教訓メモ解読・「大きい紙に書く」

仕事で何か失敗した際、今後気を付けるべき事をメモに残す習慣はある。ところが書くと安心するのかすぐ忘れ、同じような失敗をしてしまう。書きためた教訓を持ち歩き、暇を見つけては読み返せば良いと考え、小型のシステム手帳に教訓のメモをはさんでみた。うまくいったが、その手帳を使わなくなった途端、教訓を読まなくなった。結局忘れてしまう。

パーソナルPMコミュニティの活動として各自の「LL(Lessons Learned)」を集め、公開することになったが、なかなか書けなかった。思い出せないからである。やむを得ず放っておいたところ、コミュニティの参加者は次々にLLを書き、公開用のWebに投稿していく。集まりに出ると必ずLLの話題になり、居心地がかなり悪い。

何とかしなければと思っていたところ、週末に部屋の掃除をしている時に小型システム手帳に入れていたメモの束を発見した。それをめくるとLLがいくつか出てきた。これで書けると思ったものの転記しようとして困った。20年くらい前の古いメモなので書いた本人でも意味が分からない点がある。おそらくこういう失敗をして、このようなつもりで教訓にしたのであろう、と推測し、それを書くことにする。

1998年12月に書いたメモをまず転記する。

「手で書く ・メモ・原稿 ワープロ使わず」

「構成は頭と手で → 大きい紙に書く パソコンで無理 ×××のインタビュー」

同じ1998年12月に書いた別のメモにも似た記述がある。

「書きたいことを全部書く 打算は不要 図表にとらわれるな 大きな紙の上で一人ブレストする」

「×××のインタビュー」の「×××」には企業名が書いてあった。その企業のインタビュー記事を執筆しようとして、うまく書けなかったのであろう。「パソコンで無理」とあるから、記事の構成メモをパソコン(ワープロ)で作ろうとして果たせず、結局、「大きい紙」に手書きをして、ああでもないこうでもないと「一人プレスト」をしてまとめたらしい。

大きい紙、大きな紙とはA2版の方眼紙である。A4版の4倍だから結構広い。この上に単語を並べてみたり構成案を書き殴ったり頭を整理するための図を描いてみたりする。落書きを続けていると段々頭の中が整理され記事の構成が見えてくる。

誌面は有限だから取材した内容を絞り込まないといけないが最初は「書きたいことを全部書く」つもりで方眼紙に書き出してみる。一通りの材料を見渡さないと絞ろうにも絞れない。記事は面白くないといけないが面白く書こうと意識し過ぎるとかえって面白くなくなる。「打算は不要」とはそういう意味である。本文の構成をまず考え、図表の検討は後回しにする。これが「図表にとらわれるな」である。図や表を先に作り、それらを引用する本文を後から考えるとうまくいかない。

パソコンを使ってもほぼ同じことができるはずだが、いくら書いても頭が回らない。構成をまとめられないので次第にいらいらしてくる。うまくいかない理由の一つはパソコンの画面が小さいからだろうが、たとえA2版と同じくらいの大型ディスプレイを使ったとしても、やはりうまくいかないと思う。手を動かさないからである。

太文字が書ける万年筆でA2版の方眼紙にあれこれ手書きしたり、書いた言葉と言葉の間に線を引いたりしていると頭が動き出す。頭が回っている気がするだけかもしれないが構成をまとめられるとすっきりして気持ちが良い。パソコンのキーボードになると、いくら叩いても頭が回らないし、打ち間違いや誤変換をしてしまい気が散るばかりになる。

A2版方眼紙を使うようになったのはたまたまである。20年以上前、所属していた編集部に大量に置いてあり気が付いたら使っていた。当時は雑誌に掲載する一覧表をその方眼紙に手書きし、それを制作会社に送って図や表を作ってもらった。その後パソコン上で表を作るようになり編集部の面々は方眼紙を使わなくなった。放置されている方眼紙を使い続け、事務所の引っ越しがあると自分の荷物として方眼紙を運んでもらった

何年も使っていると方眼紙の残りが少なくなっていく。この紙が無くなったら記事を書けなくなる、と冗談を言っていたがついに無くなる日が来た。だが、幸いにも別の方眼紙が手に入った。経営コンサルタントの大前研一氏が自らデザインした方眼紙である。雑誌の仕事で大前氏に取材をした際、発想法の話になった。仕事をしている部屋を見せてほしいと頼むと大前氏は自分の机がある別室に案内してくれた。机の上にはA2版の方眼紙が置かれていた。

電機メーカーの研究員から米国のコンサルティング会社へ転職し、コンサルタントになってからその方眼紙を考案したという。升目がかなり大きく、紙の端に英単語がいくつか印刷してある。その単語を眺めると頭が回る、大前氏にとっての「おまじない」だそうだ。欲しいという声が寄せられたため大前氏はその方眼紙を販売していた。早速購入し、それ以降、大前氏特製方眼紙を愛用している。ただし大前氏ほど頭が回っているとは思っていない。

(c) 2015 谷島宣之 All rights reserved.

身近な個人プロジェクトから得られたもの

身近な個人プロジェクトとして取り組んだダイエットの例を紹介します。2008年にメタボ診断がはじまり、健康診断の結果は、標準体重から6kg~7kg重く、血圧は高めでした。さらにメタボ診断で新たに追加されたお腹まわりの測定で、目安とされていた値(男性の場合は85cm、女性の場合は90cm)を5cmオーバーしていました。そこで、会社の健康管理室より、「内臓脂肪の疑いがあり,メタボリックシンドローム予備軍の状態」と言う通知が来ました。健康管理室の女性陣のアイデアでやんわり、「メタボリック・クイーン号に乗船し私たちといっしょに旅をしませんか。私たちが面倒を見ます。」というお便りが添えてありました。面白そうなので乗船して看護師の協力いただくこととしました。後で、「メタボリック・キング号乗船資格者」は腹部肥満に加えて高脂結晶異常(中性脂肪多い)、高血圧、血糖値異常の内2つ以上または、ひとつでもタバコを吸う人も対象だということがわかりました。

自身の取り組みの例に戻ります。まず体脂肪を削減するために「減量」に取組むことにしました。体重を6kg減らすこと。お腹まわりを5cm減らして、85cm以内を達成すること。その結果として血圧の状態を改善することを目標としました。

当初、4kgの減量で、期限は半年以内と一旦設定しましたが、プロジェクトとして取り組む決意をしたこともあり、6kgの減量を4.5ヶ月で達成しようと決意しました。減量を達成目標にした経緯は、健康診断の結果から、課題として認識したことがきっかけとなったことです。さらに、会社の健康管理室の説明会に参加し、産業医から、内蔵肥満に起因する各疾患について、生々しく説明していただいたおかげで、減量へ取組むことの重要性を認識したことがあげられます。

取り掛かりのはじめに、自己の生活の現状分析をまとめました。カロリー超過で塩分も多いというのがわかりました。次に内臓脂肪(体重)を減らす方策の検討を行いました。目標の体重が現状から6kg少なくすることまたお腹まわりを6cm短くすることです。目標達成までに減らさなければならないエネルギー量は、脂肪1kgあたりの水分を除いたエネルギー量が7,000kcalであることから、42,000kcal (6kg×7,000 kcal)です。そのトータルの削減エネルギー量42,000kcalを期間6ヶ月で割り、さらに30で割って1日あたりの削減カロリーは233kcal である。ただ、達成目標を追求する上で、少し目標を高く、4.5ヶ月で達成可能と判断しました。すなわち、42,000kcalを期間4.5ヶ月で割り、さらに30で割って1日当たりの削減カロリーは311kcalです。その311kcalを食事で200kcal、運動で100kcalから120kcalの削減目標を設定しました。食事は昼食時、カロリー表示の把握が可能のため、昼食時で、今までの800kcal以上特に、脂っこい揚げ物や、ラーメンをよく食べていたものを、600 kcalを目安に、和食等中心に選択するようにカロリーも意識しました。また運動は、早足での30分のウォーキングを目安とした。(早歩90m/分:4.2 kcal×30分=126 kcal)この達成目標は、最終目標と月毎の目標、1日レベルの目標が明確になり、実現可能だと判断しました。また、リスクマネジメントとして宴会時の暴飲暴食や宴会の翌日の低カロリー食の選定。自身スナック菓子が好きということもありますが、小分けに袋に入り、制限できるように対策をしました。

更に、カードに自ら手書きでこれらの目標を記入し、いつも確認することで目標を見失わないようにすることができました。手書きで書くという操作自体、やる気のスイッチが入ります。途中、体調不良や1週間の出張が入り、生活のリズムがくるったこともありましたが、日々、体重を測定し、計画にほぼ近い形で体重推移したことを確認することでモチベーション維持にも役立ちました。

今回のように綿密な計画を立てると、過去10年間挫折していたことが、日常生活の中で実現できるということが分かりました。また、自己の課題と認識するかどうかが最初の岐路となりました。内臓脂肪に起因する危険性(動脈硬化性疾患「心筋梗塞」や「脳梗塞」など)に関する産業医ドクターのプレゼンを聴講したことや、看護師とのワークショップによる1kgあたり、消費カロリーの情報が役立ちました。このような身近な個人プロジェクトにより、組織の大きなプロジェクトと違ったメリットを感じます。一番のメリットは自分にはできるという自信がついたことです。

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引っ越し

先日、引っ越しを行いました。
押し入れから、十年前の引っ越しから開封されていない箱がいくつも出てきて、まるでタイムマシンの様でした。箱を開くと「あーこんな所にあったのか」と、その存在を思い出し過日の記憶と共にノスタルジーに浸りました。すると断捨離の決意も鈍り、作業が進まなくなり、引っ越し荷物も膨れあがっていきました。

そんな中で引っ越しの前日には、引越準備作業の遅れが顕著になり、とりあえず箱詰め優先という方針にせざるを得なくなりました。
あちらこちらから出てくるクリップやらペンなどの小物を整理する時間を惜しむあまり、それらをゴミ箱に入れてしまいました。

引っ越し後には、百二十もの箱のどこに何が入っているのかが分からなくなり、コップや皿が見つからない、フライパンはあっても油が見つからないなどで、直ぐに食べられるものを買ってきて食事を終わらせるという、キャンプの様に不便な生活になってしまいました。そんなときにコミュニティのメールで、ベンジャミン・フランクリンの十三徳が紹介されました。特に「規律、物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。」は当を得ていて刺さりました。勝手な想像ですが、偉人が引っ越しをしたら、「○○引っ越しセンター」を軍隊のように整然と統率するのではないかと想像して苦笑しました。

最後に引っ越しから得られた教訓を以下にまとめました。

  •  人の脳は、キーになる情報があれば、かなり昔のことでも思い出せる。
  • 使える物でもアクセスしにくいと使わなくなる。使わなくなると使えなくなる。
  • 同じ物でも数や種類や品質が揃っていると価値が高くなり、そうでないと価値が低くなる。
  • 同じ物でも時と場所によって価値が高くなったり、低くなったりする。
  • 近くに物があっても中身が分からなければ、使う事ができない。

以上より、記憶に残るキーとなる情報、整理整頓、アクセス容易性、メンテナンス、オンデマンド、ボリューム、ラインアップ、インデックスに価値があると言えるでしょう。また、「物」を「人」に置き換えても通じるところがあり、考えさせられました。

走りながら考えるときでも成算をもちたい

人生で使える時間は限られています。そのことを強く意識するのは、中年以後という場合が多いかもしれません。実際私もそうでした。加えて、時代の変化として気づくのは繁忙感が次第に増すという現象です。

年齢による生理学的変化も一因でしょうが、かつてdog yearなる言葉が生まれたように、世の中の変化が実際に速くなっていることも明確な要因でしょう。そこで、Agile PMが適するプロジェクトもあれば、要件を早く固定することが難しいプロジェクトも増えるわけです。

「走りながら考えよ」という言い方にも一理あるといえましょう。ところが、走りながら考えるのは着手が早く進み方が速いと本人が感じても、実際には完了までの時間が長くかかることが多いのに気付いています。To do項目の実行に要した時間を記録するのが私の長年の習慣となっていますので、それがとくに気になっています。

対象にもよるでしょうが、実際、設計なしにプログラムを書くと早くできるように感じても、結果として完了が遅いことが多いものです。ごく最近、設計なしに電子工作をやり、そのありふれた教訓を今更ながらいやというほど味わいました。

同時に、プロジェクトには成算(prospect, self-efficacy)が必要であると思います。たとえ可能性が小さくとも、そういう筋道が全くないならば、ラッキーなときだけ成功ということになりかねません。成算は設計図を書かせる動機づけだと思います。そのような教訓をまとめたいわけです。「生活の知恵」としての教訓も色々ありますが、個人プロジェクトの体系だった知恵にまとめる、つまり構造を伴った形式知とすることが人の役にたつと考えています。そのために私たちはパーソナルPMを体系化する努力をしています。

知恵を人が使える形式知にするには、特定の体系(BOK)や目次に収容する必要があります。PMではそれがPMBOK、ICB(IPMA Competence Baseline)、Prince2、ISO21500、あるいはIPMA傘下の各国PM団体がもつNCB(National Competence Baseline)などです。

個人の領域では、18世紀にはベンジャミン・フランクリンの13徳があり、その後は例えばジェームス・アレンの原因と結果の法則をはじめとする成功哲学や、現代のミクロ組織論に至るまで、様々な知恵が存在します。個人向けの自己啓発や成功哲学の中には、仮説や主張と考えるべきものも見当たります。

モダンPMで重要な点は、多くの実践の積み重ねから集約されたプロジェクトの知恵であることだと思います。そこが主張や仮説とは一線を画すると思います。私たちがパーソナルPMをモダンPMの一領域である形式知として確立したい理由はそこにあります。これを人生の限られた時間で作るのにチャレンジをしているわけです。

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放置した 小さいリスク 喉の骨

今年の夏、娘と甥を連れて、米国の友人宅にホームステイさせてもらうことになり、まずはアクションアイテムを洗い出すことにしました。

・航空券の予約

・航空券代金の調達と支払

・パスポート取得

・ESTA申請

・海外旅行傷害保険加入

・・・

まずは何をさておき「航空券の予約」です。これだけは出発の約3ヶ月前から動き始め、望んでいた日取りのフライトをそれなりの価格で押さえることができました。

その時に追加したアクションアイテムの一つに、「国際線での座席確認」がありました。提携便としての予約、かつ航空会社の業務時間外だったことから、その場で座席を確認できなかったのです。子どもたちにとっては物心ついてから初めての海外でもあり、「できれば窓側3席並び」「もしダメなら真中で良いので通路に面した3席並び」という希望を旅行代理店の担当者に伝えました。先方からは「平日昼間に座席確認して、また連絡します」という話でした。

それから私は、航空券代金を支払うための資金調達や、パスポート取得のための手続きに入っていきました。「これを外すと行けなくなってしまう」リスクへの対処を優先すべきだと考えたからです。

それらの目途がついてからしばらくして、はたと「そういえば、国際線の座席について、全然、連絡が来ないなぁ」と気付きました。代理店に連絡すると「確認するのでお待ち下さい」とのこと、その後の電話で「行きは、”xxF”が1席と”yyE”、”yyF”の2席になります」と言われました。

「3席並びにできなかったんですね」ということでその場は一旦、電話を切りましたが、“E”とか”F”とかいう番号に不安を感じ、座席表を調べてみると、真中エリアの更に真中という「外の景色も見られず、トイレに行く時は必ず通路側の乗客に『すみません』と声をかけなくてはならない、最悪の中でも最悪」の席であることが分かりました。その後、代理店にクレームの電話を入れると、先方も手配漏れであったことを認め、平謝り、かつ「キャンセルが出て座席を変更できないか、定期的にチェックして報告します」との約束となりました・・・

いくら謝られても、キャンセルが出なければ、他の乗客をどかすわけにはいかないですから、この席のまま、10時間以上ものフライトに耐えなくてはいけません。そのことを考えると、楽しいはずの旅行なのに、喉に一本、魚の骨がささったような気分になりました。「せめて一本、電話を入れて、座席を確認しておけば良かった」と思いましたが、こうなったら後の祭りです・・・

このことで唯一、良かったことは、“私の油断への戒め”ではなかったかと思っています。リスクの軽重はTo Doの優先度付けに影響する最大の要因と思いますが、大きいリスクだけを考えて物事をシリアルに処理してはいけない、たとえリスクは小さくても最低限必要なことは併行して処理すべきだと、心底、感じました。「行けない」リスクに対処した後、少し安心して滞ってしまっていた準備作業に、これから精力的に取り組もうと思える契機になりました。

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海外旅行は「西から東へ」がおすすめ

海外旅行に慣れた人は時差ぼけの上手な解消法を知っていると思います。私はプライベートも含め、これまで何回も海外に出かけていますが、いまだに時差ぼけのうまい対処法が見つかりません。ということで今の私の対処方法は諦めと居直りです。つまり1週間程度の旅行ならば、機内も含めて寝るときは軽い睡眠誘発剤を使って強制的に寝る、現地では原則日本時間で過ごします。時計も日本時間のままです。従って、帰国してからの時差ぼけはあまり気になりません。

ここで紹介するのは、私が薬を使った時差ボケ対策を採っていなかった40代後半に米国に出張したときの話です。当時ネットワークを介した電子商取引に関する研究をしていた関係でセキュリティ技術やその利用に関する情報を仕入れるために米国への出張を計画しました。内容はニューヨークで開かれる金融関連のセキュリティ会議へ参加する事と、インターネットでの商取引に関するセキュリティ技術の調査を目的とした企業訪問です。訪問企業はニュージャージにある電子公証サービスを開発した企業とシリコンバレーにある銀行のATM等に組み込むセキュリティボックスを開発している企業に決まりました。ということで、日程は、まず会議とニュージャージの企業訪問のためにニューヨークに4泊。5日目に西海岸に移動し翌日朝から1日かけてシリコンバレーの2つの企業を回り、その翌日に発つという6泊8日の行程となりました。

さて、ここで時差の関係を整理しておきます。出張は2月でしたのでニューヨークは日本時間マイナス14時間、ほぼ日本と昼夜が逆の関係です。西海岸は日本時間マイナス17時間でニューヨークとはマイナス3時間となります。ニューヨークから西海岸に飛行機で移動すると6時間強かかりますが、その日は1日が3時間長くなり27時間となるわけです。逆に西海岸からニューヨークに移動すればその移動日は1日が3時間短い21時間となる計算です。

私の場合は、ようやくニューヨーク時間にも体が身体が慣れたころに、西海岸に移動することになりました。そのうえ、サンノゼのホテルについて直ぐに翌日に訪問する企業の関係者の歓迎会に招かれました。結局ベッドに潜り込んだのは、夜中の12時ころ、つまりニューヨーク時間で午前3時になっていました。たった3時間ですがニューヨークで朝おきてからベッドにもぐりこむまで本当に長い1日だったのです。しかも次の日は9時半スタートで、2つの企業訪問と、2番目の企業関係者とのパーティが設定されていました。一日中頭は朦朧とし、内容もかなり難解だったのですが、折角のプレゼンもほとんど頭に入らず、結局帰国してから頂いた資料を解読してレポートを仕上げた次第です。

この旅行で、私は2回時差ぼけに遭遇しました。1回目はニューヨークについてからの2~3日間です。2回目はたった3時間ですが、1回目のダメージが完全に回復していない状態であったため、実に効果的に私の肉体と精神を痛めつけたわけです。さて、ここで教訓です。もしも米国内やヨーロッパを短期間でまわる旅をするときは、ぜひ西から東へ移動する日程を組むことをお勧めします。体が楽です。特に時差ぼけに悩む人にはいいでしょう。なお、申し上げるまでもありませんが、縦方向(南北)の移動はおそらくこのような問題はありません。

教訓: 海外旅行は「西から東へ」がおすすめ。時差ボケのない楽しい旅を。

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きっかけが何であろうと何でもやってみよう。色々な経験が人生を豊かにする

その日は12時に学校正門傍の駅につきました。いつも通りまず掲示板を覗きにいった私は、張り出されたある掲示にくぎ付けになりました。そこには以下のような事が書かれていたからです。
・3月XXから3泊4日 NNスキー場にてスキースクールを実施する。
・参加費用は・・・・円(朝食・夕食、スキー講義費用含む)
・募集人員20名(定員になり次第締め切り)
そして最後の次のくだりが私の目を引いたのです。
「本スキースクールに参加した学生には体育の2単位を付与する。申し込みは、学生課まで (以上)」
私はその年、体育を選択していましたが、出席日数が足りずに既に単位取得を諦めていました。体育は出席さえすれば簡単に取れる楽勝な授業なのですが、ついつい友達との付き合いが優先して、気が付けば最低限の出席日数を割り込んでしまいました。また来年一からやり直しかと思い少々憂鬱だったのです。そこにこの掲示です。天の救いです。私はその足で早速学生課に出向きました。そこには私と同じような訳ありの学生が数人並んでいました。目の前で定員にならないかとひやひやしていましたが私の番が回ってきて、何とか滑り込めたようでした。千葉県の温暖な気候の中で育った私は、それまで雪国とかスキーとかには全く縁のない生活を送ってきました。実はこの一件が、私がスキーを始めたきっかけとなったわけです。

まずは恰好からと、新宿の三越のバーゲンでスキーウェアとかいろいろ買い込みました。スキー靴も店員の口車に乗せられて買ってしまいました。当日は夜行列車で、そのスキー場のある駅、たしか北陸方面だったと思いますが、につきました。まだ外は暗くスキー場行のバスが出るまでは待たねばなりませんでした。南国育ちの私にはあまりにも寒いので駅のダルマストーブに張り付いて暖を取りました。なんか焦げ臭いと思ったら、買ったばかりのウェアがストーブに触れていてその部分に丸い穴が開いてしまいました。大失敗です。そんなこんなで、生まれて初めての3日間の特訓スキーが始まりました。しかしこれを乗り切れば単位が取れるの一心でした。教わったのは、いわゆるボーゲンという足を八の字に開いて滑ったり止まったりするスキーです。3日目の昼過ぎには、ほどほど急な斜面でもなんとか自力で降りられるくらいに上達したと本人は思っていました。そして無事に終了しめでたく体育の単位を取ることが出来ました。

しかしそれ以上に私はすっかりスキーに魅了されてしまったのです。私のスキー大好き人生が、そこから始まったのです。年取ってから始めるスキーですが、早くゲレンデを自由に滑りたいという目標もできたわけです。ボーゲンならばある程度滑られるという自信がありましたが、本格的にかつ速攻的に上達したいという思いから友達の伝手で知ったプロスキースクールに通いました。そこはパラレルスキースクールと銘打ち初心者でもはじめから足を揃えて練習するのです。本当に初めての生徒のためには、すり鉢状になった練習ゲレンデが用意してありました。直滑降で滑っても最後は自然に止まれるのです。そのスキースクールには4年生になった翌シーズンから、3~4シーズン延べ7回くらい通いました。その結果4年後には、一端のスキーヤーになることができました。

この体験から私が学んだことは、嫌なことや、与えられた仕事でも、そこから自分の何かを見つけることができるという教訓です。それまで、興味すら感じなかった雪の世界を知ったことで大げさに言えば人生観が変わりました。この教訓を飛躍させれば、自分の知らない世界には、どんどん飛び込もう。きっと君の人生は豊かになるよ。ということです。

振り返ると、私も色々なことに興味を持ち、色々な事に積極的になったのは、この頃からのような気がします。還暦を過ぎた今でも年に一度は嫁さんとスキーに行く。それが私の楽しみの一つになっています。ちなみに嫁さんは私の6回目のスキーシーズンにゲレンデで巡り合った女性です。
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一つの失敗からたくさんの教訓を学ぼう

この会場に通って今日で3日目です。前日と同じようにタクシーに乗り込み駅まで行きました。駅に着いたのは夕方の5時半過ぎでした。ここからホテルまでは列車に乗って1時間半ほどかかります。この会場での仕事も最後なので駅前で食事がてら軽く飲んでいこうということになりました。駅傍のビヤホールのドアをあけ、地ビールとソーセージの盛り合わせを注文しました。今回の出張のメインの仕事を終えたということで緊張感からも解放され実にうまいビールでした。当然ですが、そのあとに起きることは想像にもしていない二人でした。駅に入り、私たちの乗る電車が10番線から10分後に発車する事を掲示板で確認しました。階段を下りて、そのホームに着くと既に列車は入線していました。たしか真ん中あたりの車両に乗りんだと思います。これから1時間余りの列車の旅です。仕事が終わりおいしいビールを飲んだ私たちは、あしたのスケジュールというか、仕事が終わってからの夜の計画を話し始めました。しばらくすると、同じホームの反対側の番線に列車が入線してきました。私たちは特に気にも留めず、明日の晩はどこに行こうかという話にはずんでいました。そして、列車が発車しました。ここは、ドイツのハノーバ駅のホームです。私たちはハノーバメッセの視察という目的で出張に来ていました。メッセの視察は3日間でその日が最終日でした。今回の出張の楽しみは4日目以降でした。そうです明日からはパリです。当時会社が新しいサービスを模索していた関係でフランスの通信会社が始めたODVのサービスの調査をすることにしていました。なぜ、今列車に乗っているかというと、メッセが開催されるこの時期はハノーバ市内のホテルはまったく予約がとれなません。また相当な金を払わないと泊まれません。そのような必然的な理由で、私たちはハノーバーからICE(Intercity-Express)いわゆる特急で1時間半近くかかるハンブルグ中央駅のそばのホテルに宿泊していました。東京に泊まって名古屋まで新幹線で3日間通ったようなものです。

話は戻りますが、そうこうしているうちに、私たちを乗せた列車が発車しました。私たちは、4人がけのボックスシートに陣取りました。ドイツの列車には、ボックスの中央に設置されたテーブルにその列車の時刻表が置いてあります。つまり、その列車の停車駅と時間等が記載されている固有の時刻表が印刷物で用意され、それが座席ごとに置かれているわけです。初日に乗ったときは随分ときめ細かなやり方だと思いましたが、初めてでも何時にどこに着くのか理解できるのでとても良いサービスだと思いました。さて、ハンブルグ到着時間は何時になるか、確認しようと時刻表を見ました。表記はドイツ語と英語です。駅名と時間だけですから誰でもわかります。その時に,初めて何が起きたか理解しました。時刻表にHanburgという単語が見当たらないのです。目に飛び込んできたのはBerlinという単語でした。どうも私たちは電車を乗り間違えたらしいのです。ハノーバ駅でしっかり確認したはずなのに・・・と私は思いました。でも、よくよく考えてみると、1つのホームには両側に番線があります。例えば1番線と2番線は同じホームです。列車に乗り込むときに本当に10番線だと確認したのか、9番線ではなかったのか、でも二人とも迷うことなくこの列車に乗り込んでしまったではないか?そしてその時には全く気にも留めなかった反対側の番線に入ってきた列車が私たちが乗るべきHanbugに連れ帰ってくれる列車であると、理解したわけです。
ちなみにハンブルグはハノーバの北方向約180km、ベルリンはハノーバの東方向約300km。
方角を時計の針で表現することがありますが12時の方角に帰るつもりが3時の方角に歩いていた、というようなことです。しかもこの列車はICE(日本の新幹線のようなものなので)次の停車駅はまではあと40分。ということが時刻表から読み取れました。

さて、LLの話に移りますが、この失敗の理由は、“思い込み”でした。
ホームに来るまでは何も間違いはなかったのです。その列車内での反省会の結論は、二人とも確たる根拠もなく停車中の列車を、ハンブルグ行だと思い込んでしまったということしたで。相棒の言い分は、「だってTさんが自信ありげに迷いもなく乗り込んだので、私はついてきただけですよ」そして私の言い分「だって君が確認したかのように、この列車に乗ろうとしているようだったので乗っただけだよ」つまりお互いにお互いを信じて、迷うことなくハンブルグ行だと確信していたという、ダブルの思い込みの結末でした。

私はこの列車乗り間違えの失敗経験からいくつかの教訓を学びました。

【教訓1】「思い込みは人を誤った道に進める落とし穴である。」
これは、仕事の中でもプライベートの人間関係などでもよく経験することです間違った思い込みは、必ず、失敗の原因となります。大事な友達を誤解という思い込みで失った人もいます。たとえ確認することが難しい場合でも勇気をもって確認しましょう
【教訓2】「大事なことは他人に頼るな、自分の目、自分の耳で確認せよ」
プロジェクトマネジメントにも通じる教訓です。他人の報告や、不確かな情報だけで重要な判断をしないようにということですね。
【教訓3】「赤信号みんなで渡れば怖くない」はとても危険」
人は皆で同じ行動をしている時に何も考えなくなることがあります。気も大きくなります。そして物事の善悪がつかなくなる場合もありますね。しかし、赤信号をみんなで渡れば恐怖心はないかもしれませんが、違反です。危険です。トラックが突っ込んできても言い訳できませんし、場合によっては命を落としかねない悲惨な結果になります。今回も、もしも、一人で来ていたら番線をきちんと確認するなり、乗り込む前に列車の行先を確認し列車を乗り間違えることはなかったでしょう。二人という状況がこのような思い込みと安心感を生み出したのかもしれません。

さて、乗り間違えに気づいてからの顛末は・・・・・
私たちは本当にこの列車がハンブルグには行かないのか、まず車掌さんを探しました。ちょうど検札にきた若い車掌さんに聞いたところ、英語が全く通じずさっさと行ってしまいました(ドイツでは若者は皆英語が話せると聞いていたのですが、これも間違った情報だったようです)。彼はしばらくして英語の解る別の車掌を連れてきました。しばらく話しをするうちに私たちの一縷の望みは消えてしまいました。やはりこの列車はベルリン行でした。そして、次の停車駅まではあと30分余りかかること、次の停車駅で降りてハノーバまで戻り、ハンブルグ行の列車に乗り換えるしかないということ、そして次の停車駅からハノーバ行の列車が何時でるのかはその場ではわからないこと、を私たちは理解しました。しばらくして停車した駅はICEが停まるにしてはやけにさびしい、薄暗い周りが野原のような印象でした。駅員を探してハノーバ行の電車の発車時刻を聞くと、あと1時間くらい後だと告げられました。やっと乗ることができたハノーバ行の列車はいわゆる普通列車でした。車内もなんとなく汚れていて、ハノーバまで何駅か停まり2時間近くの時間がかかりました。そこからしばらく待ってやっとハンブルグ行のICEに乗ることができました。結局ホテルに着いたのは12時近くでしたが、一応その日のうちにリカバリーできたということで、明日のパリの夜を思いながら二人で祝杯をあげた次第です。

© 2015 Tomoji Takehisa, All rights reserved

「To doは目的に準じる」という当たり前だけど難しいこと・・・

「やることが多すぎるんだよなぁ・・・」

といつもは不満たらたらなのに、「この数日中にやらなくてはならないTo do全て消化し切ってしまう」ようなことがたまに発生すると、何だかとても不安になり、うろたえることがあります。

こんな気持ちになる度に、「もしかしたら自分は、やることが目の前に山と積まれている状況がしんどいのではなく、逆にそれを望んでさえいるのではないだろうか」と感じます。ベルトコンベアで運ばれてくる部品を組み立てるロボットは、何のためにその部品を組み立てているのか知りません。同じように私も、目の前に積まれていくTo doにトリガーをかけられ、イベントドリブンで処理する作業に埋没することで、「果たして何のためにこのTo doをやっているのか」「自分が今やるべきことは本当にこれなのか」といった命題を忘れてしまっているのです。いや、それ以上に、忘れている状態がある意味、心地いいからこそ、目の前のTo doが無くなった状況に対して怖れを感じるのではないか、と思うのです。

ドラッカー教授は、「To doの緊急度と重要度とを明確に区別し、自らの時間を意識的に管理しようとしなければ、“緊急ではあるが重要でないこと”に時間のほとんどが費やされてしまい、“緊急ではないが重要なこと”にかける時間がなくなってしまう」と喝破されました。思うに、“緊急なこと”は誰でもすぐに分かるのですが、“重要なこと”を識別するのはとても難しいのです・・・なぜなら、「その“重要なこと”が重要である根拠」は、ゴールや目的の視点からのみ正当化され、説明可能なのであり、そしてそのゴールや目的は、自分自身の価値観から見出されるものだからです。「“重要なこと”は何か」に思いを馳せることは、少なくとも中長期に渡る目的を問うことであり、ひいては自らの価値観を見つめ直すことでもあります。重要度を考えずに目先のTo doに埋没する、すなわち“緊急である”という理由だけで高い優先順位を与えて行動することは、「一仕事した」というある種の充実感を伴う分だけなおさら、「本質的ではあるが突き詰めるのは苦しい人生の問いから目を逸らさせる」危険な誘惑なのかもしれません。

「この日にやらないといけないから」といったルーチンワークとしてのTo doではなく、「やると約束したから」という義務としてのTo doでもない、「ミッション→ビジョン→目的→目標→活動」という本来あるべき筋道を辿ったTo doに、今更ながら、しかし今こそ、取り組んでいきたいと考えています。To doの消化が怖れではなく、目的の達成に近づいていく喜びだと感じられた時こそ、自分が自分のミッションを正しく生きることができている証のような気がしています。

© 2015 Masao Kawasaki, All rights reserved.

自信は人から与えられ人に与えるもの?

「セルフイメージ」とは自分をどんな人間と思い込むかということだと思います。もし悪い固定観念があれば、それが改善されることが成長の条件であると、会社の人事研修で聞いた覚えがあります。「自信」もその「セルフイメージ」の中に含まれる部分が多いように思われます。

6月と12月に千葉県の老舗の海苔屋からとても美味しい乾海苔が毎年送られてきます。ある出来事以来ずっと続いています。途中で何度かお断りをしてみたのですが、変わらず続いているので、たいへん有難くいただいています。ここで、その経緯をお話します。

40代前半のとき、私は営業所長に任命されました。プロジェクトリーダーで技術者だった私には、いちばん厭な管理職だったのですが、会社の命令であり断るのは無駄な抵抗だとわかりました。

しばらくたったある時、寡黙で仕事熱心な若手セールスマンが、家業を継ぐという理由で辞表を出したと伝えられました。若手のホープとして私は大いに期待していた社員なのでとても驚き慌てました。他の社員に聞くと、どうやら私の配下の課長が何かにつけ彼をひどく叱責し、本人が自信をなくしたというのも一因のようです。たいへんなことになりました。

その社員の自宅へ駆けつけ本人に会い話を聞きました。そしてお店で働いていた親父さん(社長)を呼んでもらいました。この社員がいかに有能な人材で、会社がいかに期待しているかということを、具体例を挙げて全力で親父さんに説明しました。そして家業を継ぐのは20年ぐらい待って欲しいと懇願しました。

親父さんは考え込んだあと、重い口を開きました。「倅が会社にそんなに期待されていたとはつゆ知らず、たいへん申し訳なかった。それを聞いてとても嬉しい。だが先週決めてしまったことで、残念だがもう取り返しがつかない。」 実に残念なことです!社員は私の隣で涙を流していました。

見込んだ社員を引き戻したい一心で行ったことが、彼に大きな自信を取り戻させたことは、鈍感な私にもすぐにわかりました。数年後、その老舗で働いていた彼の結婚式に招かれ祝詞を述べました。その後お子様が誕生しすくすく育っているという手紙をもらい自分のことのように嬉しくなりました。その後彼は船橋のその大きな老舗を継ぎました。それ以来海苔を送ってくれているのです。

これだけですとなんの変哲もない話になるかもしれません。しかし、一般管理職に全く自信のなかった私が、部下に自信をもたせることができたのに気付いたのです。このことが逆に、自分の固定観念となっていた管理職としてのセルフイメージを変えたのに気づいたわけで、一般管理職に少し自信がつくきっかけになった出来事でした。

つまり、自信が持てたことに感謝すべき側は、こちらでもあったわけです。人に自信を与えることで、自分に自信がつくという大事な事実に気づきました。それからは、不器用ながらも人に自信をもたせることを時々考えるようになり、相互に自信を増す現象があることに確信をもちました。そこをLessons Learnedとして伝えたいわけでした。もちろん自信の種類によることかもしれません。ご意見をお待ちします。

セルフイメージがいかに他人に影響されやすいものであるかという一例でもあると思います。加えて、他人に影響されて固定観念となってしまっている自分自身の悪いセルフイメージは、払拭できるということの証しでもあります。ごく最近になって、Wayne Dyersという人の書籍に出会い、そのことを改めて思い出した次第です。

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