「もう少し 密に計画 しておけば」

この夏、青森に遊びに行きました。行きと帰りの新幹線の切符予約と宿泊先のホテルの予約はしましたが、あとはその場で臨機応変に動こうというざっくりした計画でいくことにしました。元々仕事が忙しくて事前に調査をする時間もなかったので、過去の経験から何とかなるだろうと考えていましたが、これが大失敗でした。臨機応変とは便利な言葉ですが、応変するにもある程度の下準備なり、段取りなり、リスクマネジメントは必要です。地方の場合、車で移動しない時は交通機関の時間割を事前に調べておくという基本原則を忘れていました。しばらく自家用車以外での旅行をしていなかったのも感覚が薄れてしまった原因です。旅行初日は八甲田山の宿泊施設に泊まることにしていました。新幹線の新青森駅から青森駅まで在来線に乗って着いたのが、昼過ぎ。そこで八甲田山へ向かうバスの時間を確認したところ、最終が13:35出発。なんでそんなに早いの?このバス、実は十和田湖まで向かうので、十和田湖終点に到着する時間(16:43)を考えると13:35を青森駅出発となるようである。八甲田山まで90分くらいと見ていたので、15:30頃のバスがあればと考えていたが、大誤算。午後の青森駅周辺の観光をあきらめて、昼食とって八甲田山へ向かうことに。翌日は、八甲田山から三内丸山遺跡経由で青森まで戻ることにしたが、これまた八甲田山から青森駅に向かうバスの最初がなんと10:18出発。これも十和田湖を朝8:30に出発したバスが八甲田ロープウェー駅前を通過するのがその時間となっていたためであった。三内丸山遺跡到着が11:04で、それから遺跡見学して青森駅に戻ったのが、結局14:00過ぎであった。ホテルに一旦チェックインして、もう一つの見学目的である八甲田山雪中行軍記念館までのバスの時刻表をチェックしたところ、見学時間を1時間半と考えるとあまり時間もないので、翌日朝一番で行って、午後の新幹線で帰ることにした。そこで、午後の残りは弘前城と弘前ねぷた祭りを見学することに変更した。

結果的には、そこそこの見学や観光はできたものの、段取りと準備不足からかなりの時間ロスと効率的な観光が必ずしもできなかった。もう少し事前調査と準備をしておけば、さらに観光できたかもしれず、少し残念な旅であった。

それから2週間後のお盆休みに今度は和歌山県の高野山へ遊びに行きました。目的は、奥の院、檀上伽藍、金剛峯寺を見学し、精進料理を食べることもありますが、阿字観を体験したいということでした。こちらも事前の調査不足で、阿字観は毎日やっているものと勝手に思っていましたが、実は実施日が決まっていて、「基本は金曜から月曜の週4日。金剛峯寺の行事によって変更あり」でした。その確認をしていなかったため、火曜日に金剛峯寺に行きましたが、やっていませんでした。その代わりに授戒を体験してきました。ありがたいお話を聞く事ができましたが、阿字観体験ができなかったことは、残念で次回は日程、時間を確認して行くつもりです。

やはり、個人旅行とはいえ、当初の旅行の目的、目標を達成するには、やはり段取り、事前準備は大事であることを改めて痛感しました。勝手な思い込みはよくありません。日常とは違った世界は、普段の生活の延長線ではありませんので、事前の準備と最低限の計画性は必要だと感じたこの夏でした。「言うは易く行うは難し」ですね。

 

©2014-2015 Fumiaki Tanaka

数人で構成される小さなプロジェクトへパーソナルPMは役立つ?

結論、役立ちます。なぜなら、モダンPMにおいては、組織を対象に考えられているものが多く、家族レベルの数人程度のプロジェクトにおいては、適用に当たりそのままでは使いづらいため調節する必要があります。一方、パーソナルPMの考えにプラスアルファして、対応するという方法があります。そもそも、小さなプロジェクトとはどういうものでしょうか?家族で目標を立ててその目標を達成するといったものです。例えば家族旅行、結婚式、家族ぐるみの受験などです。他に、ビジネス面で、自身が経験したものですが、「事業部門の開発投資見通しデータ作成」という業務があり、目的は、四半期毎に、確認し限られた開発費において、効果的に活用をはかることであり、開発費見通しの精度向上およびリスクマネジメントを行うものです。

プロジェクト概要は、携帯電話の各プロジェクトの開発リーダーにお願いし、集計システムツールを使って、プロジェクト毎に開発費見通しデータを入力してもらい、その値を個々にレビューして、四半期ごとに見通し値を作成し、併せて、課題やリスクを含め、経営陣が意思決定しやすいように報告書を作成するものです。メンバー3名で、主なステークホルダーは、事業部門のトップや、各部門の責任者十数名です。期間は3週間を要します。コストはほとんど3人の工数だけです。メンバー3名ですのでメンバー間の意思疎通の資料は必要ありません。

本プロジェクトで、パーソナルPMの取り組みは、まず目標設定 いつまでに何をやるかということはもちろん必須です。そのためにスコープ全体を掴む為、WBSをつくることです。WBSを作成後、スケジュールを明確にすることが必要になってきます。見通しデータ作成に当たって、課題が浮き彫りになります。 カテゴリー毎やプロジェクトごとの研究費や部門経費の内容を吟味すると、見通しと実績の違いが大きいものや、大きくぶれが発生する場合など実績を参照にしながら、今後予想されるリスクも想定し、見通しの値を確定する必要があります。ただし、組織における大きなプロジェクトのように、課題管理やリスクに対する文書や週ごとの報告書作成といったことはありません。経営者による会議にオブザーバーとして参加させていただき会議の議論内容を確認したあとで、3名のプロジェクトメンバーで、次回に向けて気づいた点(よかった点や改善点)を議論しました。

このような小さなプロジェクトでパーソナルPMという視点で考察しますと、パーソナルPMのフレームワークがよく当てはまります。注意する点は、個人で行うパーソナルPMより、気をつけなければならないのが、ステークホルダーが増えることによって、ステークホルダーの要求をしっかり掴むことが、必要になってくることです。

© 2015Mitsuhiko Tokunaga, All rights reserved.

個人プロジェクトを振り返ることで、より強くなれます

私自身、あるとき、上司より呼ばれ、本来業務とは異なる業務を指示されたことがあります。市場対応で地方へ行って、1件1件お客様の家を回り、部品交換をするという内容でした。
土地勘のない場所で、顧客へのアポイントをとり、お客さまの家で部品交換させていただくのです。

どうして、自分がという思いがあり、いやな気分になりましたが、結局対応することになりました。 数日間はネガティブな感情がありました。それを克服できたのは、同じような経験したステークホルダーが身近に存在し、いろいろと不安な点を質問し、回答いただき、このことをパーソナルPMとして、取り組む決意したことでした。

経験のない初めての仕事は、プロジェクトとして取り組むことに限ります。以前、個人旅行をパーソナルPMとして取り組んだ経験が活かせるのではないかと前向きに思うようになったのです。海外への個人旅行の計画を立てたときに、現地に詳しい方すなわち、ステークホルダーの協力を得て、WBSを作成したこと、WBSをもとに概算のコストや1日ごとの予定、発生する可能性があるリスクへの備えなど計画を綿密に立てた経験が、活かせるのではないかと思いました。そして、以前の個人旅行の経験をもとに、やれそうだという自身が,わいてきました。

このように、自身に経験のないことをするためには、いままでの経験で活かせるものはないかという観点で探し、ひとつでも見つかると、できそうだという気になってきます。そのためには、今まで個人プロジェクトとして取り組み、目標達成できたとき、何がよかったのか何か改善すべきことはないかということを考えて、特定の課題克服だけでなく、他にも適用できないかと考える習慣が必要になってきます。専門的な知識を持っている人はもちろんですが身近な人と話し合ったりすることも効果的です。

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教訓メモ解読・「大きい紙に書く」

仕事で何か失敗した際、今後気を付けるべき事をメモに残す習慣はある。ところが書くと安心するのかすぐ忘れ、同じような失敗をしてしまう。書きためた教訓を持ち歩き、暇を見つけては読み返せば良いと考え、小型のシステム手帳に教訓のメモをはさんでみた。うまくいったが、その手帳を使わなくなった途端、教訓を読まなくなった。結局忘れてしまう。

パーソナルPMコミュニティの活動として各自の「LL(Lessons Learned)」を集め、公開することになったが、なかなか書けなかった。思い出せないからである。やむを得ず放っておいたところ、コミュニティの参加者は次々にLLを書き、公開用のWebに投稿していく。集まりに出ると必ずLLの話題になり、居心地がかなり悪い。

何とかしなければと思っていたところ、週末に部屋の掃除をしている時に小型システム手帳に入れていたメモの束を発見した。それをめくるとLLがいくつか出てきた。これで書けると思ったものの転記しようとして困った。20年くらい前の古いメモなので書いた本人でも意味が分からない点がある。おそらくこういう失敗をして、このようなつもりで教訓にしたのであろう、と推測し、それを書くことにする。

1998年12月に書いたメモをまず転記する。

「手で書く ・メモ・原稿 ワープロ使わず」

「構成は頭と手で → 大きい紙に書く パソコンで無理 ×××のインタビュー」

同じ1998年12月に書いた別のメモにも似た記述がある。

「書きたいことを全部書く 打算は不要 図表にとらわれるな 大きな紙の上で一人ブレストする」

「×××のインタビュー」の「×××」には企業名が書いてあった。その企業のインタビュー記事を執筆しようとして、うまく書けなかったのであろう。「パソコンで無理」とあるから、記事の構成メモをパソコン(ワープロ)で作ろうとして果たせず、結局、「大きい紙」に手書きをして、ああでもないこうでもないと「一人プレスト」をしてまとめたらしい。

大きい紙、大きな紙とはA2版の方眼紙である。A4版の4倍だから結構広い。この上に単語を並べてみたり構成案を書き殴ったり頭を整理するための図を描いてみたりする。落書きを続けていると段々頭の中が整理され記事の構成が見えてくる。

誌面は有限だから取材した内容を絞り込まないといけないが最初は「書きたいことを全部書く」つもりで方眼紙に書き出してみる。一通りの材料を見渡さないと絞ろうにも絞れない。記事は面白くないといけないが面白く書こうと意識し過ぎるとかえって面白くなくなる。「打算は不要」とはそういう意味である。本文の構成をまず考え、図表の検討は後回しにする。これが「図表にとらわれるな」である。図や表を先に作り、それらを引用する本文を後から考えるとうまくいかない。

パソコンを使ってもほぼ同じことができるはずだが、いくら書いても頭が回らない。構成をまとめられないので次第にいらいらしてくる。うまくいかない理由の一つはパソコンの画面が小さいからだろうが、たとえA2版と同じくらいの大型ディスプレイを使ったとしても、やはりうまくいかないと思う。手を動かさないからである。

太文字が書ける万年筆でA2版の方眼紙にあれこれ手書きしたり、書いた言葉と言葉の間に線を引いたりしていると頭が動き出す。頭が回っている気がするだけかもしれないが構成をまとめられるとすっきりして気持ちが良い。パソコンのキーボードになると、いくら叩いても頭が回らないし、打ち間違いや誤変換をしてしまい気が散るばかりになる。

A2版方眼紙を使うようになったのはたまたまである。20年以上前、所属していた編集部に大量に置いてあり気が付いたら使っていた。当時は雑誌に掲載する一覧表をその方眼紙に手書きし、それを制作会社に送って図や表を作ってもらった。その後パソコン上で表を作るようになり編集部の面々は方眼紙を使わなくなった。放置されている方眼紙を使い続け、事務所の引っ越しがあると自分の荷物として方眼紙を運んでもらった

何年も使っていると方眼紙の残りが少なくなっていく。この紙が無くなったら記事を書けなくなる、と冗談を言っていたがついに無くなる日が来た。だが、幸いにも別の方眼紙が手に入った。経営コンサルタントの大前研一氏が自らデザインした方眼紙である。雑誌の仕事で大前氏に取材をした際、発想法の話になった。仕事をしている部屋を見せてほしいと頼むと大前氏は自分の机がある別室に案内してくれた。机の上にはA2版の方眼紙が置かれていた。

電機メーカーの研究員から米国のコンサルティング会社へ転職し、コンサルタントになってからその方眼紙を考案したという。升目がかなり大きく、紙の端に英単語がいくつか印刷してある。その単語を眺めると頭が回る、大前氏にとっての「おまじない」だそうだ。欲しいという声が寄せられたため大前氏はその方眼紙を販売していた。早速購入し、それ以降、大前氏特製方眼紙を愛用している。ただし大前氏ほど頭が回っているとは思っていない。

(c) 2015 谷島宣之 All rights reserved.

身近な個人プロジェクトから得られたもの

身近な個人プロジェクトとして取り組んだダイエットの例を紹介します。2008年にメタボ診断がはじまり、健康診断の結果は、標準体重から6kg~7kg重く、血圧は高めでした。さらにメタボ診断で新たに追加されたお腹まわりの測定で、目安とされていた値(男性の場合は85cm、女性の場合は90cm)を5cmオーバーしていました。そこで、会社の健康管理室より、「内臓脂肪の疑いがあり,メタボリックシンドローム予備軍の状態」と言う通知が来ました。健康管理室の女性陣のアイデアでやんわり、「メタボリック・クイーン号に乗船し私たちといっしょに旅をしませんか。私たちが面倒を見ます。」というお便りが添えてありました。面白そうなので乗船して看護師の協力いただくこととしました。後で、「メタボリック・キング号乗船資格者」は腹部肥満に加えて高脂結晶異常(中性脂肪多い)、高血圧、血糖値異常の内2つ以上または、ひとつでもタバコを吸う人も対象だということがわかりました。

自身の取り組みの例に戻ります。まず体脂肪を削減するために「減量」に取組むことにしました。体重を6kg減らすこと。お腹まわりを5cm減らして、85cm以内を達成すること。その結果として血圧の状態を改善することを目標としました。

当初、4kgの減量で、期限は半年以内と一旦設定しましたが、プロジェクトとして取り組む決意をしたこともあり、6kgの減量を4.5ヶ月で達成しようと決意しました。減量を達成目標にした経緯は、健康診断の結果から、課題として認識したことがきっかけとなったことです。さらに、会社の健康管理室の説明会に参加し、産業医から、内蔵肥満に起因する各疾患について、生々しく説明していただいたおかげで、減量へ取組むことの重要性を認識したことがあげられます。

取り掛かりのはじめに、自己の生活の現状分析をまとめました。カロリー超過で塩分も多いというのがわかりました。次に内臓脂肪(体重)を減らす方策の検討を行いました。目標の体重が現状から6kg少なくすることまたお腹まわりを6cm短くすることです。目標達成までに減らさなければならないエネルギー量は、脂肪1kgあたりの水分を除いたエネルギー量が7,000kcalであることから、42,000kcal (6kg×7,000 kcal)です。そのトータルの削減エネルギー量42,000kcalを期間6ヶ月で割り、さらに30で割って1日あたりの削減カロリーは233kcal である。ただ、達成目標を追求する上で、少し目標を高く、4.5ヶ月で達成可能と判断しました。すなわち、42,000kcalを期間4.5ヶ月で割り、さらに30で割って1日当たりの削減カロリーは311kcalです。その311kcalを食事で200kcal、運動で100kcalから120kcalの削減目標を設定しました。食事は昼食時、カロリー表示の把握が可能のため、昼食時で、今までの800kcal以上特に、脂っこい揚げ物や、ラーメンをよく食べていたものを、600 kcalを目安に、和食等中心に選択するようにカロリーも意識しました。また運動は、早足での30分のウォーキングを目安とした。(早歩90m/分:4.2 kcal×30分=126 kcal)この達成目標は、最終目標と月毎の目標、1日レベルの目標が明確になり、実現可能だと判断しました。また、リスクマネジメントとして宴会時の暴飲暴食や宴会の翌日の低カロリー食の選定。自身スナック菓子が好きということもありますが、小分けに袋に入り、制限できるように対策をしました。

更に、カードに自ら手書きでこれらの目標を記入し、いつも確認することで目標を見失わないようにすることができました。手書きで書くという操作自体、やる気のスイッチが入ります。途中、体調不良や1週間の出張が入り、生活のリズムがくるったこともありましたが、日々、体重を測定し、計画にほぼ近い形で体重推移したことを確認することでモチベーション維持にも役立ちました。

今回のように綿密な計画を立てると、過去10年間挫折していたことが、日常生活の中で実現できるということが分かりました。また、自己の課題と認識するかどうかが最初の岐路となりました。内臓脂肪に起因する危険性(動脈硬化性疾患「心筋梗塞」や「脳梗塞」など)に関する産業医ドクターのプレゼンを聴講したことや、看護師とのワークショップによる1kgあたり、消費カロリーの情報が役立ちました。このような身近な個人プロジェクトにより、組織の大きなプロジェクトと違ったメリットを感じます。一番のメリットは自分にはできるという自信がついたことです。

© 2015Mitsuhiko Tokunaga, All rights reserved.

引っ越し

先日、引っ越しを行いました。
押し入れから、十年前の引っ越しから開封されていない箱がいくつも出てきて、まるでタイムマシンの様でした。箱を開くと「あーこんな所にあったのか」と、その存在を思い出し過日の記憶と共にノスタルジーに浸りました。すると断捨離の決意も鈍り、作業が進まなくなり、引っ越し荷物も膨れあがっていきました。

そんな中で引っ越しの前日には、引越準備作業の遅れが顕著になり、とりあえず箱詰め優先という方針にせざるを得なくなりました。
あちらこちらから出てくるクリップやらペンなどの小物を整理する時間を惜しむあまり、それらをゴミ箱に入れてしまいました。

引っ越し後には、百二十もの箱のどこに何が入っているのかが分からなくなり、コップや皿が見つからない、フライパンはあっても油が見つからないなどで、直ぐに食べられるものを買ってきて食事を終わらせるという、キャンプの様に不便な生活になってしまいました。そんなときにコミュニティのメールで、ベンジャミン・フランクリンの十三徳が紹介されました。特に「規律、物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。」は当を得ていて刺さりました。勝手な想像ですが、偉人が引っ越しをしたら、「○○引っ越しセンター」を軍隊のように整然と統率するのではないかと想像して苦笑しました。

最後に引っ越しから得られた教訓を以下にまとめました。

  •  人の脳は、キーになる情報があれば、かなり昔のことでも思い出せる。
  • 使える物でもアクセスしにくいと使わなくなる。使わなくなると使えなくなる。
  • 同じ物でも数や種類や品質が揃っていると価値が高くなり、そうでないと価値が低くなる。
  • 同じ物でも時と場所によって価値が高くなったり、低くなったりする。
  • 近くに物があっても中身が分からなければ、使う事ができない。

以上より、記憶に残るキーとなる情報、整理整頓、アクセス容易性、メンテナンス、オンデマンド、ボリューム、ラインアップ、インデックスに価値があると言えるでしょう。また、「物」を「人」に置き換えても通じるところがあり、考えさせられました。

走りながら考えるときでも成算をもちたい

人生で使える時間は限られています。そのことを強く意識するのは、中年以後という場合が多いかもしれません。実際私もそうでした。加えて、時代の変化として気づくのは繁忙感が次第に増すという現象です。

年齢による生理学的変化も一因でしょうが、かつてdog yearなる言葉が生まれたように、世の中の変化が実際に速くなっていることも明確な要因でしょう。そこで、Agile PMが適するプロジェクトもあれば、要件を早く固定することが難しいプロジェクトも増えるわけです。

「走りながら考えよ」という言い方にも一理あるといえましょう。ところが、走りながら考えるのは着手が早く進み方が速いと本人が感じても、実際には完了までの時間が長くかかることが多いのに気付いています。To do項目の実行に要した時間を記録するのが私の長年の習慣となっていますので、それがとくに気になっています。

対象にもよるでしょうが、実際、設計なしにプログラムを書くと早くできるように感じても、結果として完了が遅いことが多いものです。ごく最近、設計なしに電子工作をやり、そのありふれた教訓を今更ながらいやというほど味わいました。

同時に、プロジェクトには成算(prospect, self-efficacy)が必要であると思います。たとえ可能性が小さくとも、そういう筋道が全くないならば、ラッキーなときだけ成功ということになりかねません。成算は設計図を書かせる動機づけだと思います。そのような教訓をまとめたいわけです。「生活の知恵」としての教訓も色々ありますが、個人プロジェクトの体系だった知恵にまとめる、つまり構造を伴った形式知とすることが人の役にたつと考えています。そのために私たちはパーソナルPMを体系化する努力をしています。

知恵を人が使える形式知にするには、特定の体系(BOK)や目次に収容する必要があります。PMではそれがPMBOK、ICB(IPMA Competence Baseline)、Prince2、ISO21500、あるいはIPMA傘下の各国PM団体がもつNCB(National Competence Baseline)などです。

個人の領域では、18世紀にはベンジャミン・フランクリンの13徳があり、その後は例えばジェームス・アレンの原因と結果の法則をはじめとする成功哲学や、現代のミクロ組織論に至るまで、様々な知恵が存在します。個人向けの自己啓発や成功哲学の中には、仮説や主張と考えるべきものも見当たります。

モダンPMで重要な点は、多くの実践の積み重ねから集約されたプロジェクトの知恵であることだと思います。そこが主張や仮説とは一線を画すると思います。私たちがパーソナルPMをモダンPMの一領域である形式知として確立したい理由はそこにあります。これを人生の限られた時間で作るのにチャレンジをしているわけです。

©2015 Akira Tominaga. All rights reserved.

放置した 小さいリスク 喉の骨

今年の夏、娘と甥を連れて、米国の友人宅にホームステイさせてもらうことになり、まずはアクションアイテムを洗い出すことにしました。

・航空券の予約

・航空券代金の調達と支払

・パスポート取得

・ESTA申請

・海外旅行傷害保険加入

・・・

まずは何をさておき「航空券の予約」です。これだけは出発の約3ヶ月前から動き始め、望んでいた日取りのフライトをそれなりの価格で押さえることができました。

その時に追加したアクションアイテムの一つに、「国際線での座席確認」がありました。提携便としての予約、かつ航空会社の業務時間外だったことから、その場で座席を確認できなかったのです。子どもたちにとっては物心ついてから初めての海外でもあり、「できれば窓側3席並び」「もしダメなら真中で良いので通路に面した3席並び」という希望を旅行代理店の担当者に伝えました。先方からは「平日昼間に座席確認して、また連絡します」という話でした。

それから私は、航空券代金を支払うための資金調達や、パスポート取得のための手続きに入っていきました。「これを外すと行けなくなってしまう」リスクへの対処を優先すべきだと考えたからです。

それらの目途がついてからしばらくして、はたと「そういえば、国際線の座席について、全然、連絡が来ないなぁ」と気付きました。代理店に連絡すると「確認するのでお待ち下さい」とのこと、その後の電話で「行きは、”xxF”が1席と”yyE”、”yyF”の2席になります」と言われました。

「3席並びにできなかったんですね」ということでその場は一旦、電話を切りましたが、“E”とか”F”とかいう番号に不安を感じ、座席表を調べてみると、真中エリアの更に真中という「外の景色も見られず、トイレに行く時は必ず通路側の乗客に『すみません』と声をかけなくてはならない、最悪の中でも最悪」の席であることが分かりました。その後、代理店にクレームの電話を入れると、先方も手配漏れであったことを認め、平謝り、かつ「キャンセルが出て座席を変更できないか、定期的にチェックして報告します」との約束となりました・・・

いくら謝られても、キャンセルが出なければ、他の乗客をどかすわけにはいかないですから、この席のまま、10時間以上ものフライトに耐えなくてはいけません。そのことを考えると、楽しいはずの旅行なのに、喉に一本、魚の骨がささったような気分になりました。「せめて一本、電話を入れて、座席を確認しておけば良かった」と思いましたが、こうなったら後の祭りです・・・

このことで唯一、良かったことは、“私の油断への戒め”ではなかったかと思っています。リスクの軽重はTo Doの優先度付けに影響する最大の要因と思いますが、大きいリスクだけを考えて物事をシリアルに処理してはいけない、たとえリスクは小さくても最低限必要なことは併行して処理すべきだと、心底、感じました。「行けない」リスクに対処した後、少し安心して滞ってしまっていた準備作業に、これから精力的に取り組もうと思える契機になりました。

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海外旅行は「西から東へ」がおすすめ

海外旅行に慣れた人は時差ぼけの上手な解消法を知っていると思います。私はプライベートも含め、これまで何回も海外に出かけていますが、いまだに時差ぼけのうまい対処法が見つかりません。ということで今の私の対処方法は諦めと居直りです。つまり1週間程度の旅行ならば、機内も含めて寝るときは軽い睡眠誘発剤を使って強制的に寝る、現地では原則日本時間で過ごします。時計も日本時間のままです。従って、帰国してからの時差ぼけはあまり気になりません。

ここで紹介するのは、私が薬を使った時差ボケ対策を採っていなかった40代後半に米国に出張したときの話です。当時ネットワークを介した電子商取引に関する研究をしていた関係でセキュリティ技術やその利用に関する情報を仕入れるために米国への出張を計画しました。内容はニューヨークで開かれる金融関連のセキュリティ会議へ参加する事と、インターネットでの商取引に関するセキュリティ技術の調査を目的とした企業訪問です。訪問企業はニュージャージにある電子公証サービスを開発した企業とシリコンバレーにある銀行のATM等に組み込むセキュリティボックスを開発している企業に決まりました。ということで、日程は、まず会議とニュージャージの企業訪問のためにニューヨークに4泊。5日目に西海岸に移動し翌日朝から1日かけてシリコンバレーの2つの企業を回り、その翌日に発つという6泊8日の行程となりました。

さて、ここで時差の関係を整理しておきます。出張は2月でしたのでニューヨークは日本時間マイナス14時間、ほぼ日本と昼夜が逆の関係です。西海岸は日本時間マイナス17時間でニューヨークとはマイナス3時間となります。ニューヨークから西海岸に飛行機で移動すると6時間強かかりますが、その日は1日が3時間長くなり27時間となるわけです。逆に西海岸からニューヨークに移動すればその移動日は1日が3時間短い21時間となる計算です。

私の場合は、ようやくニューヨーク時間にも体が身体が慣れたころに、西海岸に移動することになりました。そのうえ、サンノゼのホテルについて直ぐに翌日に訪問する企業の関係者の歓迎会に招かれました。結局ベッドに潜り込んだのは、夜中の12時ころ、つまりニューヨーク時間で午前3時になっていました。たった3時間ですがニューヨークで朝おきてからベッドにもぐりこむまで本当に長い1日だったのです。しかも次の日は9時半スタートで、2つの企業訪問と、2番目の企業関係者とのパーティが設定されていました。一日中頭は朦朧とし、内容もかなり難解だったのですが、折角のプレゼンもほとんど頭に入らず、結局帰国してから頂いた資料を解読してレポートを仕上げた次第です。

この旅行で、私は2回時差ぼけに遭遇しました。1回目はニューヨークについてからの2~3日間です。2回目はたった3時間ですが、1回目のダメージが完全に回復していない状態であったため、実に効果的に私の肉体と精神を痛めつけたわけです。さて、ここで教訓です。もしも米国内やヨーロッパを短期間でまわる旅をするときは、ぜひ西から東へ移動する日程を組むことをお勧めします。体が楽です。特に時差ぼけに悩む人にはいいでしょう。なお、申し上げるまでもありませんが、縦方向(南北)の移動はおそらくこのような問題はありません。

教訓: 海外旅行は「西から東へ」がおすすめ。時差ボケのない楽しい旅を。

© 2015 Tomoji Takehisa, All rights reserved.

きっかけが何であろうと何でもやってみよう。色々な経験が人生を豊かにする

その日は12時に学校正門傍の駅につきました。いつも通りまず掲示板を覗きにいった私は、張り出されたある掲示にくぎ付けになりました。そこには以下のような事が書かれていたからです。
・3月XXから3泊4日 NNスキー場にてスキースクールを実施する。
・参加費用は・・・・円(朝食・夕食、スキー講義費用含む)
・募集人員20名(定員になり次第締め切り)
そして最後の次のくだりが私の目を引いたのです。
「本スキースクールに参加した学生には体育の2単位を付与する。申し込みは、学生課まで (以上)」
私はその年、体育を選択していましたが、出席日数が足りずに既に単位取得を諦めていました。体育は出席さえすれば簡単に取れる楽勝な授業なのですが、ついつい友達との付き合いが優先して、気が付けば最低限の出席日数を割り込んでしまいました。また来年一からやり直しかと思い少々憂鬱だったのです。そこにこの掲示です。天の救いです。私はその足で早速学生課に出向きました。そこには私と同じような訳ありの学生が数人並んでいました。目の前で定員にならないかとひやひやしていましたが私の番が回ってきて、何とか滑り込めたようでした。千葉県の温暖な気候の中で育った私は、それまで雪国とかスキーとかには全く縁のない生活を送ってきました。実はこの一件が、私がスキーを始めたきっかけとなったわけです。

まずは恰好からと、新宿の三越のバーゲンでスキーウェアとかいろいろ買い込みました。スキー靴も店員の口車に乗せられて買ってしまいました。当日は夜行列車で、そのスキー場のある駅、たしか北陸方面だったと思いますが、につきました。まだ外は暗くスキー場行のバスが出るまでは待たねばなりませんでした。南国育ちの私にはあまりにも寒いので駅のダルマストーブに張り付いて暖を取りました。なんか焦げ臭いと思ったら、買ったばかりのウェアがストーブに触れていてその部分に丸い穴が開いてしまいました。大失敗です。そんなこんなで、生まれて初めての3日間の特訓スキーが始まりました。しかしこれを乗り切れば単位が取れるの一心でした。教わったのは、いわゆるボーゲンという足を八の字に開いて滑ったり止まったりするスキーです。3日目の昼過ぎには、ほどほど急な斜面でもなんとか自力で降りられるくらいに上達したと本人は思っていました。そして無事に終了しめでたく体育の単位を取ることが出来ました。

しかしそれ以上に私はすっかりスキーに魅了されてしまったのです。私のスキー大好き人生が、そこから始まったのです。年取ってから始めるスキーですが、早くゲレンデを自由に滑りたいという目標もできたわけです。ボーゲンならばある程度滑られるという自信がありましたが、本格的にかつ速攻的に上達したいという思いから友達の伝手で知ったプロスキースクールに通いました。そこはパラレルスキースクールと銘打ち初心者でもはじめから足を揃えて練習するのです。本当に初めての生徒のためには、すり鉢状になった練習ゲレンデが用意してありました。直滑降で滑っても最後は自然に止まれるのです。そのスキースクールには4年生になった翌シーズンから、3~4シーズン延べ7回くらい通いました。その結果4年後には、一端のスキーヤーになることができました。

この体験から私が学んだことは、嫌なことや、与えられた仕事でも、そこから自分の何かを見つけることができるという教訓です。それまで、興味すら感じなかった雪の世界を知ったことで大げさに言えば人生観が変わりました。この教訓を飛躍させれば、自分の知らない世界には、どんどん飛び込もう。きっと君の人生は豊かになるよ。ということです。

振り返ると、私も色々なことに興味を持ち、色々な事に積極的になったのは、この頃からのような気がします。還暦を過ぎた今でも年に一度は嫁さんとスキーに行く。それが私の楽しみの一つになっています。ちなみに嫁さんは私の6回目のスキーシーズンにゲレンデで巡り合った女性です。
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