と65歳以上が被扶養層と定義されていますが、70歳、さらに80歳まで仕事をするのが常識となるかもしれませんし、年齢だけでの差別はなくしていくべきと思えます。

最近のパーソナルPMコミュニティの会合で、メンバーの徳永光彦さんがマルチステージを取り上げられたのに触発され、筆者を含め多くのメンバーが現代の人生におけるその重要性に改めてフォーカスしています。一人では気づきにくいことも皆と検討すると気づくことの典型でしょう。

若手メンバーの柳沢大高さんは、スキル修得に関する執拗な研究成果の一端を、一般向け書籍として書かれています。8月23日に発行されることになりました。マルチステージへ向けた「学び」へ正面から向き合うための格好の書となることを期待しています。

改めて身近な人たちを見回せば、マルチステージを実践している人は既にたくさん居るのに気づきます。皆様の周囲にもおられるでしょうし、考えてみれば筆者もその仲間です。それが続けられるためには健康が第一ですし、自分で考えるミッション(目的の構造化)、柔軟な思考や新しいことを受容れる姿勢などがますます大事になると思います。

パーソナルPMコミュニティでは2018年10月14日(日)の午後、「パーソナルPMシンポジウム2018」(参加無料)を都内で主催することとなりました(満席となりお申し込みを締め切らせて頂きました)。

PPM18A6

その中で徳永さんのマルチステージ実践に基づく発表も予定されています。投稿が長くなり過ぎるため、「パーソナルPMシンポジウム2018」については後ほど別投稿としてご案内したいと思います。パーソナルPMに少しでもご興味をお持ちになられたら、どなたでも気楽にご参加いただけるようお待ちしています(すでに満席となりお申し込みを締め切らせて頂きました)。

(注1)Lynda Gratton & Andrew Scott, The 100 year Life,2016. 池村千秋訳、ライフシフト、東洋経済新報社、2016.

©2018 Akira Tominaga. All rights reserved.

 

目的はいつも複数持つ

単純ですが、これは大事なことだと思います。今までこのLL集のどこにも書かれていないことに気づきましたので慌てて追加します。

1つだけの目標へと邁進するのが良いかのように書かれている自己啓発書籍は複数あります。ところが、その一つの目標をめがけて全てがうまく行っておればよいのですが、つまずいたり壁に当たったり、何らかの失敗や不遇はあるものです。

目標がひとつだけですとその際に心が折れやすく、立ち直り難くなります。目標を複数持っていれば、そういう場合に気持ちを入れ替えることができ、立ち直るのが容易になります。

困ったとき何度もそれに助けられてきているのですが、恐らくどなたも多かれ少なかれご経験をされ、思い当たることがあるのではないでしょうか。一つの目標だけに固執するのが間違いになることも多くあります(さらにご興味のある方はJohn Krumboltzの研究成果による著書をご参照)。

組織でも個人でも一般的に、目標(Objectives)の上には目的(Goals)があるべきで、その目的へ向かって目標が複数設定される形が普通でしょう。つまり目標の上の目的がしっかりしていることは重要です。ただ、目標と目的は相対的な位置づけですから、とどのつまりは目的を複数持つのが良いということに行き着きます。さらに、ここでは目標と目的だけ書いて言いますが、より上位のビジョンがしっかりしていることも大切なことだと思います。

上位の目的がしっかりしているのなら、それを目指す目標の一つや二つで失敗したからといって、ひどくは落ち込まないものです。逆に、失敗や不遇の経験がないことこそひどく落ち込む原因でしょう。そういう経験が豊富なら多少の事には負けませんし、偶然や失敗が次へのチャンスへとつながることもあるでしょう。

1つの目標だけに執着せず、柔軟な対応ができるためには、結局は「目的・目標の構造」を意識することが大事だと思います。このあたりは電子書籍「実践パーソナルプロジェクトマネジメント」に書かせていただきました。偶然の出来事や失敗は常にあるものですが、目的をめがけていることこそ、その偶然や失敗が好機となる源だと思います。

当たり前のことかもしれませんが、自分で忘れないためにも書かせていただきました。何かのご参考になれば幸いです。

©2017 Akira Tominaga. All rights reserved.

家事をインスタントタスクとして実施

自身、定年が近づいていることもあり、最低限の家事が出来るようにしたいと考えはじめたところです。数年前から、考えていたことですが、頭と行動が別で「よし、やろう!」という風には踏ん切りが付きませんでした。

そこで、ラーキンのインスタントタスクの方法を取り入れてみることにしました。ラーキンのインスタントタスクは、数分以内にできることを、目標を達成する行動の中から、切り出し手をつけるものです。 なぜなら、大上段に「??料理をつくる」ということだと、何に手をつけてよいか考え込んで、後回しにして時間が無いからと言い訳をし、結果として出来なかったというように成りかねないからです。

インスタントタスクとして、頭に浮かんだものは以下です。「茶碗など洗い物をする。」「洗ったものを拭いて食器棚に収納する。」「キャベツを千切りにする。」「洗濯物を干す」「洗濯物を入れる」「ごみをまとめる」「ごみを出す」「米を研いで炊飯器に入れ、スイッチを入れる」「風呂を洗って、スイッチを入れる」「ヒーターに灯油を入れる」などです。更に余裕あれば、「味噌汁のために具を用意する」「魚を焼く」などです。インスタントタスクとして切り出すと、自身の好きなサスペンスドラマや時代劇など、コマーシャルの間でも可能です。

このように数分で出来ることから、はじめると、慣れないことでも、出来そうだということが、頭にインプットされ、出来るようになります。1日に4回程度でも20分です。一か月では10時間も家事に取り組んだという実績ができます。妻にも好評です。夕方、自身の方が早く帰宅しているときなど、ご飯と味噌汁を作り、洗濯モノを取り込むことなどを行います。妻からは、安心して外での用事に専念できるようになったと言われています。
インスタントタスクの実行が習慣づくと、応用で料理なども出来そうな気になってきます。
今まで家事をほとんどしてこなかった人にとっては、大進歩だと思いませんか?

© 2016 Mitsuhiko Tokunaga, All rights reserved.

雑魚キャラのように闘う

30年ぶりに再開した柔道を、今も細々と続けている。道場以外にも、筋トレに通い、毎日、最寄りより遠い駅に自転車で通勤し、少しでも進歩しようと試みてはいるが、50歳のおじさんが急に強くなるわけもなく、大人の中で僕が一番弱いのは変わらない。

道場に最近、中学生が入門してきた。休まず、一所懸命に練習しているが、大人たちにはなかなか歯が立たない。ある日、道場の先生が僕を指して彼に「まずはこのおじさんを倒すのを目標にしなさい」と話していた。越えられるかもしれない目標を提示して、やる気を失わないように、という配慮であろう。それは分かる。

ただ、その時、僕の脳裏によぎったのは、「俺は雑魚キャラか…?」ということだった。「俺様を倒さなければ、あの方に相見えることはできん!」と大見得を切るものの、案の定、主人公にあっさりとやられてしまう、昔の漫画によく出てきた“最初の関門”的キャラである。知っている人しか知らないと思うが、「北斗の拳」のジャギや、「魁!男塾」の男爵ディーノとかが代表格であろう。当然、当時20代だった僕はそんな雑魚キャラに特別な注意を払うこともなく、あるいは嘲笑、冷笑し、ケンシロウや剣桃太郎といった主人公キャラに自分を重ねていたのであった。

話は変わるが、この歳になって柔道を再開し、気付いたのは「自分がいかに負けること、恥をかくことを恐れているか」ということだった。とにかく、投げられるのが怖くて嫌でたまらない。手加減されるのも許せない。結果、やられまいとして身体はガチガチになり、やられる回数は減るものの、そんなに固くなっていては満足に技もかけられない。

反面、新しく入ってきた中学生も、たくさんいる小学生たちも、嬉々として、自分よりはるかに強い大人たちに稽古をつけてもらっている。何回投げられようが、お構いなしに飛びかかり、技をかけ続けている。

その姿を見て、自分が柔道を始めた高校生の時を思った。自分も彼らと確かに同じで、やられてもやられても、自分より明らかに強い相手に立ち向かっていた。

社会人としての自分はどうだろうか?新人の時はどんな仕事でも、たとえ失敗する可能性が高い提案やプロジェクトであっても、必死になって取り組んだ。それが年月がたち、上司という立場になり、責任を負い、適当に世間ずれし、仕事も少しはできるようになって、失敗できなくなり、そして失敗する回数も減っていった。否、失敗する可能性があることに挑戦しなくなっただけなのかもしれない。

そう考えると、今まで歯牙にもかけなかった雑魚キャラのすごさが身に染みてきた。確実に勝てない相手に対して不敵なセリフをはき、立ち向かい、そしてやられる。可能性としては二つしかない。被我の実力差が分からないほど頭が悪いか、負ける可能性が高いことを知っても立ち向かう勇気があるかだ。漫画での描かれ方からは、前者の可能性が高いことが強く示唆されてはいるが、雑魚キャラとて闘う者のはしくれ、僕でさえ見た瞬間、組んだ瞬間に感じられる実力差が分からないはずはない。勝てると思って、勝つことを信じて闘う主人公より、負けると知ってなお闘う雑魚キャラの方が、本当は勇気があるのではないか。

柔道でも仕事でも、いい雑魚キャラになりたい。一回もやられたくないとガチガチに守るより、十回投げられてもいいが一回でも倒すという闘いをしたい。それができて初めて、「負けない代わりに勝ちもしない」毎日を乗り越えることができるのだろう。

けれども、たとえそうしたとしても、僕は2~3年後に高校生になった彼に投げられるだろうし、十回やられるだけで一回もやれないかもしれないし、それはもしかしたら柔道だけではなくて、仕事も人生もそうかもしれない。それでも雑魚キャラらしく、最後まで不敵なセリフをはき続けていたいと思った。

 

© 2016 Masao Kawasaki, All rights reserved.

自分以外の誰か、何かに没頭してこそ

「禁煙を成功させるには運動が一番だ!」と、ランニング、筋トレ、そして自転車通勤を始めたのですが、そうこうしている内に、「せっかく鍛えているのだから何か目的を持ちたい」という気持ちが昂じ、高校時代にかじった柔道を30年ぶりに再開することにしました。柔道の試合での勝利は、他のスポーツでの勝利以上に、自分に特別な高揚感を与えてくれると感じていました。「男性にとって“強い”ということは、無意識の奥底、本能に近いからこその高揚感なのだろう」「武道、格闘技を通じて自信を得ることは、今の仕事の役にも立つのではないだろうか」と思ったのです。

しかし、実際に道場に通い始めて分かったのは、「社会人になっても柔道を続けているのは強い人達ばかり」ということでした。高校や大学で柔道部やラグビー部に所属し、二段以上が当たり前、ずっと練習を積んできた20代や30代と戦って、30年のブランクがある50歳目前のおじさんが勝てるわけがなく、乱取りで投げられ、もしくは手加減され、自信を得るどころか粉々に砕かれてしまいました。道場の雰囲気はとても良く、そういう意味では楽しいのですが、“土佐犬の群れに紛れ込んだスピッツ”のように、「稽古自体が恐怖」という感覚に陥ってしまいました。

高校生の時は、たとえ投げられようとも、自分より明らかに強い相手にひたむきに立ち向かっていたのに、今はそれができない・・・このことから、自分がいかに、負けること、失敗することを恐れているのかを再認識しました。新入社員の時も、たとえ失敗しようともひたむきに取り組んでいたはずなのに、数十年が経ち、仕事に慣れ、上司という立場にもなり、失敗しない、失敗できないということに慣れるあまり、逆に「失敗を怖れて、失敗しそうなことには取り組まない」という姿勢が、知らず知らずの内に身に付いてしまったのかもしれない、と感じました。

ある日、打ち込みが終わって子ども達の乱取りの時間になり、疲れて道場の脇にへたり込んでいた時、怪我をさせないよう、また指導のため、多くの大人達が子どもの練習に付き添っていることに気付きました。それを見て、はたと「自分が強いとか、弱いとかではなく、目の前で練習している子ども達の役には立てるのではないか、いや、役に立ちたい」という思いが沸き起こってきました。それ以降、自分の打ち込みや乱取りが終わった後に休むのではなく、必ず子ども達に付き添い、見守り、応援するようにしました。しばらくして、子ども達の顔と名前が一致し始め、彼らの成長を心から喜べるようになった時、自分自身の稽古への恐怖心は消えていました。

パーソナルPMにおいて、やる気喪失への予防として「他人のためにやる」ことが挙げられています。また、心理学者のフランクルも“自己超越”という言葉を用いて、「人間は自分を忘れて対象に没頭した時のみ自己実現できる」という言葉を残しています。

柔道でも、仕事でも、「心のフォーカスが自分に向いている内は絶対に解決しない」ことを、「自分の勝ち負けや成功・失敗という次元で物事を捉えるのではなく、自分以外の誰か、何かに没頭することこそが大切である」ことを、この経験は期せずして教えてくれました。

© 2015 Masao Kawasaki, All rights reserved.

自分も人も褒めたことがありますか

頼りにしていたメンバーが会社を辞めたいと言ってきました。8月末に「退職願」を出してきました。何度も取り下げるよう頼みましたが気持ちは変わらず、9月末に退職してしまいました。このメンバーは技術力も知識もある、ベテランのグループリーダーでした。

今開発中のプロジェクトは1年前の10月から分析が開始され、来年の11月に本番を迎えます。彼は中心的な立場でしたので来年の11月までは一緒に目標に向かっていくものだと当然のように思っていました。だれも引き留めることができませんでした。引き継ぎはそれぞれのメンバーに対して行われ、引き継ぎ資料も整理されていました。

退職希望については半年前に一度聞かされていました。今回は2回目となりますので予測しておくべきだったかもしれません。あるいは他の対応策があったかもしれません。

半年前の辞めたい理由には、体制図と実態が合っておらず、立場と役割の不明確さが一番でしたので、グループリーダーとしての立場と役割を明示しました。

目標を明確にし、自身の立場も明確にしましたので納得して会社に残ることを了解してくれました。

また、仕事のマンネリ化、保守・維持している業務範囲が5、6年間変わらず面白みが減っている、自身のスキルアップが図れない、また開発を依頼してくる客先のメンバーのスキルが低すぎる、というものもありましたが、これについては我々の努力により興味を持てるような工夫と提案をしていきましょうと助言し、納得してもらいました。

自分に関しては今までプロジェクトの途中でやる気をなくしたプロジェクト(目標)は個人プロジェクトを除き、ほとんどありません。やる気をなくすようなプロジェクトについては思い出せないか記憶から抹消しているだけかもしれませんが。

先日「こころのチキンスープ5」を読んで気づきました[1]。彼に対して人前でほめたことはなかったような気がします。

彼の仕事ぶりについては、正確さと的確なスケジュール管理および作業指示について、みんなが信頼していることは彼には周知の事実だと思っていました。振り返ってみると「ありがとう」という言葉はよく使っていましたが、「人前でほめる」ということは一度もなかったような気がします。彼が辞めた今になって反省しています。

彼の自尊心を認めて、評価して気持ち良く仕事ができるような環境にしていなかったと、大いに反省しています。

やる気がなくなった彼がやる気を出すようにするには、どのようにすればよかったでしょうか。

パーソナルプロジェクトマネジメントの「やる気がなくなった時に効果がある解決策」10項目のうち、彼にも当てはまるものがあったでしょうか[2]。

それは「目標の明確化」「人に宣言」「時間割」「とにかく行動」「ライバルへの意識」「他人のためにやる」「モデルになりきる」「座右の銘を携帯」「自分に掛け声」「自分にご褒美」という10項目です。

彼へは「目標の明確化」「人に宣言」「他人のためにやる」「自分にご褒美」があてはまったかもしれません。

しかし、やはり「人に宣言」ではみんなの前でグループリーダーの紹介として発表しましたが、「ご褒美」というものはありません。「ご褒美」とは、みんなの前で「ほめる」ことにあてはまるかもしれません。彼の場合、できて当然と認識していたので人前でほめることには至りませんでした。

今後、やる気対策を立てておくということを実践しようと思っています。予防策としてはどうすればよいかも一緒に検討すればやる気喪失は軽減または解決されるはずです。

やる気対策として個人プロジェクトの場合は「自分をほめる」という1項目を追加したいと思います。そして組織プロジェクトの場合、やる気がなくならないよう「ほめる」ということを習慣づけたいと思います。

みなさんも、プロジェクトの途中でやる気がなくなった時、今までがんばってきた自分をほめてみませんか。

ついでに「こころのチキンスープ 5 自分の仕事好きですか」に、ほめるコツが書いてありましたので書いておきます。その場でほめる、心からほめる、具体的にほめる、面と向かって直接ほめる、ほめた後に批判を付け加えない、日常的にほめる。

参考文献

[1]ジャック・キャンフィールド ジャクリーヌ・ミラー著 由布翔子訳「こころのチキンスープ 5 自分の仕事好きですか」 ダイヤモンド社

[2]パーソナルPM研究会/冨永章編著 「パーソナルプロジェクトマネジメント」 日経BP社

 

自分自身に対する褒美の工夫でやる気UP

組織のプロジェクトに関して、携帯電話の新製品開発を例にあげてみます。開発が計画どおり進み製品を出荷し販売も好調になれば、プロジェクトに携わってきたメンバーは、お客さんや会社の経営層から褒めていただき、表彰され、給与のアップといったことが期待できます。それに対して個人のプロジェクトの場合は、外からの報酬は期待できないのですが、資格取得や個人旅行、ダイエット等の目標を達成したこと自体が自信となり、そのことが自分に対する褒美ではないかと思われます。

シャーロックホームズの冒険ドラマ「まだらの紐」の冒頭場面で、女性がシャーロックホームズに、困った表情で調査の依頼に来た時に、今はお金がないが、結婚したら独立してお金が入り、そのときお礼するというシーンがあります。その時シャーロックホームズは、報酬は自分の仕事そのものと言い切っています。このようなお金以外の褒美こそ、個人のプロジェクトを遂行する原動力となり、その点に着目することが重要です。

お金以外で、やる気アップに結び付くものはどんなものがあるでしょうか? 自身の例ですが、仕事や趣味、資格取得などの目標を達成することで、達成感を味わうことです。仕事など何かすることが、自身のキャリア開発に役立つといったこともやる気アップに繋がります。他に考えられることは自分の成長につながると意識できることもそうです。また仕事を通じて、まわりの人やお客さんから喜んで頂き、評価された時も、他人に役立ったという充実感が味わえます。

組織の中で仕事を任される場合、組織の目標があり、その中に個人の目標があります。個人にとっても、仕事の関する目標と仕事以外の目標があります。ふたつの目標が、それぞれ異なれば、仕事と仕事以外で、ふたつの目標を追いかけなければなりません。もし、ふたつの目標を工夫してひとつにできれば、やる気もがぜん変わってきます。組織における個人の目標と個人のキャリア開発の目的や目標の重なりを多くし、的を絞った目標設定を行うことで、常に頭の中で目標を意識することができるからです。このような心の面の褒美に着目することが大切ではないでしょうか。

© 2015Mitsuhiko Tokunaga, All rights reserved.