万聞は百見に如かず

パーソナルPMコミュニティの会合は、2017年7月に第100回に達しました。ネットでのやり取りも有益ですが、顔を合わせた意見交換には新しい気づきがあるものです。「百聞は一見に如かず」に単純な掛け算をすれば「万聞は百見に如かず」です。(掛け算に意味があるかどうかはさておき^^;)

第100回会合に合わせ、田中史朗さんのリーダーシップと谷島宣之さんのご指導により、そこまでのLessons Learnedの文章が推敲され、読みやすい書籍としてまとめられアマゾンKindle版で出版されました。「田中史朗編著パーソナルプロジェクトマネジメント教訓集」です。PCでもスマホでも、全体を通じて読まれたい方、手元に置かれたい方はぜひご覧ください。

パーソナルPMに関して今年出版された主な書籍は次の4種類です(画像をクリックすると拡大します)。全体が書かれているのは日経BP社の「パーソナルプロジェクトマネジメント増補改訂版」です。どれも「パーソナルプロジェクトマネジメント」でアマゾンをご検索いただくと表示されます。是非ご覧ください。何事も継続は力ですし、やりぬく力を発揮してこそ貢献が産めます。今後も皆様に役立つ発信を目指しています。

100回を記念しメンバーは七夕の会食を楽しみました。そして世話役みたいな筆者にメンバー有志の皆様から、素晴しい記念品を頂きましたことをご報告します。7月7日にちなむ7万円の立派なダイソン卓上LED照明で、筆者の脇机を明るく照らしてくれています。ありがとうございます。以上、ご報告と御礼に代えて。

©2017 Akira Tominaga. All rights reserved.

目的はいつも複数持つ

単純ですが、これは大事なことだと思います。今までこのLL集のどこにも書かれていないことに気づきましたので慌てて追加します。

1つだけの目標へと邁進するのが良いかのように書かれている自己啓発書籍は複数あります。ところが、その一つの目標をめがけて全てがうまく行っておればよいのですが、つまずいたり壁に当たったり、何らかの失敗や不遇はあるものです。

目標がひとつだけですとその際に心が折れやすく、立ち直り難くなります。目標を複数持っていれば、そういう場合に気持ちを入れ替えることができ、立ち直るのが容易になります。

困ったとき何度もそれに助けられてきているのですが、恐らくどなたも多かれ少なかれご経験をされ、思い当たることがあるのではないでしょうか。一つの目標だけに固執するのが間違いになることも多くあります(さらにご興味のある方はJohn Krumboltzの研究成果による著書をご参照)。

組織でも個人でも一般的に、目標(Objectives)の上には目的(Goals)があるべきで、その目的へ向かって目標が複数設定される形が普通でしょう。つまり目標の上の目的がしっかりしていることは重要です。ただ、目標と目的は相対的な位置づけですから、とどのつまりは目的を複数持つのが良いということに行き着きます。さらに、ここでは目標と目的だけ書いて言いますが、より上位のビジョンがしっかりしていることも大切なことだと思います。

上位の目的がしっかりしているのなら、それを目指す目標の一つや二つで失敗したからといって、ひどくは落ち込まないものです。逆に、失敗や不遇の経験がないことこそひどく落ち込む原因でしょう。そういう経験が豊富なら多少の事には負けませんし、偶然や失敗が次へのチャンスへとつながることもあるでしょう。

1つの目標だけに執着せず、柔軟な対応ができるためには、結局は「目的・目標の構造」を意識することが大事だと思います。このあたりは電子書籍「実践パーソナルプロジェクトマネジメント」に書かせていただきました。偶然の出来事や失敗は常にあるものですが、目的をめがけていることこそ、その偶然や失敗が好機となる源だと思います。

当たり前のことかもしれませんが、自分で忘れないためにも書かせていただきました。何かのご参考になれば幸いです。

©2017 Akira Tominaga. All rights reserved.

禅に学ぶパーソナルPM

2016年10月、上野の東京国立博物館で特別展「禅―心をかたちに-臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念」が開催されていました。友人と連れだって週末に立ち寄ったところ、なかなかの盛況ぶりでした。

禅は仏教の宗派の一つで、仏教の教えの中心である「戒(かい)」「定(じょう)」「慧(え)」のうち、特に「定」(=心を鎮める、収める)を重視しています。ヨガに起源をもつ坐禅は、「定」を得るための方法論と言えます。昨今人気の「マインドフルネス」も、ストレスを軽減し集中力を高める効果があるとして、米国のIT企業が社員教育に採用するなどしたことから日本でも注目されているようです。アップル創業者スティーブ・ジョブズがかつてカリフォルニアで曹洞宗(日本の二大禅宗の一つで、中国に留学して禅を学んだ日本人僧侶・道元を開祖とする宗派)の僧侶、乙川弘文老師の教えを受けていたというのも、マインドフルネスの人気に影響したことでしょう。

原始仏教の姿をより濃く残し、中国・老荘思想の影響を受けたとされる禅は、宗教というより哲学に近いとも言われます。じっさい、禅宗では「あの世」や「幽霊」、「地獄」というものを信じませんし、特定の「神」や開祖に依存することもありません。あるのは「己事究明」=自らを知る、のみです。

禅宗を含む日本仏教が誤解されがちな点に仏教=葬式用、という認識があります。たとえば戒名についても、お坊さんが儲けるための方便、との疑いを持ってしまいがちです。しかしそもそも戒名をつけるというのは仏道の修行者になるということで、本来ならば生存中になっておくべきところ、それが叶わなかったので、死出に赴くにあたり最期に仏道修行者となり戒名をもらう、という意味があります。ここで、「あの世」「地獄」を信じないなら亡くなった後のことを心配するのはおかしい、ということになります。それでもそうしたことをするのは、葬儀自体、故人のためだけのものではなく遺族をはじめ故人を見送る者たちのためのものでもあるからです。戒名をつける、あの世で困らないようにと棺にお金を入れる、あるいはいつまでも一緒にとの願いから生前の家族写真を入れる、というのも、それによって遺族自身が慰められる行為と考えます。じっさい、日ごろ迷信めいたことは一切信じていなくても、親しい人や可愛がっていたペットを亡くした時など、「あちらにいる」と思うことでなんとなく気持ちが安らぐ経験をしたことがあるのは私だけではないと思います。同じように、「幽霊」を信じないからと言って、それを見た、と言っている人を頭ごなしに否定するようなこともしません。その人が見たと認識するなら、その人にとっては見えたのでしょう。「幽霊」なんて迷信だ、などと自分の考えにこだわるような事はしないのです。禅では執着すること、とらわれることをもっとも嫌うからです。さらに言えば執着しないことにも執着しません。ここまで来ると禅問答の世界に感じられてきますが、言わんとするところはわからなくもないように思います。親しい人を亡くして悲しんでいる人を慰めることが善行であるならば、「地獄」「幽霊」の有無など二の次です。なすべきことをなすために自由自在、なのです。

時間についても同様です。坐禅中は過去にも未来にもとらわれず、「即今只今(そっこんただいま)」といって、その瞬間瞬間に意識を集中させることを良しとします。このことは「捨てる」とも表現されます。すべてのとらわれを捨てて坐禅する、日常生活であれば目の前の仕事に集中するということでしょう(これはラーキンが提唱するインスタントタスクにもつながるかもしれません)。

そして、この「捨てる」作業がストレス軽減と集中力増進につながるようです。仏教的には、こうして得られる心の落ち着きが他人への思いやりや勇気となり、その結果、より良い生き方ができるとします。そして日本仏教を含む大乗仏教ではさらに、自分だけでなく周りの人もそうした生き方ができるよう助けることで国の平安が得られる、とします。

そのような大乗仏教的な考え方は大げさとしても、自分を知り、自分を信じ、さらに自分の心が何かにとらわれることを戒める、というのは、パーソナルPMの実践においても役に立つと思っています。

※ここで述べた「禅」に関する考え方はあくまで私個人の理解によるものです。より正しい理解と実践を求める方は、各種ある禅の入門書を読むか、坐禅会を開催しているお近くの禅寺に足を運ばれることをお勧め致します。

錯覚に陥らないためには?

モダンPMは世界の実践にもとづいて形成されてきている形式知です。そこが仮説や成功哲学などとは対照的であると思います。最近はプロジェクト、プロジェクトポートフォリオに続いて、プログラム、EVMとWBSも国際規格化がおこなわれつつあります。規格やデファクト標準では非常に多くの実践者による点検が加えられているので、属人的仮説でないことは確かで、誰かの成功経験や、一人の限られたプロジェクト経験とは異なるわけです。

著名人が自分の経験に基づいて勧めることや、一面の真理だけを取り上げた仮説などに含まれがちな暗黙の前提条件や、場合によっては矛盾に気づかれた人も多いことでしょう。コンサルティングや報道などでも、主張したい仮説について実例で示すケースがありますが、主張に都合のよい例だけが取り上げられることは多いものです。

筆者はその昔ヘビースモーカだったので、たしか「紫煙」とかいう定期刊行物が送られてきていたと思います。そこに大量のデータで喫煙者と非喫煙者の罹患率を比較し「喫煙者は健康」というような説明の記事があったと思います。本当はどちらが原因でどちらが結果かわからないわけで、大量データというだけで錯覚をしてしまいがちです。

そのようなわけで、仮説+実例だけが示され、論理的に説明されていないものは腑に落ちないことがしばしばあるものです。大成功者が見出した法則がもし360度正しい必要十分条件であるのならば、そうやれば読者も成功するでしょう。

ではパーソナルPMはどうなのかといえば、実践の知恵といえども主張如何でそういうケースに陥る恐れを感じないわけではありません。フレームワークの活動の第1番目に掲げられている「A.モダンPMの積極的な学習」は、他山の石を反映した戒めともいうべきものです。ここに書いたような背景でたどり着いた、パーソナルPMの座標軸というわけです。

©2017 Akira Tominaga. All rights reserved.

共有の喜びこそが目的のプロジェクトもある

地元の幼稚園の校舎と園庭をお借りして、ボーイスカウト、ガールスカウト、大学のサークルといった団体が参画するお祭りの実行委員長を、この十年以上、やってきました。20軒近い出店が並び300~400人を動員するくらいの比較的小規模なイベントですが、40年以上の歴史があり、小中学生の時は私自身、ボーイスカウトとして参加していました。

大人になり、実行委員長としてこのお祭りの準備に関わり始めた時、ガントチャートもなく、網羅的なTo Doリストもなく、そして当日の段取り表も貧弱で、ノウハウを継承しずらい、カオスな状態に思えました。そこで以降、スケジュール表を精緻化し、To Doリストの網羅性を高め、当日の段取り表を充実させるべく、数年がかりで資料のブラッシュアップを進めていきました。特にTo Doリストについては、「これらの項目を一つずつこなしていけば自動的にお祭りが開催できる」レベルのマニュアルに仕上げました。

結果として、お祭りは機械的に準備できるようになり、ワークロードは下がり、実行委員会も少人数で回せるようになりました。ただ、こういった形でお祭りを続けていく中で、「このやり方は、果たしてお祭りの目的を満たすことに寄与しているのだろうか」という疑問が大きくなっていきました。お祭り自体はスムーズにつつがなく開催できるようになり、実行委員会としては成功と言っていい状況ではあったのですが、私も周囲の人たちも、以前よりお祭りを楽しめなくなっていたのです。

「最小の労力で効率よくお祭りを開催する」ことが目的であるならば、私のやり方はきっとその成功に寄与していたのでしょう。しかし、お祭りはそういった経済原則に従うわけではなく、たとえ非効率であったとしても、多くの人たちがその実現に関わり、「ああでもない、こうでもない」と作り上げていくプロセスをともに歩み、そして「うまくいってよかった」と喜びを分かち合うこと、すなわち“共有すること”自体が目的であることに遅まきながら気付いたのです。ノウハウが共有しずらいこと自体が話し合いの必要性を高め、カオスなことがある意味、成功体験共有の幸福感を増幅することに気付きました。それ以来、「事故や怪我がないこと」「開催自体が危ぶまれるような失敗をしないこと」を最低限、満足できるよう、あえて資料の詳細度を下げていきました。そうすることで、ちょっとした失敗すら楽しめる、そういった失敗が翌年の新しい試みにつながるような形を目指すことにしました。

この個人プロジェクトを通じて、「最小限の工数で期日通りに高品質で完了させる」という考え方が、全てのプロジェクトに通用するわけではないことを知りました。他方、仕事としてのプロジェクトでは、QCD(Quality, Cost, Delivery)の最適化は最重要として避けられないものと思います。その制約の中にあったとしても、プロジェクトメンバーやステークホルダーとの共有の喜びを失ってはいけないと、この経験は私に教えてくれました。

成功を他人と共有する!

昔話をすると歳が知れるのですが、このLessons Learnedを書くためには避けて通れそうにありません。

その昔、東北に赴任し、複数のプロジェクトをかけ持ってどれも予定どおり完了しないといけませんでした。昼の移動は時間がもったいないので夜行列車で動き、車内で準備したりしていました。成果が出ると会社の表彰を次々に受け、仕事に自信がつき始めていました。

そこへ大先輩のセールスマンが言いました。「自分だけで結果が出せていると思うな、裏方もいるのだから」。最初は言訳が口に出たのですが、内心ではプロジェクト成功以外は何も考えていない自分に気づかされました。反省したその後も何度か繰り返してしまいました。

東京に戻ったあとですが、新しいプロジェクト複数の経験の後、今度は大プロジェクトを率いていました。お客様は1件なのですが組織がたくさんあり、お客様の各組織とのコミュニケーションが不可欠でした。そうこうするうち、社内を軽視する同じ癖が再び出ていたのです。営業トップから私に一言ありました。「あっ、同じだ」と成長しない自分に呆れ、今度は言い訳などせず、態度を直す努力を始めたのが唯一の進歩でした。しかし簡単なことではありませんでした。

数年後、プロジェクトの事業を率いていました。色々な改善を進めただけでなく、危ないプロジェクトを早くみつけ問題を未然に防ぐことは事業の成長に欠かせません。判明次第自分の直下にそのプロジェクトを異動し、全力で挽回に努めました。数年経って業績や顧客満足度に成果が表れてきました。過去の反省から社内の大勢のモチベーションを欠かさない一方で、いつの間にかシニアな人達は放置するというパターンに陥っていました。もし問題があっても叱れば直してくれる強い人達と安易に考えていたのです。

しかし皆人間ですから強さに大差はありません。今度は同僚の役員からいわば仕事の独占というような指摘です。こうなると表面の態度の問題ではなく、考え方、つまり自分の座標軸には何か不備があると考え始めました。何のために仕事をするのかだけでなく、どんな人生を生きるかということに通じる課題です。そのような失敗を繰り返しつつも、忙しい中でそれを考えるようになりました。

答は簡単ではありませんでしたが、何度も考え書籍を読んだりしてやっといくつかの新しいLessonsに気づくことになりました。その一つが個人的成功を他人と共有するということです。私自身の過去の問題への共通の解答でした。

これを含め複数の新しい教訓にたどり着いたとき、私は無性に後進の指導を始めたくなりましたが、仕事の環境がそれを許してくれません。ここぞとばかり難しいプロジェクトの支援に送り込まれました。並行して大学院複数で夜間に教鞭をとり始めたのはそこからです。あ、やはり年寄りの昔話に陥った感じです。皆様の成果に結びつけるための昔話ですからどうぞ御容赦ください。

©2017 Akira Tominaga. All rights reserved.

踏み込んでくるソフトウェア

マメに手紙を書かないのを筆不精といい筆者もその仲間だと思います。Facebookを略しFBと書くことが多いようですが、面白いことに筆不精(FB)でもFacebookには頻繁に投稿する人がたくさんいます。つまり反対に筆マメです。
筆者はLinked-inにずいぶん早くに参加したのですが、返事を放置しているうち何度もパスワードを忘れて設定しなおし、今では忘れたまま放置する有様で、コンタクトされる皆様にご迷惑をかけています。

そういうわけでTwitterやFacebookは避けていましたが、研究室の連絡にFBが使われ始めたため、観念して昨年参加しました。1年経ち、案の定発信は稀となり、受けた友達リクエストも溜っています。老人クラブ化するリスクを感じ、時々若い人に承認やリクエストを送りますが、基本的にやはりFB=筆不精となっています。
そこへソフトウェアの技で来る「知り合いかも」が大体は的中なのに驚きます。ネット広告も同様なのですがCX(UX、顧客体験)へ向けてどんどんパーソナライズされ、まさにマス・カストマイズ時代になってきたと思います。

例えば、結婚式へ祝電を打つと付近の住まいの宣伝などが出るのもそれですが、病院の検索をすれば葬儀場や墓のPRが出るのは明らかに行き過ぎに見えます。こういうのは相手の立場に立っていませんから、決して良いCXにならないでしょう。
そういうソフトウェアにこそ相手に貢献する気持ちが必要と感じます。ミッションやビジョンの定義、目的・目標の構造が必要で、例えば「パーソナルPMのフレームワーク」のような定義を組み込んでしまえばよいと思います。人間で実行がなかなか難しい、そういうことでもソフトウェアなら実現できますから(^-^)。
さて、ここには筆不精の直し方が書ければ良いのですが、いくら懲りてもそれはまだありませんため出てきません。ここで言いたいのは、相手に踏み込むには、相手の立場で考えないといけない点です。それを突き詰めていくと、結局のところ相手の成功や成長に貢献するということです。
その昔いろいろなお客様に恵まれたのですが、現場を担当されていたお客様のたくさんの方々とは今でもお付き合いがあります。あとになってその背景や理由をじっくり考えてみますと、運よく相手個人の成功にも貢献できたケースばかりです。

仕事がうまくいっても個人の成長に貢献できない場合があり、そういうケースではこんな関係にはなりません。皆様の場合はいかがでしょうか?
関係者への接し方の具体的な方策として、企業ではマーケティングの方策が使われますが、個人活動では必ずしもそうはいきません。息の長いステークホルダーへの接し方は、表面的な活動だけですむことはありません。長期間の言動には考え方が顕れるからです。パーソナルPMのフレームワーク中の活動の中では、分り難いためかLLのケースがなかなか出てきにくいですが、最も重要な点だと思います。

©2017 Akira Tominaga. All rights reserved.

困難な状況を前向きな心で乗り切る方法

タイトなプロジェクトや困難な業務の渦中にいるときなど、心身が本調子でない時は誰しもあると思います。

心と身体は相互に関連が強いものですから、困難な状況においては心身両面からのケアが必要になります。本稿では現在の日本においては、身体の健康に比較して知識の浸透が十分でないと思われる、「良い心の状態を保ち困難な状況を前向きな心で乗り切る方法」について、実体験を踏まえて述べたいと思います。

いわゆる「メンタル」は心の病気にかかってしまったあとを指す場合が多いと思いますが、今回述べたいのは健常な人が良い心の状態を保つための方法についてです。心理学や脳科学の知恵を活用します。

心理学は長い間、精神の疾患の部分を中心に研究されてきましたが、1998年頃より健常な人の生活をより充実させ生産性をあげるものとしても研究されるようになりました。それらのエッセンスは主に欧米の有名大学・有名企業で積極的に取り入れられ、近年では専門家でない人たちもその知恵の恩恵を享受出来るようになりました。日本でもベストセラーになったものをはじめとする複数の翻訳本や、ゴールデンタイムのTV番組でも取り上げられたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。

その中で紹介されている効果的なプログラムを1つご紹介します。

それは、「1日に3つ感謝すること(ありがたく思うこと)を21日間書き出す」プログラムです。騙されたと思って、是非、やってみてください。家族、健康、仕事、友人、環境、長所、得意なこと、過去の経験・・・・など何でも良いのですが、思いついたことをとにかく21日間毎日書いていきます。私は携帯電話のメモ帳を活用して、21日間寝る前や通勤電車の中で書き続けてみました。細かいことも含めて、100以上感謝することを列挙することが出来ました。

もともと私は置かれている状況について、良くない側面に目を向けたり、余計な心配をしてしまうところがありました。このプログラムをきっかけに物事の良い面に意識をフォーカスすることが少し出来るようになりました。さらに物事の捉え方は自分の脳が周囲の環境や状況をどう処理するかにかかっているだけということにも気付きました。

プロジェクトマネジメントのコミュニティで活動しているくらいですので、私は目標を設定したり計画をきっちり立ててから動くことが好きです。行動の優先順位を決定し軌道修正しながら常に新たな目標を設定し続けるため、現状に満足感を持つ時間が少なかった気がします。「ポジティブな考え方をする人はネガティブな考え方をする人より生産性が高い。成功するために頑張るのではなく、現状へのポジティブ度合いを高めることが成功するために重要。」という興味深い主張をしているハーバード大学の先生もいます。現状に満足せず頑張ることも大切なことですが、現状に満足することもまた大切なことだと思います。

ちょっとした考え方や心の持ち方の違いですが、良い心の状態を保ち困難な状況や仕事を乗り切るために、心理学や脳科学の知恵は有用に感じています。

本日は、このような記事を書く機会をいただけたパーソナルPMコミュニティに感謝して(笑)、筆を置きたいと思います。

家事をインスタントタスクとして実施

自身、定年が近づいていることもあり、最低限の家事が出来るようにしたいと考えはじめたところです。数年前から、考えていたことですが、頭と行動が別で「よし、やろう!」という風には踏ん切りが付きませんでした。

そこで、ラーキンのインスタントタスクの方法を取り入れてみることにしました。ラーキンのインスタントタスクは、数分以内にできることを、目標を達成する行動の中から、切り出し手をつけるものです。 なぜなら、大上段に「??料理をつくる」ということだと、何に手をつけてよいか考え込んで、後回しにして時間が無いからと言い訳をし、結果として出来なかったというように成りかねないからです。

インスタントタスクとして、頭に浮かんだものは以下です。「茶碗など洗い物をする。」「洗ったものを拭いて食器棚に収納する。」「キャベツを千切りにする。」「洗濯物を干す」「洗濯物を入れる」「ごみをまとめる」「ごみを出す」「米を研いで炊飯器に入れ、スイッチを入れる」「風呂を洗って、スイッチを入れる」「ヒーターに灯油を入れる」などです。更に余裕あれば、「味噌汁のために具を用意する」「魚を焼く」などです。インスタントタスクとして切り出すと、自身の好きなサスペンスドラマや時代劇など、コマーシャルの間でも可能です。

このように数分で出来ることから、はじめると、慣れないことでも、出来そうだということが、頭にインプットされ、出来るようになります。1日に4回程度でも20分です。一か月では10時間も家事に取り組んだという実績ができます。妻にも好評です。夕方、自身の方が早く帰宅しているときなど、ご飯と味噌汁を作り、洗濯モノを取り込むことなどを行います。妻からは、安心して外での用事に専念できるようになったと言われています。
インスタントタスクの実行が習慣づくと、応用で料理なども出来そうな気になってきます。
今まで家事をほとんどしてこなかった人にとっては、大進歩だと思いませんか?

© 2016 Mitsuhiko Tokunaga, All rights reserved.

料理ができる男

ある時私はミシュラン三ツ星シェフの記事を読みました。理路整然とした 素晴らしい仕事ぶり、料理をする姿がカッコいい!以前から料理する男の姿に憧れはありましたが、”いや~無理です。できるわけないです。あなたITの人間でしょ?”などと自己批判し諦めていました。しかし、レシピがあれば一般の方でも料理はできますと言うコメントに乗せられてついに料理をすることを決意します。

俺料理できるんだぜ?なんて言えたらカッコいいな、と想像しつつまずは道具を揃えましょう。三ツ星シェフは道具にこだわります。その気になっている私は数万円の鍋や包丁を揃え、シェフのレシピ本も手に入れて、いざ料理するぞ!と意気込み、材料を調達しようとしたところ…トリュフに金目鯛に…あれ?…トリュフ?いくらするの?どこで売ってるの?金目鯛?魚さばけないけど………あぁ面倒くさい。そうして三ツ星シェフに憧れた私は包丁を握る前に挫折したのでした。

★★教訓1★★
その道のトップの話を見る聞くと一時的にできそうな感覚に陥る。そしてそれはただの妄想である。

数年後…イケメンアイドルがカッコよく料理するを姿をテレビで見ます。料理ができる男性はカッコいい!またもや料理ができる男に憧れた私は料理することを決意します。しかし、前回の教訓はいかさないと。トップレベルの料理は作れそうにないことはわかっているので今回は”男のための簡単料理本”を購入です。うん!これなら自分のレベルに合っていてできそうだぞ。その中からスペイン風オムレツを選択。なんか名前がカッコいいし、今まで食べたことないし、材料も玉子に野菜にお肉と近くのスーパーで手に入るぞ。

いざ調理を開始。調理器具は無駄に高価なモノがそろっています。下ごしらえも順調。そしてフライパンに材料を投入!野菜が結構余りそうだから多目に入れようかな。野菜好きだし、いい料理人は材料を使い切るって聞いたことがあるぞ。そしてオムレツのための玉子を投入!すると……あれ?!?!?玉子で閉じれない!!え?もしかして…野菜が多すぎて玉子で閉じることができないっ!!!その間にもどんどん玉子は固まっていきます。そして最終的にできたモノは…肉野菜炒めスクランブルエッグ。

★★教訓2★★
レシピは守れ。最初からアレンジするな。

数ヶ月後…料理の鉄人が麻婆豆腐を作っているのを目撃します。麻婆豆腐は何度か食べたことがあるし、そもそも簡単に調理できるレトルトっぽいのを見たことがあるぞ。前回の教訓をいかせ!最初はこれでいいじゃないか!豆腐にネギに簡単調理のソースを購入。レシピ通りにできた!見た目も抜群!いざ食してみると…あれ?そう言えば私は豆腐があまり好きじゃなかった…

★★教訓3★★
目標にとらわれて目的を見失うな。自分の価値感も大事にね。

数日後…誰にでもできると言われている究極の素人料理カレーライス。もうこうなったらこれしかありません。カレーは子供の頃から大好きです。器具がある、レシピがある、材料はぶつ切りするだけ、調理は材料と市販のカレールーを鍋に投入して待つだけ。。。できた。。。。そして口に入れると~美味い! でも…あれ?そういえばカレーって学生の頃散々作ってたっけ…

★★教訓4★★
自分の能力を覚えておけ!

その後…
 
今でも対外的に料理ができますとは言えません。イケメンアイドルが作るようなオシャレな料理もできません。しかし、レシピと材料があれば大抵の料理はできます。というよりもレシピと材料を見れば”自分が作れるかどうか”の判断がつきますし、どうしても作れるようになりたい場合は何回か練習すればできるだろうなとの予測が立てられます。そして何よりも料理する事自体が好きになりました。

★★最終的な教訓★★

何度失敗しても立ち上がって行動・改善すればある程度できるようになるし、新たな価値が生まれる。重要なのは動き出すこと。

振り返ると無駄な事してるなぁとも思えますが、現在の能力を考えると上記4つの失敗は本質的な失敗ではなかったと思います。できるようになるために必要な過程でした。行動したことが重要であって始める前から批判したり諦めたりするのが最も愚かなことだと。妄想だっていいじゃない!行動するきっかけになれば。最初に妄想したような”人に振る舞える料理が作れる”ようになったわけでもないですし、人に自慢することもありません。しかし、何もしない頃と比べれば能力向上は明らかですし個人的には満足しています。
 

★★簡単な分析と自分へのアドバイス★★

1回の行動につき複数の過ちを犯していますが、主な種類は大きく以下の4つです
◯自分の現状(レベルや能力種)を把握していない
◯先人の知恵に従っていない
◯目的と目標が明確になっていない
◯権威に惑わされて自分の価値感を忘れている
 
これらを踏まえて過去と未来の自分にアドバイスするとしたらどうでしょうか?
まず、格好つけたいのか、料理ができるようになりたいのかを明確にする。前者ならば、それは本当に料理で表現する必要があるのか?もしかしたらファッションでもよいのではないか?後者であれば、次に自分のレベルにあった料理を選択する。そして、本来の自分の価値観を確認し料理を選択する。これで少しは近道できそうです。

現状はabiltにより抽象化された能力習得法があるので始める前から諦めることはありません。自分の能力を形式化し、その能力を習得するまでの行動も構造化され記録されています。したがって忘れても、今後似たような能力が必要になったらそれを参照し思い出し、新しい能力習得に活かすことができます。またPPMの手法により習得までの期間を短縮したりスケジュールも管理できるでしょう。最初の行動まではいくつかの心理的要因によりますが、いざ行動を開始したらPPMやabiltのような手法を用いることで効率化できますし、心理的にもモチベーションがあがったり、楽しんだりできます。先人の知恵やテクノロジーをお借りできる毎日に感謝です。