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「ジョホールバルの歓喜」から

シンガポールへの出張が決まったとき、歴史的なサッカーゲームを観戦できるのではという希望が湧きました。1997年11月のことです。マレーシアとの国境を越えた隣町・ジョホールバルで、日本代表がイラン代表と対戦します。そこで勝てば、フランスで行われるワールドカップの本選に、日本代表の初出場が決まる大一番です。
本業の出張準備を棚上げし、入場券を求めて東京都内を奔走しました。が、結果は芳しくありません。日本で売られる切符の数が少ないうえ、手配時期が遅すぎたのです。やむなく、シンガポールの現地で探すこととし、現地に赴きました。
試合の前日にシンガポールに着くと、さっそくホテルのコンシルジェに相談しました。彼は何軒かのチケットハウスに連絡を取ったあとで、脈ありという店を見つけてくれたのです。
雑居ビルの一室にあるチケットハウスを探し当てると、切符があるといいます。しかも、日本で売られているよりはるかに安いのです。狂喜して購入すると、販売員に釘を刺されました。「マレーシアへの入国には、パスポートの有効期限が6か月以上あることがルールです。その点、お忘れなく」
ホテルに戻ってパスポートを調べると、有効期限は3か月しか残っていません。
困りました。今からパスポートの有効期限の延長はできません。日本のパスポートは申請から発行まで10日かかります。しかし、観戦をあきらめるのは悔しいです。なにしろ日本代表のワールドカップ本戦初出場が決まる瞬間をスタンドから見届けられるかもしれません。
丸一日思案しました。考えてみれば、これまで20数カ国に行っていますが、入国時に「パスポート有効期限」を聞かれたという記憶は1度もありません。マレーシアにはすでに5-6回は入国しています。それに、「天の配剤」という言葉もある……と思い定めて、ともかく観戦に向かうことにしました。
ジョホールバルはシンガポールからマレー鉄道で1駅ですが、汽車は国境で一時停止します。乗客はそこで出入国の手続きをしなければなりません。指示されるままに下車し、ホームの一角にある窓口に向かいました。手続きを待つあいだ、パスポートの有効期限が頭から離れません。やがて渡された入国書類を見ると、はたして「パスポート有効期限」の記入欄があります。こんな欄はこれまで記憶にありません。コンチクショー。さてどう記入するか? すこし逡巡しましたが、意を決し、すこし先の期日をボールペンで勝手に書き込みました。それからが落ち着きません。もし係員に引き留められたらどうするか?「頼むから見逃してくれ」と言うか、「この1戦を観るためにわざわざ日本から来た」と訴えるか、それとも、10ドル札を提示して…。
やがて順番がきて係官の前に立つと、インド系の中年女性がのんびり書類の処理をしています。私のパスポートと入国書類を眺めて、パソコンに何か入力しています。手書き処理ならともかく、コンピューターでは、パスポートと入国書類の違いが立ち所に判明します。ここでばれたら、おれは国際犯罪人に名を連ねることになるのか? 処理を待つあいだ、心臓はドッキンドッキンと鳴り通しです。こんな心臓の鼓動を経験するのは、小学生のとき海岸の埠頭で小さな魚を初めて釣り上げたとき以来かもしれません。
やがて彼女は一連の処理を終え、パスポートにハンコを押して返してくれました。
こころ優しい係官(?)のおかげで、スタジアムまでいくことができました。そして、岡野選手の決勝ゴールをスタンドから見届け、深夜、歓喜の中をシンガポールのホテルに帰り着きました。するとくだんのコンシェルジェは「おめでとう。次はフランスに行くんだね」と言ってくれました。
そこで、教訓。「入国書類は、ときどきごまかしましょう」

小林誠の講演を聴いて

筑波大学の大講堂で講演がありました。講演者は高エネルギー物理学研究所の小林誠先生です。先生は2008年に小林・益川理論でノーベル物理学賞を受賞しています。なんでも、クオークが6つあるということを理論的に予言し、その後の実験で証明したそうです。「対称性の破れの理論」ともいうそうです。
自宅から車を運転し、15分ほどで会場に着きました。大講堂は満員で、門外漢の私には少し敷居が高く感じられましたが、張り切って最前列の席に座りました。
紹介のあと演壇に立った先生は、序論で「今日は2つの軸を中心にお話します。素粒子論と特殊相対性理論です」とおっしゃいます。どちらも、何のことやら皆目、見当もつきません。
我慢して聞いていると、説明は進められ、やがて本論に入りました。そして先生は、正面のスライドに複雑な数式をいくつも続けざまに映し出します。その後で、行列式らしきものを大写しされました。全く理解できません。
すると先生は結論としておっしゃっいました。「これは簡単な数学です。これを解くと、クオークは6つなければならないことになります」。最前列の私には全く意味不明です。
講演が一段落し質疑応答の時間になると、驚いたことに、聴衆である学生たちからいくつもの質問が出されます。先生は1つひとつ丁寧に答えていらっしゃる。質問・回答のどちらも、私にはチンプンカンプンです。私は心の中で密かにつぶやいていました。「聞く方も聞く方だが、答える方も答える方だ」と。
講演の最後に先生は言われました。「宇宙の中の物理現象には、解明されていないものがまだたくさんあります。諸君の中で志ある人が、そこに挑戦され、解明されることを期待しています」
会場は拍手に包まれ、講演は素晴らしい雰囲気の中で終了しました。
私はその余韻に浸りながら、車を運転して帰宅しました。超一流の叡智による、全く素晴らしい講演でした。そういう講演を聞けたのは本当にラッキーなことです。もし心残りがあるとすれば、たしかに素晴らしい講演でしたが、その序論・本論・結論のどこをとっても、私には全く理解できなかった、ということだけです。
教訓(2択)
① 何もわからない講演を聞くは時間の無駄なので、やめましょう。
② 自分には何もわからない世界があり、そこですばらしい業績を上げている人がいます。こういう事実と知ることは、自分を謙虚にしてくれるとともに、世の中の広さを教えてくれます。

行ってまいります

あなたのご家族は、外出する人と送る人がどんな挨拶を交わしていますか。
「東京物語」を筆頭に、小津安二郎の映画を何本か連続して観て、日本語の会話の美しさに感じ入ったことがあります。大女優・原節子が出演しており、そこでは、外出する人は「行ってまいります」と言い、送る人は「いってらっしゃい」と言っています。さらに、佐田啓二・岸恵子の「君の名は」と、音羽信子の「原爆の子」も観ました。どちらでも出かける人は「行ってまいります」か「行ってきます」と言っています。ここに挙げた映画は、どれも白黒映画です。
思い返すと、私たちは小学校に入学したとき、登校時には「行ってまいります」と挨拶するように教わり、そのとおりにしていました。
10年ほど前、次男が中学生のとき、ある朝、登校前に玄関先で家内と何か話しています。放課後の予定の相談をしていたようです。会話が一段落すると、彼は母親に「じゃあね」と挨拶し、自転車に飛び乗って学校に向かいました。
これは見捨ててはおけません。私は自宅の窓から大声で次男を呼び戻しました。彼は30メートルばかり進んでいましたが、素直にとって返してきました。ここで断固たる姿勢を示さないと父親の沽券にかかわります。私ははっきり言い渡しました。
「子どもが学校に出かけるとき親にする挨拶が『じゃあね』とはけしからん。ちゃんと、『行ってまいります』か『行ってきます』と言え」
次男は神妙に聞いていました。しかし、しまった。彼の目が笑っていいます。私の説教が終わるやいなや、次男は「わかった、じゃあね」と言い残し、自転車に飛び乗って学校に向かったのでした。
教訓(3択)
① 白黒映画を観るのはやめましょう。
② 自転車に乗った人を呼び止めてはいけません。
③ 人にアドバイスをするときは、くれぐれも慎重にしましょう。

不心得な了見

日本語で出版されている本のなかには、英語からの翻訳が相当数あり、日本の読者に大きなインパクトをもたらしています。私も、『老人と海』(ヘミングウェイ)、『エリアス随筆』(ラム)といった文学書から、『ビジョナリー・カンパニー』(コリンズ)、『最後の授業』(ランディ・パウシュ)などの経営書まで、翻訳書の恩恵に浴しています。翻訳者諸氏には、衷心より感謝を申し上げます。
最近でも、『老人と海』の福田恒存氏や『最後の授業』の矢羽野薫訳の名訳に舌を巻いています。具体的には、次のようなくだりです。

“Everything about him was old except his eyes and they were the same color as the sea and were cheerful and undefeated.”
「この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。」(『老人と海』福田恒存訳)

“The brick walls are there for a reason. They’re not there to keep us out. The brick walls are there to give us a chance to show how badly we want something.”
「レンガの壁がそこあるのには理由がある。僕たちの行く手を阻むためにあるのではない。その壁の向こうにある「何か」を自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているのだ。」(『最後の授業』矢羽野薫訳)

『老人と海』の福田訳に注目しましょう。原文の ”except his eyes” という説明句を、「ただ眼だけがちがう」と、独立した1文にしています。これはすごいと思います。もしここを、われわれが学校で教わったとおり「眼をのぞいて…」とやったのでは、福田訳のような強烈なアピールは望めなかったのではないでしょうか。
『最後の授業』の矢羽野訳でも、原文の ” something” に言葉を補足して、“その壁の向こうにある「何か」”としています。さらに、”a chance to show” を「見せるチャンス」という平板な表現にせず、「証明するチャンス」としています。2つの工夫で、原文の真意が見事に浮き彫りにされています。
私事であすが、英語から訳された本を読む際、重要なところには傍線や下線を引いたり、マーカーでハイライトしたりします。が、それとは別に、気になった訳語に波線を付し、欄外に「Eng」とか「レ」など書きつけます。機会があれば原書の英文をチェックしてみたいという印です。翻訳者の努力の跡を偲んでみようという意図もあります。
翻訳の世界では、「10人の翻訳者がいれば、10種類の訳文がある」といいます。(経済学の世界では、「10人の経済学者がいれば、経済政策は11ある」というそうです。)そこで、ある著名な日本人翻訳者がエッセーで説いていることを思い出しました。「翻訳本の日本語にいぶかしく思うところがあっても、原書の原文にあたってみようなどという『不心得な了見』は起こさないように」
しかし今やアマゾンなら、原著を2-3日で入手できるようになりました。そして、波線を付した日本語訳の該当部分を原著で探し当て、翻訳者の苦労を追体験するのは、思いがけず、楽しい作業であることに気づきました。かくして、この「不心得な了見」は、今後も私の読書のある位置を占め続けるでしょう。
教訓:「不心得な了見」は楽しいです。

適度な図々しさ

九州出張を機に大分県中津を訪れました。プロジェクトマネジメントの関係者に中津出身の方が2人おられますが、同地には福沢諭吉の「独立自尊」という言葉を大書した碑が立っています。お2人とも幼少期に、毎日その碑を見て育ち、少なからぬ影響を受けている、と聞いていたからです。
JR中津駅に降り立つと、真正面に福沢の銅像が佇立しています。さっそく、福沢の旧居に行ってみました。旧居のすぐ脇に稲荷があります。少年の福沢が、いたずら心から、神体を開けて中の石を別の石ころと入れ替えておいたときのことです。初午なって、周りの人がのぼりを立て、太鼓をたたき、お神酒をあげて拝んでいます。それを見た福沢が「ばかめ」と1人嬉しがっていた、という場所です(『福翁自伝』)。
反対側に記念館が併設されていて、福沢ゆかりの展示物が多く見られます。その中の1つ「願書」に目を奪われました。当時、大坂の適塾に留学していた福沢は、チフスに罹って中津に一時帰郷しています。再度大坂に出かける際、中津藩庁に留学の願書を提出しました。その中で、目的を「砲術」の修行に出かけると書いています。適塾の緒方洪庵は医者であるにもかかわらず、です。展示の説明では、「蘭学」のための留学は当時の中津で前例がなく、認められなかったからだとのことです。ここで、もし福沢が「蘭学」の勉学のためと生真面目に書き、その結果、留学を拒否されていとしたら、『学問のすすめ』をはじめとする、福沢の啓蒙活動は、かくも広汎・多大な影響力を持ったなかったことでしょう。
積極性とは「適度な図々しさ」のことかもしれません。福沢が「砲術」の修行と申請したのも、福沢の「適度な図々しさ」の発露であったのではないでしょうか。
教訓:積極性とは「適度な図々しさ」のことかもしれません。

「スケジュール 可視化で気づく 期限まで」

To-doリストで懸案事項、課題などを管理しているのに、ふと気づいたら補助金の申請期限を過ぎていて、これが受注条件になっていたので失注してしまったといったような経験はありませんか? あるいは、期限前に書類作成に着手はしたのだが、着手時点で作業量が多いことに気づいて、結局2日連続で徹夜して仕上げることになり、チームメンバから大ひんしゅくをかったといったような経験はありませんか?

研修でTo-doリストを作ってやることで漏れなく課題管理が出来ると教えられたのに、これでは意味がなく、従来と変わらないではないかと思ってしまったかもしれません。

To-doリストはよくできたツールですが、よくある書式では、日限まであと何日残っているのかとか、どれくらいの作業量(何日程度の作業量)があるかを一目でわかるのは難しいところがあります。一覧に日限や見込み作業時間数が書かれていても、作業項目が増えてくるにしたがって、各作業項目をどういった順番で実施していけば、個々の日限までに終えられるかといった全体を把握するのがTo-doリストだけでは難しいところがあります。

そこで作業項目が増えてきたら(たとえば、10件を超えてきたら)、ガントチャートに代表されるスケジュール表を作成することをお勧めします。これにより、自分の抱えている作業全体が見えるようになり、個々の作業項目の日限が時間軸で分かるようになります。また、作業量もバーの長さから類推でき、着手遅れを防ぐことが可能となります。To-doリストはやっているが、スケジュール表までは作成はしていないという方で、冒頭のような失敗事例をお持ちの方は検討して頂ければと思います。

ただ、個人差もありますが、あまりに見えるようになったために、各作業が軒並み遅れているのが見えてしまい、逆に心の負担となり気分が落ち込んでしまった方も過去におられるので、利用の際は自分の性格も踏まえて実施されることをお勧めします。心労となっては元も子もありませんので。

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個人研究プロジェクト用のワークシート

大きな実験室で複数の人が行うような研究とは別に、社会科学の研究は、どちらかというと個人単位で行うことが多い。アイデアの創出から、研究の実施、論文の作成まで、個人の頭の中で練られていく。
その時に、課題となるのは、研究が構造化されにくいことである。うまく構造化されて研究がなされていないと、最終的な論文を執筆したときに、論文の修正に多くの労力が必要となる。また、最悪の場合は、研究そのもののやり直しが必要となる。
そこで、研究に取り組む早い段階から、全体を構造化しておくことが重要になる。そこで、筆者は、図1のような、フレームワークを用意し、その中に、研究の内容を記入し、チェックするようにしている。

図1

図1の上の部分は、タイトル、問題意識、目的であり、論文にした時の1章はじめにに記入される項目である。中段は、左から、Input – Process – Output に相当し、研究の入力データは何であるか、どのように処理するのか、そして、結論は何であるのかを意識して記入する。そして、IPOそれぞれの下段には、制約事項を記入できるようにしてある。物事には、必ず、制約事項が存在し、そのことを意識しておくことが重要なためである。

「プロジェクト わが目標も 立てておけ」

仕事でプロジェクトを開始する時に、個人の目標をたてていますか?

先日、ある会社のプロジェクト・マネジャーと話す機会がありました。そのマネジャーはプロジェクトのキックオフ時にプロジェクトの概要を関係者全員の前で説明するだけでなく、プロジェクト・メンバ一人ひとりにプロジェクトにおける自分の目標を述べてもらっているそうです。

「このプロジェクトで自分はネットワーク工事について、関係先との調整能力を磨きたい」

「このプロジェクトを成功させるために、ネットワーク技術者の資格を取得できるように勉強します」

「入社して間もないので、○○通信システムの設計を早く覚えて、次から戦力になれるようにしたいです」

このように自分がこのプロジェクトを通して何を学ぶのかを宣言することで、プロジェクトに対して受身の姿勢から能動的になってきたと言っていました。始めた頃はなかなか目標をきちんと言えなかったようですが、簡単なことでもいいので一つ目標を設定するように繰り返しやっているうちに、目標達成の喜びも加わり中身のしっかりした目標に変わってきたようです。

プロジェクト本来の目的とは別に、プロジェクトにおける個人の目標も設定することで、仕事に対する姿勢が変わってきた例だと思います。

個人の目標の先にしっかりした目的を設定しておくことが重要です。何のために調整能力を磨きたいのか、何のために資格を取るのか、ということも考えておかないと、資格を取ることが目的になってしまいかねません。最初に目的と目標を掲げて、やる気が自然と湧き上がる形で個人プロジェクトをやっていきませんか。

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「ふりかえり 教訓出しは 熱いうち」

個人プロジェクトでもふりかえりをすることは大事です。ふりかえりを繰り返すことによって、知識、経験が確実に蓄積されます。ふりかえりをしないと失敗を繰り返しかねません。成功したとしてもなぜうまくいったのかという教訓を残せないため、次回の成功確率が下がります。かなり痛い目にあった経験は、ふりかえらずとも身体が覚えているかもしれませんが、そういった例はごくまれです。

ふりかえりで注意しないといけないことは、実施するタイミングが大事だということです。ふりかえりを行なう時期が遅くなればなるほど、過去の記憶が失われ、その時の生々しい感覚も失われてしまいます。そして、「大変だったけど、もう終わったことだし今さら思い出すのもなぁ」とか「随分前のことだから、もういいよ」と、なってしまいがちです。

わたしは毎朝起きてから寝るまでの行動記録を手帳に記載しています。そして、一日の最後に手帳を見て、その日のふりかえりをし、日記に一言書くようにしています。良かったことでも、良くなかったことでも、その日のふりかえりで気付いたことを記載します。「次はこうしよう」といったことを書くこともあります。今使っている日記は、10年間書くことができるようになっているので、昨年の同じ日に何を考えていたのかわかります。過去の教訓を改めて思い出すこともできます。もっともあまり変化も無くふりかえることが何もない日もあります。そういったときは、「(過去のふりかえりのお蔭で)問題なく一日が過ごせた」とだけ書くようにしています。個人のふりかえりですので、格好いいことを書こうと気張る必要はありません。自分にとって大事だと思ったこと、今後のために記録に残しておこうと思ったことだけ書けばいいのです。

「鉄は熱いうちに打て」。このことわざのようにタイムリーにふりかえり、明日からの自分の糧としませんか。

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「関係者 時(とき)が経てば 変化する」

パーソナルプロジェクトマネジメントを実践している友人にK氏がいます。先日K氏と食事をしたときにK氏は「個人プロジェクトでもステークホルダー・マネジメントは大事だね。つくづく今回は感じたよ」と以下のような話を語り始めました。

K氏は学生時代にクラス委員をしていました。卒業してから随分と時間も経つので、同級生のみんなはいい歳になったし、ずっとやっていなかった同窓会を先生が存命中にやろうと音信がとれている仲間に声をかけました。最初は少人数でこじんまりやろうと計画を進めていました。しかし、連絡が取れてだんだんと人数が増えて来るにしたがって、いろいろな人がいろいろな意見を出すようになり同窓会のプログラムがなかなかまとまらなくなってきました。さらにどうせやるなら他のクラスと合同でやろうという意見まで出て、当初の構想とは違って大がかりな学年全体の同窓会を開催することになりました。実はK氏は途中でリーダ役を降りたそうです。途中から規模が大きくなり打合せの頻度も増えて、K氏自身が地元に住んでいないこともあり、なかなか参加できなくなったからでした。途中から参加した、地元の有力者となっている別のクラスの同期に引き継いだということです。最終的に盛大な同窓会が開かれ、出席者はお互いの元気な姿で再会でき、なつかしい話をして大いに盛り上がり満足したようでした。しかし、K氏は自分の描いていたこじんまりではあるが、卒業時のクラス仲間と密なやりとりができる同窓会を考えていたので、物足りなさを感じたということです。

同窓会プロジェクトを開始して時間が経つにつれて、いろいろな関係者(ステークホルダー)が関与してきて、いろいろな意見が出てくる。それに対してどう対処していくか、ほとんど考えていなかったので、あれよあれよという間に話が変わっていってしまったとK氏はぼやいていました。

関係者(ステークホルダー)は時間とともに変化します。個人プロジェクトの当初は関係者でなかった人が途中から影響度の大きい関係者として登場してきたり、逆に当初は影響度の大きい関係者であった人が、時間とともに関係が薄れて影響度がほとんどなくなってしまったり、ということがあります。

ですから、個人プロジェクトと言っても、自分のプロジェクトに影響力のある関係者は誰かということを時々識別しておく必要があります。それを怠ったばかりに個人プロジェクトが進まなくなってしまうこともあります。また、関係者の期待自体が変化する場合があります。関係者の識別に加えて、その期待内容を確認しつつプロジェクトをすすめていきましょう。

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