駅のホームからの転落事故

その事故が起きたときには、一瞬何が起こったのか自分でも理解できなかった。
今まであった目の前の景色が上に流れていったのですから。
その事故が起きたのは、JR東日本の南武線のB駅でした。
いつも通り川崎方面に向かう駅のプラットホームで電車待ちをしていました。確か2列目に並んでいました。電車が到着して、降りる人が一通り降りたので、前の列の人が電車に乗り込んだのに続いて、わたしも片足を上げて電車の中に入ろうとしたその時、突然降り遅れたのでしょう、一人の男性が電車内から飛び出してきました。わたしは上げた足を電車内に入れることができずに、その手前に下ろしたようです。実はその時の記憶は全くありません。B駅では電車とプラットホームの間が、かなり空いており、また電車の乗降口と駅とも段差がありました。そういったこともあり、わたしの片足は、何もない電車とプラットホームの間にすっと入り込み、もう片足もかくんとなり膝が電車の車体にぶつかりました。幸いだったのは、大きなカバンが隙間に引っかかって、線路にまで落ちなかったことです。なんとか自分で這い上がり、電車に乗り込みました。ズボンは擦り切れて、ズボンの下の膝、脛には血が滲んでいました。
ショックだったのは、電車に這い上がろうとしてもがいていた時に、誰も助けてくれなかったことです。這い上がろうとしている横で平気?でみなさん電車に乗り込んでいったことです。
助けてください!って言わないわたしも良くなかったのかもしれません。   近寄りがたい雰囲気があったのかもしれません。
わたしはこの時以来、電車に乗り込む時には、降りる人がいないことを確認するまで、足を上げないようにしました。揚げ足を取られないように。?
足元には注意しましょう。

自転車事故

自転車事故の失敗談のお話をします。
子ども時代は六甲山系や生駒山地に長く住んでいたこともあり、自転車を乗り回す機会がありませんでした。
就職で東京に出来てからは、関東平野ということもあり、自転車での移動が増えました。(車を買っても残業と休日出勤ばかりのブラックの時代でしたので、自動車を買うことは結婚するまでありませんでした)
そうした中で、自転車事故の記憶として残っている失敗事例を3つ紹介します。
1)肉屋に突撃
細い歩道での自転車走行は避けて二車線道路の左を走行中、自動車が幅寄せをしてきたので、仕方なく歩道に上がろうとしました。しかし、段差がかなりあったことと、自転車の速度がかなり出ていたこともあり、自転車が歩道に上がりきれずに身体だけ歩道沿いの肉屋さんのガラス戸に勢い余って、突っ込んだことがあります。当然ガラスを割って、身体は肉屋さんの店内に。幸いお客様はいらしゃらなかったですが、お店のおじさん、おばさんはびっくり。幸い大きな怪我はなく切り傷程度で済みました。お店にはガラス代を弁償することになりましたが、実は私が初めてではないようで、またかと驚かれていました。これ以降、道路から歩道への乗り上げるときは段差には注意するようになりました。しかし、この後の失敗談にも書きますが、スピードの出し過ぎは未だに直りません。

2)トレーラに激突
昭和の時代。ソフトウェア開発の現場は今でいえばブラックなところが多かったです。フレックスもない時代、朝8時から夜中の2時半まで仕事をする生活がずっと続いていた時期があります。
その日は朝から雨が降っていて、夜になっても雨は止まず、かなり激しく前が見えないくらいの勢いで雨が降り続いていました。いつものように夜中の2時半に仕事を終えて、早く帰って寝ようと合羽を着て自転車に乗って隣市のアパートまでぶっ飛ばしていました。雨が激しく、前を見ていると眼鏡が水滴で見えなくなるので、合羽の帽子を深く下ろして視線は自転車の前輪を見ていました。深夜なので車はほとんど走っておらず、毎日走っている道なので、特に前を見なくても、車のライトだけ注意していれば良いはずでした。アパートと会社の中間地点の交差点を超えたところで、ふっと嫌な予感がしました。そういえば、昨晩帰るときに、このあたりに重機を乗せたトレーラーが止まっていたなあと。そして、前を見たときはもう遅かった。自転車はトレーラの後部に激突、わたしの身体は空中に飛び上がりました。「あ~、これで終わりかあ~。あっけないなあ~。」 幸い、この日は、トレーラの上には重機は載っておらず、またわたしの身体も、いい塩梅にトレーラの荷台のくぼみに背中から落下しました。全身打撲ですが、頭を打つことは幸いありませんでした。さらに落下直後に、トレーラの脇を一台の自動車が走り去って行ったので、もしトレーラに気づいて避けていたら、逆にこの自動車とぶつかっていた可能性がありました。幸運でした。しかし、自転車は無残にも前輪はひしゃげて90度に曲がってしまいました。全身の痛みをこらえながら、自転車をアパートまで引きずって帰りました。これ以来、雨の時は合羽を着て、前は必ず見て自転車に乗るようになりました。スピードは相変わらず出しすぎていますが。
この時の空中浮遊の感覚は未だに残っています。

3)凍結した路面のカーブで自転車が消える
1980年代は東京多摩でも雪が結構降って、積もった雪がひと冬残っていた時期もありました。その頃の話です。道路脇には何週間も雪が残って、道路はカチンカチンに凍結していた時の話です。
たびたび自転車の事故を起こしていましたが、スピードの出し過ぎは直りません。道路のカーブではバイクでもないのにバンク角を深くしてスピードを出したまま曲がっていました。その日はいつも以上に路面がツルツルになっていました。いつものようにスピードを出してカーブを曲がろうとしたら、凍結していた路面でバンク角を付けすぎたこともあり、遠心力で車体が斜めになったままスーと流れてガードレールに激突。わたしは自転車が足元から消えて道路の上にドスン。一瞬何が起こったのか分かりませんでしたが、後から自動車が近づいてきたので、慌てて道路脇へ。
丁度、この顛末を見ていた職場の同僚がいて、しばらく笑いものになりました。
こんな失敗を繰り返しても、スピードの出し過ぎだけは直らないのが、悩みの種です。自転車は安全運転で。

 

ランドセル

小学校の帰りにバスを使うことがよくありました。バスを待ちながらバス停近くでひとしきり遊んだあと、同級生と一緒にバスに乗って帰りました。

ある日、バスの椅子に座るととても座り心地が良いことに気づきました。こんなに座りやすい椅子だったのか、今まで気づかなかった、と、自宅までの15分ほどの間、とても快適な時間を過ごし、バスを降りました。

家に入りいつも通りランドセルを下ろそうとして、背中にあるはずのランドセルが無いことに気づきました。バス停のベンチに置いてきてしまっていたのです。どおりで座り心地がいいはずです。いつもランドセルに場所を取られ、窮屈に座っていたのが無かったのですから。

バス停近くのお店に電話してランドセルを保管しておいてもらい、あとで取りに戻って事なきを得ました。今でもあのときのバスの椅子の気持ちよさを思い出します。あれは本当に気持ちよかった。

このブログをまとめた教訓集などの紹介

このブログへの投稿記事がとりまとめられ、推敲が施された内容が次のキンドル書籍にまとめられAmazonから販売されています。これは2020年5月に出された第2版です。

次がこの研究会の最初の出版となった、日経BP社の次の書籍「パーソナルPM」の現在の増補改訂版です。

また、実践を簡潔にまとめたキンドル書籍が次のものです。

以上、ブログ読者への簡単なご紹介まで。

失敗録を始めよう!

メンバーの中嶋秀隆さんから「失敗録を書いてみようではないか」という提案がありました(2月15日第139回会合)。「失敗をした時はとても深刻な場合もある。しかし乗り越えて来れたわけで、後になれば客観視もでき易い。例えば20年も経てば逆に人生の糧と感じることもある・・・」。

なるほど、失敗録は人にも組織にも役立ちそうですね。参加者の皆さんも、「失敗を気にし過ぎたり挑戦を避けたりが蔓延する今だから、若い人達にも役立ちそう」、「失敗録は人に貢献できるばかりか、パーソナルPMの発展にも有意義ではないか」などと大いに賛同。まずは試しに始めてみることにします。

ところが・・

いざ何か披露しようと私が考えても、実はなかなか思い出せません。それもその筈、「嫌な失敗は思い出さずに、さっさと忘れて前を向こう。その時の教訓だけを記録して生かせばいいのだから・・。忘れるには一切思い出さない」主義を長年実行してきたからなのです^^; 数々の失敗を努めて忘れてきたとはいえ、今回「是非やろう」と大賛成した手前、何か探さなくてはいけません。。。

20年ぐらい前の記録を調べていたら、やっと一つ思い出しました!2002年に某国際会議の組織委員長としての挨拶の準備をしました。視力が悪くともチラ見ができるよう、大きめの用紙に大きな英宇で箇条書きメモを作りました。1度だけ練習して「これなら大丈夫」という思い込みをしました。

シンガポールの会場は冷房が効き立派でした。最初に登壇してビックリ。壇上には手元照明がありません!それどころか話が始まると照明が次第に落ちるしかけ。メモは見えない、まずいなあ;;;(←冷や汗です)。しかし満員の聴衆を前にもう後の祭り。仕方がない・・と腹を括って即席で開始。気の利く話を入れるつもりが思い出せない^^; 予定より少し早く何とか降壇。今や何を喋ったか思い出せませんが、短くしてよかったなあ^^;と胸をなでおろしながら座席に戻り、快適な冷房の中で再び冷汗タラタラでした。今考えてもゾッとします。

それ以後、大事な会議の際はメモとともに小さな懐中電灯をポケットに忍ばせることにしました。尤も社内の国際会議では左右か壇の先端にプロンプターがあったりスライドを使ったりするのが多かったのですが、ある時その小さな灯りで助かったことがあります。とても救われた感じでした。そして私の最大の進歩は、あの時以後は事前練習を絶対やるようにしたことです。聴衆の立場を考えれば当然のことなのですが。

失敗は過ぎ去ればその後の人生の栄養になる。

後で講義を長年楽しんで行なうようになったのもそのおかげだと思います。とはいっても、過去にはこんなに生易しい失敗ではなく、もっとひどく落ち込んだのも沢山あったように思います。まずは最初に思い出したのを書かせていただきました。

今や、「失敗を思い出すな」という人への勧めとは逆に、失敗をなんとか思い出そうと考えています^^;

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LL振り返り20190624

パーソナルPM研究会_LL振り返り_20190624_公開用

『心は行動となり、行動は習癖を生む。習癖は品性を作り、
品性は運命を決する』
ひいては「その変わった心で毎日の仕事や生活に取り組むこ
とで、運命を変えられるのではないか」という思いも昂じて
きました。
私は、その昔自分のTo-doリスト項目が完了した時に、気づ
いたことを項目の右にちょこっとメモするのが習慣になりま
した。自分用なので一言だけなのですが。数年やっている
と、同じ気づきが何度も出るのがわかりました。
自分用に10年続けた結果がこうなった
優越を求める価値観  >  人生の成功に焦点
理性を求める価値観  >  真理の追求に焦点
安心を求める価値観  >  平等な社会に焦点

パーソナルPMコミュニティで3回にわたり、LLを見直しながら自分の人生の目標・目的について考えてきました。

深く考察を進めていく中で、自分がどの価値観に重きを置いているのか、これを考える指標になるものを編み出す必要を感じ、これまでにやってきたことを分類整理してきました。

今回もLLを振り返りながら、この会を通して自分自身が達成パーソナルPMについて考えていることを発表します。(6/24発表予定、この記事は6/22に書いています)

LL振り返り20190520

明日の会に向けて準備しました。

パーソナルPM研究会_LL振り返り_20190520_公開用

LL振り返り20190415

マルチステージの時代に

寿命の伸びは世界各国で顕著です。この60年ほどを見れば次のグラフのようになっています。日本では1947年から詳しい統計がとられていますし、欧州各国では19世紀半ば、または1920年代から作成されてきたのに驚きます。公開されている“Human mortality database”に蓄積された38か国のデータの中で、上昇傾向以外の複雑な動きはロシアだけで他に例外はみあたりません。(図が見づらい時はクリックしてご覧ください。)

例えば2007年に生まれた人の平均寿命は軽く100歳を超えるとの予測がされています(注1)。ところが先進国の人口ピラミッドは次のような形で、高齢者をささえる若年層が不足しています。改善の努力が先進国で行なわれてきましたが、ご承知のとおり日本は先細りが直っていません。ここに示しませんが、例えばインドやマレーシアでは各国の寺院の屋根のような形、アフリカ諸国では下辺の広いピラミッドです。(図が見づらい時はクリックしてご覧ください。)

若年層が少ないと平均寿命に影響するのかちょっと気になりますし、イスラエルの人口構成がきちんとしているのにも驚きます。少し脱線しますが、疑問を解くため年齢別の死亡率を調べたところ、高齢層と若年層では桁違いの差があり平均寿命に殆ど影響しないことが分りましたので更新しておきます。下の図は日本とイスラエルの比較です。

要するに平均寿命は純粋に伸びています(米英等で最近になって横ばい気味なのが気にはなりますがきっと原因があるでしょう)。仕事時代より退職後が長くなっているでしょうし、それを支える長い「年金生活」という発想は成り立ちにくくなるでしょう。

人生が1)学び、2)勤め、3)隠居の3ステージから成るという過去の観念は捨てる必要があるでしょう。ステージが混じり繰返すような「マルチステージ」(注1)の人生が増えるというわけです。日本では15歳未満と65歳以上が被扶養層と定義されていますが、70歳、さらに80歳まで仕事をするのが常識となるかもしれませんし、年齢だけでの差別はなくしていくべきと思えます。

最近のパーソナルPMコミュニティの会合で、メンバーの徳永光彦さんがマルチステージを取り上げられたのに触発され、筆者を含め多くのメンバーが現代の人生におけるその重要性に改めてフォーカスしています。一人では気づきにくいことも皆と検討すると気づくことの典型でしょう。

若手メンバーの柳沢大高さんは、スキル修得に関する執拗な研究成果の一端を、一般向け書籍として書かれています。8月23日に発行されることになりました。マルチステージへ向けた「学び」へ正面から向き合うための格好の書となることを期待しています。

改めて身近な人たちを見回せば、マルチステージを実践している人は既にたくさん居るのに気づきます。皆様の周囲にもおられるでしょうし、考えてみれば筆者もその仲間です。それが続けられるためには健康が第一ですし、自分で考えるミッション(目的の構造化)、柔軟な思考や新しいことを受容れる姿勢などがますます大事になると思います。

パーソナルPMコミュニティでは2018年10月14日(日)の午後、「パーソナルPMシンポジウム2018」(参加無料)を都内で主催することとなりました(満席となりお申し込みを締め切らせて頂きました)。

PPM18A6

その中で徳永さんのマルチステージ実践に基づく発表も予定されています。投稿が長くなり過ぎるため、「パーソナルPMシンポジウム2018」については後ほど別投稿としてご案内したいと思います。パーソナルPMに少しでもご興味をお持ちになられたら、どなたでも気楽にご参加いただけるようお待ちしています(すでに満席となりお申し込みを締め切らせて頂きました)。

(注1)Lynda Gratton & Andrew Scott, The 100 year Life,2016. 池村千秋訳、ライフシフト、東洋経済新報社、2016.

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目的があることは希望があるということ

思いがけない苦難に遭遇して意気消沈するといったことは、誰にも起こり得ることです。そういう場合に、早く前向きに立ち戻れるかどうかは、本人に何らかの希望や目的があるかどうかに左右されると思います。多くの先達もそのことについて言及されています(注1)。

その「希望」という言葉からもし宗教における解釈を外すなら、精神的な期待を指しているかと思います。苦境にあっても、もし何か一つでも目的を持っている場合なら、希望につながることは確かではないでしょうか。

筆者は、複数の大学院でPM講義を長年担当し、全受講者に毎回レビューシートを出してもらってきました。数は2万枚に達しますが、早い時点で気づいたことがあります。設問してみて分かったことなのですが、何らかの明確な目的を持っている人達は授業に前向きで生き生きして見えることです。逆にそうでない人達は、自分自身の現時点での目的がはっきりしていないという点です。

プロジェクトは「目標」を達成するための活動で、その集まりといえる「プログラム」はその上位に位置付けられる「目的」を達成しようとする活動です。言い換えれば大きく長いプロジェクトがプログラムであるともいえます。目的の上にはさら種々の上位目的があるわけで、例えば次の図で表せます。この構造は組織でも個人でも同じことです。

行為は目的を達成する手段で、目的はさらに上位の目的を達成する手段です。行為と目的の連鎖という概念は古今東西に見られます。例えばアリストテレスは「キーネーシス」(注2)と言い、道元は「俗世の行為は目的を目指す手段で目的は上位目的のための手段」(注3)と言い、そういう連鎖を断ち今に打ち込む概念をそれぞれ「エネルゲイア」、「座禅」としています。

とはいいながら、例えば道元が感銘した老典座(料理人)の無心の行為(注4)にも「長の務めを果たす」という明確な目的が筆者には感じられてしまいますが、どうでしょうか。現実の人生(つまり俗世)で明確な目的を目指すことの大切さは、幾多の著名人が述べているとおりだと思います。

例えばJ. F. ケネディは「目指す目的がないと努力も勇気も出せない」(注5)と言い、ダライ・ラマ14世は「人生で重要なことは目的をもつことだ」(注6)と言いました。ジョージ・ハラス(フットボール界リーダー)が「大勢が人生でもがく理由は、目指して活動すべき目的/目標がないから」(注7)と述べたのも納得できる名言だと思います。

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注1:川越厚、人間は最期の瞬間まで希望を持ちながら生きることができる、日経ビジネス2018年2月12日号「有訓無訓」、他にVictor Frankl, Man’s Search for Meaning, 1946.など.

注2:アリストテレス著・高田三郎訳、ニコマス倫理学、岩波文庫.

注3:道元著、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう).解説本に 頼住光子、正法眼蔵入門、角川ソフィア文庫、2005.  頼住光子、道元 ─ 自己・時間・世界 はどの よう に成立 するのか、NHK出版、2005.

注4:道元、典座教訓.解説本に 藤井宗哲 訳・解説、典座教訓-禅の食事と心、角川学芸出版、2013.道元著中村璋八・ 石川力山 ・中村信訳、典座教訓・赴粥飯法、講談社学術文庫、1991.

注5:”Efforts and courage are not enough without purpose and direction.”-John F. Kennedy

注6:”The important thing is that men should have a purpose in life. It should be something useful, something good.”-Dalai Lama

注7:Many people flounder about in life because they do not have a purpose, an objective toward which to work.-George Halas

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