逃げ道を いつも忘れず 用意せよ

入社してから9年目の30歳。ある程度の業務を任され脂が乗っている時期のこと。
お客様との打合せ資料も出来上がり2年目の若手と富山まで出張を予定していました。 2-3日前から背中に針を刺すような痛みがあったが、我慢して仕事をしていました。 出張の朝、家内に背中を見てもらったら大きな水ぶくれが出来ていましたが、お客様との打合せを延期するわけにもいかず、2年目の若手では説明が無理なため、背中にガーゼと絆創膏で水ぶくれを覆ってもらって出張に出かけました。 激痛が時々あるものの我慢していましたが、満員電車の中でどうやら水ぶくれがつぶれたような感覚が背中に伝わりました。それでもなんとか飛行機に乗って富山まで行ってお客様との打合せを激痛に耐えつつ、なんとか初日を終えてホテルへ戻りました。
背中のガーゼを外して、新しいガーゼになんとか貼り換えました。手が届きにくい背中なのでかなり適当な貼り方ではありましたが、ひとまず完了。しかし、とても背中を下にして寝ることは痛みもあってできないので、うつ伏せになって寝ました。
2日目の打合せを終えて東京へ戻り、翌日は休暇を取って病院へ行きました。
医者からは開口一番。
「何を考えているのか。 入院ものだよ。 これで出張に出かけたのか。(あほか)」
(注:さすがに「あほか」とは言いませんでしたが、顔にはそう書いていました)
帯状疱疹でした。
早い治療をしていなかったために、背中のあざが消えるのに10年近くかかりました。
脂が乗っていたこともあり、全部自分でやろうという意識が強く、自分に何かあった場合のことは一切考えていませんでした。 2年目とは言え若手にも代理できるようにいろいろと考えておくべきでした。
最悪のケースを考えて、自分がダメな場合でも対応できるような逃げ道を用意しておくことが大事だと痛切に感じた出来事でした。
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